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社長に学べ!<おとなの勉強は、終わらない。>


第4回 わたしの人生を変えた相棒。



たまたま高校時代に、
数学とかの授業の席が隣だったともだちが、
ちょっとおもしろいやつで、
一緒に数学の授業をきかないで
ゲームをやって遊んでたんです。
その子も、
コンピューターが好きだったんですか?
その子は……なんていうか、
わたしが作ったものをよろこんでくれる、
わたしにとっての最初のお客さんなんです。
ユーザー第一号なんですよ。
つまり、お笑いの得意なやつに、
笑ってくれるやつがいたように──。
まさに、そういう感じです。
漫画家の話とかとおんなじですね。
ぼくにとってはそれは誰だったんだろうとか、
思いだしながら話をきいていたもの。

少年時代に「相方」が見つかるとか
「読者」が見つかるというのは、
ほんとにすごいことですよね。
ときにはそれが家族だった人もいるだろうし……。
はい。
そいつとは、
やっぱりいまでも年賀状のやりとりは
ずっとありますけど。

人間はやっぱり、
自分のやったことをほめてくれたり
よろこんでくれたりする人がいないと
木にはのぼらないと思うんです。

ですから、
高校時代に彼と出会ったことは、
わたしの人生にすごく影響を
与えているんだと思いますね。
それがぜんぶの
おおもとになっているんだろうなぁ。
当時、マイクロコンピュータという
言葉はもうありましたが、まだ、
個人用のコンピュータはなかったんです。
年号でいうと、いくつぐらいのころですか?
一九七六年。わたしが高校二年のときです。
なんとなくわかった。
ぼくはそのころ、
仕事で海外のロケに行けるように
なっているんですが、ロスとかで、
弾けもしないのに
いいギターを買っているんですね。

「おまえ、日本に持っていったときに
 『新品だ』というと税金をとられるぞ!
 だからこれが中古だということの証明書を、
 いまからオレが書いてやるから、
 まぁ、そこで待ってろ……」

思いだすと、そういっていた
現地のギターショップの店員の
たたいていた電卓が、たぶん、
岩田さんがたたいていたものなんじゃないかなぁ。

つまり
「はやいもの好きの
 エレクトリックギターのオタクが、
 得意そうに持っていた最先端のメカ」
といいますか。
はい。
その電卓はへんな電卓でね、
「=」のキーがないんです。

たとえば一と二を足すときは
「1」を押した後に
「ENTER」のキーを押すんですね。
で、「2」を押して、
最後に「+」を押すんです。
日本語のようなんです。

「1と2を足して、
 3と4をかけて、
 12を引くと、いくらですか」
というようなかたちで
押していくんですけど、
もう「=」がないだけで、
ふつうの人はさわれないじゃないですか。

「そのさわれないものを
 自分は自由に使いこなす」
というのが、おもしろいわけです。
(笑)
だからまさに糸井さんがおっしゃった
その感じだと思うんです。
そういうものだったんですよ。
その二年後ぐらいに、
アップルコンピュータが出てくるんですね。
アップルコンピュータを
運んで歩いていたというバイトのやつを、
ぼくはそのずいぶんあとに
雇ったおぼえがあるんですが、
バイトに来るのにも
いつもでかいコンピュータを持ってくるんです。
そいつは「これがあればなんでもできる」と
いいはってた(笑)。
ええ。
「コンピュータ=無限の可能性」の時代ですね。
岩田さんはきっと、
一台ずつぜんぶ進化させてったわけでしょう?
まぁ、そうですね。
コンピュータになにができるのかということを、
源流から見ていた
みたいなところがあるんですね。
ですからわたしは
コンピュータへの幻想はすぐになくなりました。

コンピュータが得意なことはなにか、
苦手なことはなにかということは、
まぁいちおう、高校生のときに
ちゃんとわかっていたと思うんですね。
親が「……電卓だろ?」という
機械をいじっていたころからわかっていた?
ええ、わかっていたと思いますね。
いわば、「スーパー電卓」が
どんどん進化していく姿を、
おもしろがって見ていたんですね。
源流を知っている強みという。
ゲームの世界を、
ファミコンからぜんぶ
ずっと見ていられたのは、
すごいラッキーなことだと思うんです。
そうだろうなぁ。
いまの高校生のときのお話も、
自転車に乗れるようになった
少年の物語みたいですもんね。
きいていてすごくうれしくなるような……
おもしろいなぁ!

岩田さんの仕事の話としては
「技術者どうしでは、
 若造がやろうが、
 大ベテランがやろうが、
 いちばんロジカルにただしくて、
 もっといえばエレガントだったりするといい」
というところまでおききしましたっけ。
そして、大学を出て入ったとたんに
先輩がいない職場だから、
自分の判断で仕事をしていたわけです。
それはどういう意味なんですか?
ですから会社の「開発」のなかに、
私は先輩がいなかったんです。
わたしは開発の社員第一号なんですね。
うわぁ!
HAL研究所という会社は、
バイトの子を開発第1号にしたんですか?
そうです。

正確にいいますと、
HAL研究所というのは、
「そこらのプロ顔負けの能力を持った
 バイトの子たちを集めることに、
 たまたま成功した会社」なんです。

その物語もちょっとしておきましょうか。
ぜひ!


第4回おしまい。月曜日に、つづきます
2005-03-04-FRI