第3回 ビールに飛び込む人たち。

とにかく、アサヒビールの人たちは
新橋で、毎日ビール飲んでたんです(笑)。
「うまいな。な?」って言いながら
ガンガン飲むんですよね。
きっと仕事で飲んでるんだろうけど、
あれは本当にうまいと思ってたと思う。
ビール会社の人間はみんなそうです。
本当にみんな
自分の会社のビールがうまいと思ってます。

ともかく、いるやつはみんなビールが好き。
大好きです。
宴会すると、大瓶をひとり20本飲みますから。
少なくとも10本は飲みます、10本は。
だから、人数×10本は
ビールを用意しないとだめなんですよ。
10人の宴会だと100本要るんです。
はははは。
戦国時代にいるみたいな
もんですもんね。
ええ。わけわかんなくなってます。
ともかく頼んだ100本は
空けなきゃいけないんで、空けます。
2次会行くと、またビールです。
3次会もビール。
店から出て「喉が渇いた」って
自動販売機でビール買うんですよ。
ははははは。
「缶のスーパードライ、
 やっぱり炭酸効いててスカッとするよね」
本気ですよね?
本気で言ってます。
そこまでいくと、いいなぁと思う。
ぼくはいま、仕事の公私混同はいいんだよ、って
よく社員にも言ったりするんだけど、
ビール会社で
ああやってビール飲んでた人たちは、
超公私混同ですよね?
そのとおりですね。
人生がビールの中に飛び込んでますよね。
逆に言うと、そのくらいしないと
だめだったのかもしれないです。
それで攻めてこられたキリンのほうも、
坊ちゃん坊ちゃんしてたはずなのに、
がんばったもんね。
黙ってても売れた時代を
経験してる人たちだったでしょうから、
追うほうが楽だったかもしれないです。
おしりに火は点いていたでしょうけど、
対抗したほうがいいのか、しないほうがいいのか、
ジャッジからして、難しい。
それが手伝ってておもしろかったです。
アサヒビールはすごく居心地のいい会社でした。
みんな、ものすごく酒を飲むのに
酒の席で嫌な思いをしたことが1回もありません。
みんなジェントルマンなんです。
ぼくはそんなに酒が強くないんですが
「お前、わしの酒が飲めんのか」
なんて言われたことは1回もないです。
酔っ払ってくると、
「ああ、斎藤君、
 ウーロン茶かなんか飲んだら?」
とか言ってくれました。
しかも「お酌をするな」って言われるんです。
みんな、自分のペースで
完全にグラスを空けてから飲みたいので。
アルコールをからだに入れることですから、
危険な仕事をしてるってわかってるんですよ。
ああ、いい話だねぇ。
アサヒビールで斎藤さんは
ビールの営業をしてたんですか?
いえ、最初は営業だったんですけど、
事業開発の部署に移って
新規事業開発をしました。
そうこうしているうちに90年代に入り
バブルがはじけました。
アサヒビールも
いろんな事業から撤退をすることになり、
それからは
事業のリストラみたいなことをやりました。
もう、いろんな経験をさせていただきました。
斎藤さんは、人のふんどしで
さんざん試合してきたのね。
ええ(笑)。
しかも、1991年に、ぼくは
アサヒビールの人事部にいた人と
結婚しました。
会社で嫁までもらったんですか!
そうなんです(笑)。
それから3年後、1994年になって、
ぼくは34歳になりました。
やっぱりカエルの子はカエルなんでしょうか、
実家が代々事業をやっていたので、
やっぱり自分で商売をやりたいな、
という思いがあったんでしょう。
そこで徳島の家業を継ごうというとに
なったんですね。
ええ。今だったら企画書を書いて
ベンチャーキャピタルの人を騙して(笑)、
お金を出してもらうとか、
いろんな方法があります。
だけど、当時のぼくは、
とりあえず徳島に帰ろう、と考えました。
斎徳は、本当にちっちゃな
社員20人ぐらいの問屋でした。
そこの一国一城の主になりました。
そのときも、砂糖専門の
問屋さんだったんですか。
基本的には砂糖ですが、
小麦粉やお菓子の材料なんかも
販売していました。
もう今の「クオカ」の気配はあったんですね。
そうですね。
でも、ぼくのいまの商売が
現在のかたちになるもともとの気配は、
アサヒビールの事業開発をやってところに
あるんじゃないかなと思うんです。
というと?
アサヒビールの事業開発で
外食産業をいくつかやらせてもらってたんです。
そのときに、自分は食いしん坊だから、
食べものに関わる仕事を
生業にしていくんだろうなと思いはじめました。
まぁ、アサヒビールに入ったときから
食べものに関わるのってたのしいな、とは
思っていたんです。
目の前でお客さんがスーパードライを
「おいしい」って飲んでくれるし、
食べ物屋さんの開発の仕事でも、
やっぱり「これおいしいよね」って
みんなが目の前で食べてくれる。
だからきっとぼくは
板前さんになっても
よかったんだろうと思います。
うん、うん。
(つづきます)

2009-03-16-MON


(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN