おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。



隣のテーブルに目移りする。
あんまりジロジロ隣を覗き込むのは当然、
立派なマナー違反だと思います
でも何を頼もうかあれこれ悩み決めあぐねている時に、
なんだかおいしそうな料理が隣に運ばれて来たら?
そんな時、近くのウエイターにそっと目配せして
「あちらのテーブルのご婦人が頼まれた料理、
 とてもおいしそうですね」
と聞いてみるぐらいはいいんじゃないかな?
指さして「あれは何?」って大声で聞く、とか、
逆にみんなでチラチラ見ながら
ヒソヒソあれはなんだろうと噂する、
ようなことをしさえしなければ、
他の人が頼んでいる料理は
この上もなく説得力のある参考資料なのだから
利用しない手はないですよネ。


NYでボクは向かいの席の女性を
まじまじと見ちゃったでした。


ニューヨークでの出来事です。
マディソンアベニューの60丁目前後ですから
広告代理店系の贔屓さんが多い店だったんでしょう。
華やかな雰囲気ではあるのだけれど、
エスタブリッシュメント的では決してなく、
むしろ挑戦的な新しさをすんなり受け止めるような
寛容さをもった店でした。
ブルックス・ブラザーズ的じゃなくて
ジョルジオ・アルマーニ的。
だからメニューはかなり手ごわかったです。
料理用語的知識を駆使しただけでは解読出来ぬ、
抽象的な形容詞が踊るメニューを前に、
さて、どうするかなぁ、と腕組みしたその時、
ボクの目の前をピラミッドのような物体が通り過ぎました。
あまやかなトラッフルの香りと一緒に
その皿はボクの向かい側のテーブルに置かれました。

しかるべき場所に皿を置き自由になったウェイターの
エレガントな手をそのまま追ったその先には、
仕立ての良さげなスーツを着た女性の顔がありました。
メグ・ライアン以外に
彼女ほどピンストライプのスーツの似合う
ブロンドの女性をボクは後にも先にも知りません。
‥‥ってくらいにチャーミングな彼女は、
ボクのその視線に気が付いていたんだろう、
ボクの目を捕まえてほほ笑みと軽い会釈を
ボクに返してくれました。
どぎまぎしたボクは
まともに彼女の無言のあいさつに応えることも出来ず、
再びメニューに目を落としました。
耳の先まで真っ赤じゃなかったのかな?

大きな深呼吸4回分ほどのつかの間の後に、
顔を上げた時。
恐らくボクが今まで見つめていた
くだんの料理の最初の一口目が、
彼女の口の中に消えてなくなった直後だったんだろう、
彼女は大きく目を見開いて顎をゆっくり動かしながら
目を閉じていました。
自分の口の中にあるものが美味であることを
納得させるような口の動き。
見とれました。
客観的にその時のボクは、
物欲しげで哀れな東洋人(まったくその通り!)に
見えているんだろうなと思いながらも
目を離す訳にも行かず、
果たして口の中のものを飲み下す直前の彼女と
また目が合ってしまいました。
彼女はその皿の上の料理を指さし、
「gooooood...」と声にはならぬが唇を動かし
ボクに小さなウィンクを投げてよこしました。

即座に左手人差し指を立てたボクに
ウェイターは飛んで来て、
「あちらのお料理は
 アンコウとジャガイモを使った
 ミルフィーユ仕立ての暖かいスターターでございます」
といいます。
いかにボクの目線があからさまであったか、
ではあるけれど、その直感のままに頼んだそれは
非常においしかったし、
それに良く合うとウェイターに薦められた
メインディッシュもすばらしかった。
何よりボクの不躾な目線を
しっかり受け止めさらりと応えてくれた、
寛容なお客様と向かい合わせになったことが
とても、うれしかった。
映画ならこれが運命的な
ロマンスの始まりになるところが、
ボクには何も起こらなかったけれど。
まあ、そんなもんだネ。


誰かが見ていたら、教えてあげましょうネ。


だからもしコッソリ自分の頼んだ料理を
覗き込もうとしているお客様と目が合ったら、
ニッコリを返して上げよう。
隣のテーブルに手が届きそうなほど
親密なビストロ的空間でそのような事件が起こったら、
ニッコリと一緒に
「これは○○という料理なんですよ。
 おいしそうでしょ?」と言ってみましょう。
ボクにはやって来なかったロマンスが来るかもしれません。

ま、そんなものやって来なくったって、
そのテーブルの周辺の空気が瞬間にして柔らかくなります。
店中が暖かく脈打って感じられるようになるはずだから。

「あのお料理はあのお客様のお召し上がり分で
 最後でございました。申し訳ありません」
もしそう言われたら、
アハハと笑って誤魔化すしかありません。
情けない思い出話がひとつ増える程度の恥ずかしさ。
それもまた良し。

ところで、
もしあなたがその日、最初のゲストだったら。
参考とすべき戦いの同志が他にいない、
孤軍奮闘の状態だったらどうしましょう。
ちょっと思い浮かべてみましょう。
このお店ではどんな人が料理を作っているのか?


illustration = ポー・ワング

2003-11-06-THU

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