おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。



復習です。
レストランの味わいには
「先味、中味、後味」の三種類があります。
先味は料理を食べる準備であり、
後味はおなか一杯になった後の余韻を味わうこと。
そして、中味というのがまさに
「料理そのものを味わう」ということになります。
もうひとつのレストラン経営のキーワード、
QSCでいえば最初の「Q」、
クオリティーと言う味わいにたどり着いた、
ということにもなりますネ。

料理が来ました。
やっと中味を楽しむ、という段階まで
辿りついたことになります。
おめでとう。

ところで。
料理人はどのようなことに気を配って
料理を作っているんだろう?
彼らが意図した「料理の楽しんでいただき方」って、
どんなものなんだろう?
それがわからなければ、
心からレストランを楽しむことは難しいですヨ。
何よりこうした手順を経てやってきたレストランは
決して安い店ではないだろうし、
皆さんは相当な期待を持って今、
テーブルに座っていると思います。
そして出来れば最大限の満足をしたい、と思ってるはずです。
その期待は首尾よく、報われるのでしょうか?


料理を出す専門店、って
どういうことなんだろう?


世の中には
「少々の出費を覚悟してでも楽しみたい」と思うものと、
「なるべくなら安い方が良い」と思うものの
2通りのものがあります。
これは別に料理の世界だけの話ではありません。
洋服、雑貨、娯楽、ありとあらゆるもの中には
この2種類の世界があります。
決して、高級であるとか、大衆的であるとか、
ブランド品であるとかノンブランド品であるとか、
そんな区別のされ方でなく、
「覚悟できるもの」と「覚悟する必要のない」もの。
それらを区別するのは一体、何なのでしょう?

ボクはそれをこう考えます。
人は、それを作ってくれた人が
最後まで責任をとってくれるであろうものに対しては、
ある程度の出費もいとわず、それを心から楽しもうとする。
しかし、それを作った人が
誰かすらわからないようなものに対しては、
できるだけ安い方がいいと思う。
レストラン業界の人たちは、
その前者を「専門店的」と呼び、
後者を「量販店的」と呼んで区別します。
専門店、というと
「ある特定のモノを専門に扱っている店」
というふうに思う人がいますが、そうじゃありません。
例えばマクドナルドというのは
ハンバーガーを専門に扱っている店ですが、
誰もあれを専門店のようだ、と敬意を払いません。
マクドナルドのハンバーガーは
誰が作っても同じであって、
だから誰が作っているかなんて
誰も意識しないで食べますから、
安くて当然だし、もっと安い方がいいなぁ、
と思われるものなんです。
わかりますよね。

ボクの知り合いに驚くほどの資産家がいます。
当然、お金には苦労していないのですが、
個人的な買い物には苦労をしています。
なぜかと言うと、彼は非常に小柄な男性で、
例えば靴のサイズと言えば24センチほどで、
大抵の店に行くと
「子供用か女性用から選ぶしかないですネ」
と言われるから。
スーツも同じ、雑貨も同じ。
で、ある時、ロンドンに出張の際に、
それならひとつ世界で最も有名であり
高級でもあるといわれている、
「ジョンロブ」という靴の専門店で誂えよう、
ということになったのです。
たまたま同行していたボクも
その買い物に同行することになり、
そのやりとりの一部始終を
目撃する名誉に浴したわけです。
以下、その驚きのやりとりの全容!

‥‥店員いわく。

靴を仕上げるに要する期間はざっと半年。
まず今日はサイズを計らせていただき、
足にあわせた木型を作ります。
その木型を使って、まず仮縫い用のモックを作ります。
その後、試着していただき、
寸法を微調整し、実際の靴を作成します。
その後、再び試着をお願いします。
そうして再び寸法を微調整し、
最終の製品を仕上げることになります。
以上、全ての工程を、一人の職人が責任を持って行い、
当然、以降、もし具合の悪い部分が見つかった際には
無条件でメンテナンスはさせていただきますが、
それに対する対価として
25万円少々を頂戴したく存じます。

‥‥というのが、その時の話の内容であったと
記憶しています。

その時、靴を作ろうかと思っていた彼は、
「高くはない」と思ったといいます。
何しろ、ワタシがあなたの靴を
責任を持って作らせていただきます、
と巻尺と特別な器具を手に
にこやかに微笑む目の前のおじさんを
ほぼ半年間、拘束し、
しかも「ワタシだけ」の靴を
半年後には手にすることが出来る。
その対価としては妥当だと思った、というのです。
でもその間、最低でも二度は
ロンドンに来なくてはなりません。
その二つのうちどちらかを
スキップすることが出来るとしても、
製品の受け取りだけはワタシから直接して欲しい、
と店員は言い、
でなくては自分としてこのオーダーの責任を
取ることが出来なくなるから、
そんな仕事は精神的に請けられない!
と言うのですから、気合いが入っています。

靴一足にロンドン、成田2往復分の運賃を
費やすだけの思い切りがなかった彼は、
靴を誂えることをその時、断念したのですネ。
ここで心置きなく靴をオーダーするために
ロンドンに移住するのも悪くないかな?
と思うくらいに、
彼は靴を作りたくて仕方なくなっていた、ともいいます。


シェフは、全責任を負うつもりで
覚悟して料理に臨んでいます。


「自分のためだけに何かを作ってくれた人から
 直接、受け取り、楽しみ、お金を払う」
という醍醐味には、値段が使いないほどの価値がある、
というコトなのでしょう。
同時にそうしたものを心から楽しもうと思えば、
それ相応の覚悟も必要となる、というコトでもありますね。

素晴らしいレストランというのは、
基本的にそういう場所です。
厨房の中のシェフは逃げも隠れもせず、
自分が作る料理の全てに対して責任を取ると
心に誓った素晴らしい存在です。
ワザワザ自分を選んでくださった
お客様の期待を裏切ることを絶対しまい、と
心に決めた潔い人でもあるワケです。
しかしその気持ちが全てのお客様に
100%伝わるような働き方が出来ているか?
というと、そうではないことが多いんですネ。
‥‥ここが哀しい。

例えば、あなたが今、
寿司屋のカウンターに座っているとするならば、
ありとあらゆる贅沢は、
あなたの目の前で繰り広げられます。
目の前に作り手がいるわけですから、
どう楽しみ、どう食べればいいか、
お客様と作り手の間に誤解が挟まる余地がありません。
寿司を握ってくれる人から直接、すしを手渡され、
食べ、楽しみ、そして対価を払う。
わかりやすい。
だから日本のおじさん達の殆どは、
フランス料理で払う5000円を高いと言っても、
寿司屋で払う1万円をお値打ちだと言ったりする。
わかりやすいからです。
オープンキッチンのビストロなんかでも、
そうした醍醐味は味わいやすいですよネ。

だけど、普通のレストランではそう簡単にはいきません。
厨房の中で料理人たちは汗だくになりながら
お客様のために一生懸命、料理を作ります。
でも作った途端にその料理は調理人の手を離れ、
厨房を飛び出し、お客様の待つテーブルまで
一直線に運ばれて行きます。
だから悲しいことに、
その料理がどんなに素晴らしいものでも
それを楽しそうに食べている
お客様の顔を見ることはできないんです。
心配で仕方ありません。
本当に自分が作った料理が
自分の意図どおりに扱われているか。
熱々を食べて欲しかったのに
ほったらかしになっているんじゃないだろうか?
盛り付けの美しさを楽しんで欲しかったのだけれど、
果たしてその意図は伝わったのだろうか?
とかなんとか、あれやこれや自分の料理のことを考えて、
はらはらしながらシェフは働いているんです。

絶対の返事の帰ってこないラブレターを
せっせと書き続けているような存在なんですね、
ほとんどのレストランのシェフって存在は。

そこでひととき、ボクは彼らの気持ちを代弁してみたい。
シェフは自分の料理をお客様に
こんなふうに楽しんでもらいたい、と思いながら
一生懸命お料理、作っています。

そしてそのシェフの気持ちがわかることによって、
例えシェフが遠く離れた厨房の中で働いていたとしても、
あなたのテーブルの横で微笑んでくれているのと
同じことが繰り広げられるはずなんですネ。
作り手と食べ手の間の
不幸な行き違いがなくなるはずでもあるんです。

まず、レストランにおいて
おいしい料理がおいしくあるためには、
次のいくつかの要素を過不足なく
備えていなくちゃいけない。
次回は、そのことから話を進めていきましょう。
最初は「料理の美しさ」について、です。

illustration = ポー・ワング

2004-01-15-THU

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