おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。




お料理は作る人そのものである。
ボクはそう考えるようにしています。

もっと正確に言うと、
「作った人の人柄が
 正しく伝わる料理が良い料理である」
と言いうコトになるかな。
だから「誰が作ろうが同じ料理」と言って
はばからないような店の料理は
あまり尊敬に値しない料理だ、と思っています。
つまり、そんな料理はわざわざ
今までのような面倒くさい手順を踏まなくても、
食べたい時にふらっと行って、
大した期待もせずに味わった方が良い、
というコトになりますね。

良い店の良い料理というモノ、基本的に
「作った人が美味しいと思う料理」
に尽きると思うのです。
自分が今日食べたくて仕方ないものを
お客様のために作る。
コレが一番美味しい。
だって家庭で料理を作っていてもそうでしょう?
自分の苦手な料理は幾ら作っても上達しないし、
仮にその料理を食べた人に褒められても嬉しくはない。
やっぱり自分が美味しいと思うものを作って
褒められたいでしょう?

だから「厨房の中でどんな人が料理を作っているのか」
ということは、
「何を頼めばいいのか?」の、
非常に重要なヒントとなるんです。

見るからに古典的な顔のシェフが
斬新で独創的な料理を作るだろうか?


かつて、「斬新で独創的なフランス料理」というモノを
食べに、あるレストランに行ったことがあります。
お店の雰囲気もマリー・アントワネット風じゃなく、
フィリップ・スタルク的であり、
ホールで働いている人たちもなかなかに若々しく、
「この店の斬新なら信頼できるかな?」
と思ったけれど、
テーブルに向かう途中でチラッと見た厨房の中で
腕組していたシェフは、
齢恐らく60に届こうという年齢でした。
年齢はともかく。何より眉間の皺のあまりの深さが
「ワタシは頑固です」と叫んでいるような‥‥。
そんな姿を見せられると
「ほ、ほんとうに斬新? ‥‥大丈夫?」
と心配と不安に襲われてしまいました。

ボク達はその時、一計をめぐらせました。
店の売り物といわれる「斬新な料理」を半分。
その頑固親父的シェフが作って美味しそうな
「古典的な料理」を半分。
そう、頼んでみたのです。
果たしてその時の斬新な料理は
「斬新を装っただけの不可思議な料理」であり、
古典的に属した料理は
「30年前のフランス料理の亡霊」のようであったネ。
‥‥ああ、失敗したなぁ、と思いました。
まずくは無かったんです。
しかし斬新を売り物にしながら、
斬新にふさわしくないシェフが料理を作る、という
「看板に偽りあり」の現実に、
僕らはかなりゲンナリしてしまいました。
なんでだろう、そんな時に限って
シェフがわざわざテーブルまでやってくるではありませんか。
しかもご丁寧にも、
「いかがでしたか? お気に召しました?」
と聞くものだから、
「フォアグラのテリーヌと、
 牛頬肉の煮込みは良かったですよ」
とボクは答えました。
ボクとしては
「斬新から程遠い古臭い料理は良かったヨ。
 だからボクらはまんまとだまされました」
と、かなりの皮肉を込めてそう言ったつもりなのに、
シェフは満面の笑顔で
「左様でございましょう、
 どちらも古典中の古典ですから。
 これがまた、なかなかに手間がかかりまして‥‥」
と、したり顔でそれから暫く延々、
自慢話めいたことをしゃべり続けました。

シェフを見た、その第一印象を信じていれば、
と思いましたね。

料理を作ってくれる人が発散している雰囲気を、
頭の中に充填をして、メニューを開く。
そしてその中のどの料理が一番、
あのシェフらしいのかなぁ、なんて思いながら考えてみる。
そうすれば、かなり正しい結論を
引き出すことが出来たと思うのです。

例えば、同じイタリアンレストランでも、
若い上に、逞しくて元気のよさそうな人が
調理場に立っていたら
「仔牛のグリル」なんておいしいだろうなぁ、
と想像します。
だってあの人、そんなのをモリモリ食べそうだから。って。
細身ですらっとしていて髪の毛のサラサラした
まるで少年のような人が調理場に立っていたら
「彼の作るパスタは繊細で素敵に違いない」
とかって、そんな具合に思ってみましょう。
そうした予想を見事に裏切る、
骨太で男勝りの料理が得意な女性シェフも
いるにはいるから、
いつもこの作戦が成功するとは限らないけど、
でもとても楽しいヒントにはなるものです。

何より厨房の中に関心を示してキョロキョロしてると、
シェフと目と目が合ったりします。
会釈してくれたり、運がよければ
テーブルまで来てくれるかもしれません。
‥‥それは楽しいコトですよ。

かといって全ての店が、
全ての客席から厨房が見えるような
構造にはなっていませんよネ。
それどころか厨房が頑丈な壁で仕切られて、
テーブルに案内される途中でだって、
トイレに向かう途中にだって、
シェフの姿を盗み見する場所が用意されていない、
まあ高級レストランにはこうしたまるで要塞のような
キッチンが多いのだけれど、
そんなことも、かなりあります。
ボクはそうした店でも、一生懸命、
どんな人がボクの料理を作ってくれるんだろう、
と、そのヒントを探り出そうと努力します。

最近では雑誌のレストランの特集なんかで、
シェフの顔写真が出てることがあったりしますよネ。
ボクはそうした雑誌を見つけると、
その記事の中に同じく掲載されている
その店のインテリアや料理の写真より、
シェフの顔を頭の中に焼き付けるように努力しています。
この人はどんな料理を作るんだろうか?
ってイメージしながら。
店に向かう時だって、
あのシェフに会いに行くんだ、と思いながら行きます。

シェフの顔がまったく見えない。
そんなときは、どうすればいい?


残念ながら、そうした手がかりが事前に一切無く、
しかもシェフの覗き見も許されない、
そんなレストランではこう聞くことにしています。

「このお店のシェフってどんな方なんですか?」

‥‥不躾な質問だと思いますか?
そんなことはないんです。
だってレストランにとって最大の商品は
「シェフ」そのものであって、
誰だって商品の特徴を知らずに
モノを買いはしないでしょう?
だから大丈夫。
サービススタッフの目を見て、ハキハキと。
叩けよ、されば開かれん! の心意気。

この時のサービススタッフの対応、
というか受け答えが、誠心誠意で、
しかもシェフに対する愛情に溢れていれば
その店は素晴らしい店です。
だって一緒に働いている人に愛されていないシェフが、
お客様に愛される料理を作れるはずがないのですから。

そうそう、ボクは若い頃、
こんなばかげたことをしていたことがありました。
レストランを沢山利用すると、何度かに一度は
「なんでこんな店にきちゃったんだろう」と
頭を抱えるような店に遭遇することになります。
今でこそ、そうした失敗も勉強のうちだよ、
と笑って自分の怒りを納めることも
できるようになりましたけど、
昔はそうじゃなかった。
まだまだ未熟の塊だったし、
何より金銭的に許せなかったんです。
だからボクは
「一体、どういう人が料理を作ってるんだろう」
という情報収集に命をかけました。
今のように、レストラン関係の情報誌が
沢山あったワケじゃありません。
インターネットだってなかった。
だから自分の足で情報を集めなきゃならなかった。
どうしたか? っていうと、
お店の人たちが仕込みを始めそうな時間を狙って、
お店の裏口をブラブラし、
シェフと思しい人を探したんです。
‥‥‥‥、今になって思えば、ばかばかしい。
でも当時のボクにはタップリの暇と
情熱があったものですから。
ランチタイム開始の小一時間前に行けば、
かなりの頻度でシェフに出会えました。
厨房のドアを開けた途端、一際大きく、
「おはようございますっ」
とスタッフみんなが挨拶するから、
ああ、彼がシェフだったんだ、とすぐわかりました。

面白かったですヨ。
厨房の中でえらそうにしているシェフじゃなく、
本当に一人の人間としてのシェフの顔を
ボクは沢山そのときに見ました。
そしてボクは次の法則を手に入れたんです。

「普段着の素敵なシェフの料理は感性豊か。
 厨房に入る時の挨拶が元気なシェフの料理は感情豊か!」

かなりいい勉強をしたな、と思います。

ただ、こうした経験に味をしめて、
六本木の外れのフランス料理店の裏口で
ウロウロしていた時に、
税務署の職員なんじゃないか?
とそのお店の若い人達にとっつかまえられて、
危うくボコボコにされる経験をして、
この秘密の行動はお蔵入りしてしまったのですけれど、
本当に、かなりいい勉強になったな、と思っています。

普段着の素敵なシェフの作る料理には
間違いがない。
今でもこの原則は変わりません。

だからシェフを見ましょう。探しましょう。
そして何を食べるか、イメージしましょう。

次回は、メニューで迷ったとき、
お店の人からお勧めを聞き出す呪文について、です。


illustration = ポー・ワング

2003-11-13-THU

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