USAGI
東京糸井重里事務所の給湯室より

6月11日(木)

サイトウさんへ

今日は木曜日だというのに、
打ち合わせが多くてたいへんでしたね。
おつかれさまでした。お先に失礼させていただきます。

そうそう、明日の「業務引き継ぎ」のときに
お話ししようとも思ったの
ですが、忘れるといけないので、
いまメモにして机においておきます。
先日ご質問のありました「日本うさぎ公団」について、
です。

わたしが最初に「日本うさぎ公団」の存在を知ったのは、
今から10年くらい前になるかなぁ。
つまり初めて鈴鹿で『F1』グランプリ
が行われた年のことだったと思います。
実はこのとき、あまり大きな声じゃいえない
ある事件が起こったんです
(ここから先のことはどうかご内密にお願いいたします)。
その「F1グランプリ」を開催することになった鈴鹿市は
当時、たいへんな盛り上がりぶりでした。
そりゃそうでしょう。
それまで「スズカ8耐」は
ありましたけども、これはなんたって「F1」ですからね。
しかも日本人ドライバーが出るんですから、
日本中、いや世界中が鈴鹿に大注目ってところですよね。
もちろん鈴鹿のひとたちといったら、
小・中学校は休みになるし、
農家は自分ところの畑をつぶして駐車場にするし、
おかあさんたちは炊き出しのおにぎり握るしで、
街をあげて「ウエルカム!」状態だったらしいです。
これで一気に鈴鹿市も国際都市の仲間入りだ、
メジャー入りだというんで、
まさに市民の盛り上がりはピークに達していたんですね。
諸準備も整い、あとはクルマが無事にサーキットを
走るだけ、っていうとこまで来たレース開催の前々日の夜、
その事件は起こったんです。

ここに当時の「鈴鹿いこい新聞」があります。
ちょっと書いてみますね。

『ナゾの看板かかる! 鹿はどこへ消えた?』
鈴鹿サーキットで行われる自動車レースの最高峰
「F1グランプリ」開催を2日後に控えた
10月××日朝、鈴鹿川河川敷に釣りに来ていた市民が、
「鈴鹿川」の標識が何者かにより
いたずらされているのを発見、警察に届け出た。
鈴鹿警察署の調べによると、
「鈴鹿川」の表示のうち「鹿」の文字の
上から新しい看板がかけられており、
その看板には「兎」の文字が書かれていた模様。
地元民のあいだでは
「これではまるで「鈴兎川」と読めてしまうではないか」と
不安の声が寄せられている。
なお、被害の実態については現在地元警察が調査中だが、
一部住民からは「他にも同様に「鹿」が
「兎」にかきかえられている看板をみた」との情報もあり、
被害が広がる恐れもあることから現在詳しく調査中である。

『さらに被害ひろがる どうなる?鈴鹿』
昨日未明、鈴鹿川の河川標識板が何者かによって
「鈴兎川」にかきかえられていた事件を調べている
地元警察によると、同様の被害はさらに国道、県道、
さらに道路標識のみならず、
地元の病院、官公庁、小・中学校へと広がるもよう。
現在もなおその正確な被害数を調査中であるが、
事件発覚から半日がたち、
これから日没を迎える地元市民のあいだでは、
「夜のあいだに我々の住む街の名前が
すべて「兎」に変わってしまうのでは?」との
不安の声が数多く寄せられており
、 警察、消防ふくめ市関係者は対応に苦慮している。

『市長、緊急記者会見 「兎」でもいいかも?』
昨日未明、鈴鹿市の名称が何者かによって
「鈴兎市」にかえられていた事件で、
××市長は
「市民の動揺をこれ以上見過ごすわけにはいかない」
と急遽記者会見を行い、
「それでも市民生活は大丈夫です」との声明を発表した。
市長は「このままでは鈴兎市への市名変更もやむなし」
との判断をくだすと同時に市民にむけて
「万一そのような事態になっても
皆さんの生活はなにもかわりません」
と冷静に対処するよう呼び掛けた。
市長は「個人的な見解ながら」と前置きしたうえで
「「鹿」が「兎」に変わっても
構わないのではないかと思う」と述べ、
「F1グランプリを明日に控えて、
市民はかけかえられたすべての看板を一日で外すか、
そのまま新しい名称を受け入れるかの選択を迫られている」
と苦しい胸の内を明かした。

わたしの手元にある新聞記事はここまでです。

今だからのんきなこと言ってられますが、
当時はそうとうの大事件だったにちがいありません。
でも、結果としてF1グランプリは無事に
行われたはずですし、
市の名前もいまだに「鈴鹿」ですからね。
一件落着したとみるべきでしょう。
ただ、これだけの騒ぎになっていたものが、
どうやって一件落着したのか、
実はどの新聞にも書かれていないんです。
わたしにはちょっぴりそれがひっかかるのですが。
地元のお年寄りなんかに聞いても、
「いや、わしはなにもしらん」って、
にらまれるばっかりだし。

ただ、この年の鈴鹿グランプリで
優勝したドライバーとチームに、
「うさぎごのみニンジン一年分」が副賞として贈られた、
と記録には残されています。
そしてその贈り主が「日本うさぎ公団」という
団体であった、という事実を知る人は、
実はあまり多くないようです。

わたしが初めて「日本うさぎ公団」の存在を意識したのは
これが最初です。

あ、こんな話を長々と書いているうちに
終電がなくなっちゃった。 とほほほ。
ではまた明日。お先に失礼いたします。

きよたより。

1998-06-11-THU

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