第1回 注文をこなすだけの毎日、「つくりたい」思いがつのっていった。

ここ奈良県北葛城郡広陵町は靴下の日本有数の産地で、
「杉田利一靴下工場」も50年、ずっと有名ブランドの靴下を
企画、生産してきたそうです。

▲Ponte de pie!(ポンテ・デ・ピエ!)の田中さん。

有名ブランドのメーカーからの依頼を受け、
「なにか特徴のある靴下を」と言われて
企画を提案しても、最終的には、
「とにかく短時間でたくさん数がつくれて、
 金額が安いものがいい」
と言われることが、よくあったそう。

受注する量産品は、
仕様書通りの仕上がりが求められるから、
たとえば、靴下の左右の長さが
少し違うだけで不良品になります。
洗って乾かすとくしゃっとするから、
形がそろいにくい。
だから洗わないで最後にプレスして
左右ピッタリになるまで熱で伸ばす。
そんな作り方を、せざるをえませんでした。

「一所懸命、編んだ靴下が、
 ちょっとの大きさの違いで不良品と呼ばれて、
 あとは切って捨てるだけって、かわいそうで。
 編み地にムリをかけてまで、
 やらなくてもいいのになあって」

田中さんはずっとそう思っていたそうです。

そういうふうにできあがった靴下には、
つくり手から見ても、魅力はないなあと感じていたそうです。
「わあ! どれをはこうかな?」
と思えるものが、できなかった。

「自分たちがつくったのに、
 なんだか愛情が持てないと思いました」

けれども、価格競争をしないと生き残れない。
価格が安くなっていく分、
たくさんつくらないといけなくて、
ますます、自分たちの想いと
ギャップのあるものをつくることになります。

「だから、靴下工場で靴下をつくっている私たちが
 本当にはきたいと思える靴下をつくりたい、
 みなさんに誇れる靴下をつくりたいと、
 ずっと思っていました」

杉田さんとふたり、
「こういうの、いいよね」
「自分なら、こうするなあ」と話をしていても、
毎日、仕事に追われ、
忙しさにかまけてしまいます。
糸も編み方もかたちも、
具体的なことは、なにも決まらないまま、
「つくりたい」気持ちだけがつのっていきました。

▲スタッフの木村さん。ただいま検品中。

ある日、たまたま、杉田さんが新聞で
「奈良ブランド募集」という記事を見つけます。

「『応募してみない?』って、私に見せたんです。
 それは県主催の奈良ブランド開発支援事業の公募で、
 もちろん期限がありました。
 それまで『やりたいな、やりたいな』で終わっていたのが、
 期限があることで、発奮しました。
 『とにかく、どんなものかわからないけど、
  自分たちのオリジナルがひとつできるんや!』
 と、参加することにしました」

頼まれた仕事ではなくて、
自分たちでやろうと決めた仕事は、
「なんでもできるし!」みたいな気持ちがわいてきて、
そのことがすごく大きいと思ったそうです。

▲工場の倉庫を自分たちの手で改造したお店。