PLANET
網の目のある惑星。
おーい、
と呼びかけてみよう。

はじめまして。
ほぼ日の読者のみなさま。
この新コンテンツ担当の、Mikaと申します。
なんていうと、日本とどこかの国のハーフさんのように
聞こえますが、れっきとした「かわうち」さんです。

さて、イトイ氏から、わたしに与えられた任務とは...

「世界の“素敵な”サイトをひろってくるように」

世界中にwebサイトって、一体いくつくらいあるのでしょう?
ひとーつ、ふたーつ...なんて数じゃない!!

さて、どうしたものか?
まぁ、とりあえず「惑星探査」にでも出掛けましょうか。

で、早速素敵な「じいさん」と出会いました。

そんなわけで、
第一号で紹介するのは、こんなサイトになりました。

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Vol.1「じいさんとおばけ南瓜」<その1>

Bill Verchere's Pumpkin Diary

じいさんのフロントページより。

じいさん、とはわたしにとって愛すべき存在であり、
あこがれの対象ですらあります。
できることなら“じいさん”になりたい、
とさえ思うくらいです。
生理的に、わたしは“ばあさん”になるしかないのですが。

ここでいう“じいさん”とは、
老年男性の総称ではありません。
全てを達観したかのごとく、
微笑みを絶やさないタイプのひとではなく、
「かわいそうに。まだ、それしか生きてねぇのかい?」
などと毒ずくようなタイプのひとを、わたしはそう呼びます。
そういう“じいさん”は、
概して自らの人生を心底楽しんでいたりするものです。
それでいて、
どこか「社会」からリタイヤしたという既成事実に基づき、
社会のごたごたから、するりと身を翻してみたりするのです。

Billおじさんも、
そんな“じいさん”のひとりなんですけどね。

Billおじさんは、カナダのバンクーバー島に住んでいます。
さぁ、地図で確認してください。
みつかりましたか?

数年前に退職してからの彼の生活は、
ガーデニング、菜園、ジョギング、
マウンテンバイク、スキー、
さらには、
ネットを使って自分の「家系」を調べたり、
などなど忙しそう。

そうそう、忘れてはいけないBillおじさんの趣味。
これがみなさんに御紹介する
「Bill Verchere's Pumpkin Diary」なのです。
まずは、Billおじさんのページをチェックしてみて下さいね。

Billおじさんいわく、
「なんで、こんな“ばかげた”趣味を持つに至ったか。
 それについては、どうか聞かないでいただきたい」。

そう言われちゃ、聞くしかないでしょう。

「冬の雨の日には、webページ構築のナゾを解くべく、
 コンピュータの前に座っています」。

ならば、「訪ねて」みようではないか。

そんなわけで、わたしは以下の主旨のメールを送りました。
「あなたのページをわたしたちのサイトで紹介したい。
 つきましては、いくつか質問にお答えいただけますか?
 そちらの天気が悪いことを願って、このメールを送ります。
 そうすれば、あなたはコンピュータの前にお座りになって
 いるでしょう?」

なんと、数分(!?)の後、お返事が来ました。
「はい。あなたのメールが来た時、たしかにコンピュータの
 前に座っていましたよ。こちらとは、
 17時間の時差があ るから、えーっと...」

わたしは、その時間と距離の感覚の間でくらくらしながら、
さらに、Billおじさんからの返事を読みました。
「私のかぼちゃページについて、よろこんで質問に
 答えさせてもらうよ。
まぁ、私のかぼちゃはそんなに大きくないけどね」。

早速、質問をいくつかBillおじさんに送ってみました。

次回は、そのインタビューの様子をお送りします。

1999-02-08-MON

Vol.1「じいさんとおばけ南瓜」<その3>


Bill Verchere's Pumpkin Diary

「じいさんとおばけ南瓜」も、いちお最終回です。
予告どおり、「南瓜日記」を訳してみました。

これは、1996年billおじさんが
初めて「おばけ南瓜」をつくった時の日記です。

はじまり、はじまりぃ。

 

*****************
 ビル・バーチャーの「南瓜日記」
***************** 

このページは、
私が「おばけ南瓜」を初めて栽培した年に起こった、
すったもんだの体験談です。
─いかに、この“ばかげた”趣味に「はまって」
しまったか。何枚かの写真とともに、お伝えします。─

今月の「ウェブサイト」・・テイク5マガジン,1998/10

『まったく非難されるべきは、
 こんなコトを始めさせた私の甥である。』

「それは、いかに始まったのか」

デュカン・アルパイン(註:billおじさんの甥)が、
私にいくつかの種をくれた。
それらは私に、彼が育てた以上の「でかい」南瓜を
つくってやろうという気にさせたものだ。
彼のこれまでの記録は、ほんの150ポンド(約68キロ)
にすぎなかった。*註:1ポンド=0.454キロ
そして、多くの「初心者」栽培者が、
400〜600ポンド級のヤツを育てていたので、
私は、その挑戦を受け入れた。
だいたい、私はここバンクーバー島で、
まずまず有能な菜園家なんだ。
できないわけがない。だろ?
それに、いったい「おばけ南瓜栽培」に関して、
デュカン・アルパインは何を知ってるっていうんだい?

しかし、ここで些細だが問題がある。
この怪物をもってくるだけのスペースが、
私の小さな庭には確保できないのだ。
そこで、
私の古くからの友人、南瓜提灯
(註:ハロウィンで使うアレ)をこよなく愛する
ギルバート・ベイリーに助けを求めた。
彼女は、この計画のために
彼女の裏庭を使わせてくれることに同意してくれた。
小さめの南瓜を取り除く時がくるまで、
「口出しいたしません」という彼女の約束をとりつけ、
よしよしいい考えだ、と思っていたまではよかった。
彼女の裏庭に部屋は十分にあったが、彼女いわく
「最初はちょっと片付けが必要かも」ということだった。

そこで、彼女の地所をチェックしに出掛けた、んだが!

なんてこった! ギルバートの庭! 私の未来の南瓜畑!
...は、
“ジャングル”だった。
低木やらブラックベリーやらがからまりあってるし、
樅の切り株は腐ってるし、大きな石がごろごろ...

「準備をはじめて...」

私は、頭をかかえた。
ひどく散らかったこの場所を
冬中になんとかきれいさっぱりとしなくてはならない。
来る日も来る日も、汗みどろになりながら、
薮を切り払い、土を掘り起こし、を繰り返した。
しかし、私の頭は「1000ポンドの世界記録おばけ南瓜」
の夢で一杯だった。
...私は、すっかりこの南瓜栽培に
とりつかれ始めていた!

結局、250平方フィートの畑を確保した。
(専門家がすすめるのは、2500平方フィートだが、
まぁ、しかたがない。)
3月までに、土を作り直し始める。
泥炭やら、石灰やら、肥料、堆肥なんかもどっさり。
自動車何台分くらいになったろうか!
それから、その土をあたためておけるように、
黒いプラスチックで囲って、小さな枠を建てた。

さぁ、植え付けの準備はできたぞ!

「植え付け」

これについては、手短かに行こう。
しかし、私は初心者がおかしやすいミスをした。
まだ時期尚早だった。
氷を砕いているうちは、なす術はない。

何度も、途中でだめになりながら、
春も遅くになって、やっと4株を5月20日に土に移植した。
1カ月後、これらを間引きして、よい苗を残した。

「成長」

専門家いわく、
「“おばけ南瓜”を植え付けたら、まぁ後は
ひっこんでいればよろしい。
すーぐ、大きくなりますからね。
いうことなしっ! だね。」だそうだ。

7月の初めに、どうなっていたかというと...

<畑/7月初旬:写真>

そして、7月の終わりまでに...

<畑/7月下旬:写真>


「南瓜たちの“性生活”...」

そのころには、夏はすっかりやってきていた。
物事は、順調に進んでいた。
苗は発育し、花もちらほらあらわれていた。
はじめのうちは、雄花が多く、雌花は十分ではなかった。
それから、どんどん花が増えた。雄雌「両方」のね!

南瓜における“性”のあれこれについて、
そして“受粉”のことも、ざっと勉強して、
われわれは、すぐさま1ダース(註:12個)ほどの
「妊娠」が確かに進行中であることを確認した。
「妊娠」だって?
あー、つまり、「あかちゃん南瓜」ってとこかな。

<7月29日時点での、一番大きな南瓜
 ─胴回り44インチの“でぶっちょ”、
 雌花(と思う)と一緒に:写真>

<畑、ほかの角度から:写真>


「生育調節」

8月の初旬までに、
われわれはちいさめの南瓜はすべて切り落とし、
結局ふたつの一番大きくて成長がはやいものを残した。
(私が、「われわれ」というのは理由があって、
このときまでに、ギルバートがそれまでになかった
興味をしめし、おまけに「無気味な」ことには、
いろいろ決める時だって
首をつっこんでくるようになっていたのだ)

さて、御存じかどうかわからないが、
コンテストで優勝するような「でかい」南瓜を
作るためには、その苗に一点集中するために、
全ての小さめで発育の遅い南瓜はあきらめなくてならない!
そうすることがつらいのはやまやまだが、必要なコトだ。
そして、その「つらい」決断は実行された。
(私も「つらい」決断は、いくつもしてきたものだ。)
それらの「残された」2つで、
やっていかなくてはならない!

「感情...」

しかし、おわかりだろう。
感情と愛着がその写真に入り込んできていることを。
両方の南瓜は、いまや100ポンドを超えて、
満足と楽しみを与えてくれる大きな原因になった。
(特にギルバートにとっては、ね)
“彼ら”は、すぐちかくで成長し、
ほとんど分かちがたいものと思われる。
事実、彼女は“彼ら”を「パパ」「ママ」と親しみをこめて
呼んでいる。(両親を亡くした後だったのだ)

私に奇妙な感情が芽生え始めてきた。
運命の“ボーリングボール”が、
今、私のレーンを転がりはじめたみたいに!

「ひとつ」を切り落とすことを検討することさえ、
ひどく精神的に傷つけることなのだ。
そして、決定は訂正された。
「われわれは、両方の南瓜でやってみよう!」


「8月」

8月中ひどく暑かったので、“フルーツたち”
(南瓜をこう呼んでいる)を、直射日光や、
じきやってくるだろうと思われる雨から
守ってやらなくてはならなかった。
われわれは、南瓜たちに「日よけ」を取り付けてやった。


<日笠をかぶった、南瓜たち:写真>

この月の終わりまでに、両方の“フルーツたち”は、
だいたい175ポンド(約79.5キロ)になった。
順調、順調。
記録破りってほどではないが、確かなコトがひとつ。
「デュカンには勝てそうだ!」
彼の南瓜は、未だ私のより小さかったから。
私にさらなる自信を与えたのは、
まぁギルバートがぎゃーぎゃー主張したせいだが、
さらに5つの受粉した南瓜を確認したことだ。

さぁ、今われわれの手中に、
1つの苗から7つもの素晴らしい南瓜が育っている。
栄光への道、一直線だ!


「奇妙なコト」

しかし、おかしなコトが起きた。
9月の初旬までに、
「パパ」と「ママ」の生育がすっかり止まってしまった!
どういうワケなんだ?
ちっこいのに、栄養分を吸い取られてしまったのか?
思うに、“時間だけがどんどん過ぎてゆく”、
ちっこい南瓜たちが、急速な生育をしたからだろう。
このままやるしかない。
とにかく「賽は投げられた!」のだから。
収穫する時まで、
すべてを“生かした”状態でゴールするとしよう。
ほかに何かあるとしたら、さぞかし立派な
ハロウィンの南瓜灯籠ができることぐらいか。
「たった1つの苗からできた複数の南瓜のトータルの重さ」
に関する記録を破ったなんて、
だれが知ってるっていうんだ。
すでに、栄光は我が手中にあるんだ!

「ついに、栄光が...」

1996年10月12日。
“おばけ南瓜”を初めて栽培した年は、
なんとも輝かしい幕切れを迎えていた。
残念ながら、“記録破り”の南瓜はなかった。
「ママ」は、ブリティッシュ・コロンビア州の
ナナイモで行なわれた
“バッカーフィールド おばけ南瓜コンテスト”で、
栄誉ある177ポンド(約80キロ)を記録し、
「パパ」は、197ポンド(約89キロ)で2等賞につけた。

あぁ! 誇らしいよ、そのリボンが。
オレンジと黒で、安っぽくて、
まるでこどもたちがもらっていたのにそっくりだ。
(こどもたちには、小さな南瓜灯籠が配られていたのだ)

でも、このリボンには、
口で言いあらわせないほど多くの意味がある。
この年「おばけ南瓜」に注いできた全てのものたちが、
ここには表わされているのだ。
(肥料に費やした、ささやかな貯えも含めて、ね)

そして、おどろかないでほしいんだが、
私の収穫した(もちろん、1つの苗から)南瓜の総量は、
なんと、749ポンド(約340キロ)にもなった!

これらは、私の友人たちへもおすそ分けされたが、
それは
それは
たくさんの「パンプキン・パイ」の中身になった。

<さて、このささやかな日記の締めくくりは、
 私と「パパ」の写真としよう:写真>

<そして、「パパ」「ママ」と一緒のギルバート:写真>


ところで、デュカンの最終的な重さは、いかに?
それについては彼のページをご覧あれ。
(ちなみに“ぶさいく南瓜”賞をとったよ。)
その画像あり。

さて、ただちに来年の準備にとりかかるとするよ、
より「でっかい」夢をみながらね。
「おばけ南瓜」栽培は、おもしろい!!



===1997年「怪物南瓜」をちらっと見る方はこちら===

===ついに1998年、
ソルトスプリング諸島秋のフェアーにて、一等賞受賞!===


---南瓜栽培について質問があれば、
  これらのページがなんでも答えてくれます。---
*ダン・ガードナーの世界級南瓜ページ


*デュカン・アルパインの巨大南瓜のページ


*パンプキン ヌック

「おばけ南瓜」のニュースグループもあり。
web上にアーカイブされていて、
調べたいことを検索できるサーチエンジン付き。
行ってみてはいかがでしょうか。

ちょっとやってみたくなりませんか、「おばけ南瓜」。
billおじさんがいろいろ紹介してくれているので、
情報はばっちり! ですからね。
しかし、畑確保という大前提からして
挫折してしまいますが、収穫のヨロコビって、
味わってみたいですよね。
植物が身近にある生活、ということも。
ちなみに、我が家のベランダでは、今「梅まつり」。
もちろん、鉢ですが。

わたしは「豊かな生活」というコトを、
billおじさんのページをみながら考えていました。
単純に「自然万歳!」とかいう陳腐なコトを
言いたいとは思いませんが、
「ユタカって?」という意味を自分なりに
再確認してみようという気になったことは事実です。

うーん、ゆきつくところは「おいしい生活」?

そうそう、この「おいしい生活」という単語を
ほかの国の言語に訳しなさいって
おもしろい質問になりそうです。
だって、そのひとは何に対して「おいしい」と思ってるか、
がわかるって寸法ですから。

次回はそのヒントをもらいに、
スコットランドの農場にとんでみましょう。
スコットランドの「おいしい生活」とは、いったい?

1999-02-19-FRI

Vol.1「じいさんとおばけ南瓜」<その2>

Bill Verchere's Pumpkin Diary

さて、「じいさんとおばけ南瓜」の第2回目です。
今回は、インタビューの模様をお届けします。

その前に、billおじさんの娘さんのことを書きましょう。
娘のMariさんは、昨年1月から4月まで「Higashi」にいる
お友達のところにステイしていたそうです。
billおじさんいわく、
「それがどこだか、私にはわからないのだけど、
 しばらく英語を教えるのを手伝ったりして、
 日本での滞在を満喫していたようだよ」。
うーん、わたしにも、その「Higashi」が
どこの「東」だか皆目見当がつきませんが、
「Higashi」にお住まいの方で、
「あー、あの時のMari先生かぁ」。
と思い当たる節がある方がいらしたら、
そうなんです、その「Mari先生」のお父さんが、
このbillおじさんなんですよ。

では、インタビューを。
原文はこちら>>

Q1//
 あなたのその「おばけ南瓜」は、
 食べることができるのですか?
 味はどうでしょう? おいしい? それとも?
 もちろん、食用として育てているのではなく、
 コンテストに出品するために育てているのでしょうけど。
A//
 個人的には、ないね。
 いままでに、「おばけ南瓜」を口にしたことは。
 料理は母がやってくれるんだが、
 彼女は「パンプキンパイ」が嫌いでね! 私は好きだけど。 
 どうにか好きにさせようとしてるんだけど、
 なにせ「がんこ」だからなぁ。

Q2//
 開設以来、このサイトを通じて多くのひとたちとの
 出会いがあったと思います。
 とくに、印象に残っているひとはいますか?
 たとえば、
 遠くの国に住んでいるなどの理由で
 webを通してしか出会うことのできなかったひと、とか?

A//
 この質問、いいねぇ。
 Eメールを通じて多くのひとと出会って、
 私たちはいい友達になっているよ。
 たとえば、
 カリフォルニアのクリス・アンダーセン。
 彼は、1997年に世界で一番でかい南瓜(977ポンド!
 =約443,5キロ)をつくったんだ。
 私に、その時のワールドチャンピオンの
 「おばけ南瓜」の種を送ってくれたよ。
 それから、ニュージーランドのジョン・サージェントや、
 南アフリカのウォーリー・バーデンホースト、
 そのほかのひとたちには、私が種を送ってあげた。
 マレーシアにもいたっけな。私たちはみんな、
 「南瓜」のニュースグループで出会った。
 そこでは、「南瓜」栽培について話し合っているんだ。
 このニュースグループに入らなくても、 
 だれでもが私たちの会話をみることができるwebページが
 あるので、書いておこう。
 http://www.mallorn.com/lists/pumpkins/

 これで、日本でも「おばけ南瓜栽培」が流行るな、
 きっと。

Q3//
 ところで、
 あなたのサイトが日本で紹介されることについて
 あなたの“愛する素敵な”御家族はなんていうかしら?

A//
 問題ないよ。たぶん、「人気者」になるだろうからね!
 家族はきっと、こんな趣味をもって、
 それに一日の大半を費やしてる私をみて、
 「父さん、ちょっとイカレテルんじゃないか」
 なんて思ってるんだろうね。

Q4//
 あなたは、御自分の人生を心底楽しんでいるように
 みえます。なんとも、うらやましい限りですが!
 最近、「南瓜」と「スキー」
 (*billおじさんのサイトのホームページを参照)
 以外で、興味があることはなんでしょう?

A//
 えっと、私は66歳で、すでにリタイアしてます。
 興味があるのは、健康でいること、かな。
 だから、マウンテンバイクを乗り回したり、
 ジョギングしたりしています。
 去年はマラソンにもエントリーしたよ。
 まぁ、記録はよくなかったけど、
 でもついに完走したんだ!
 あと、「家系図」にも興味があるな。
 インターネットで私の家族の歴史なんかを調べたりして、
 楽しんでる。

Q5//
 多くの日本のひとたち、
 たぶんあなたの知り合いではないでしょうが、
 あなたのサイトを訪れると思います。
 私たちも、それを望んでいるのですが。
 彼らにメッセージはありますか?

A//
 とにかく楽しんでいることと、
 なにかに対して役に立っていなければ、
 「サイト」をもつことに意味はない、と思うんだ。
 じゃなきゃ、ひとびとは訪れてくれないし、
 ながく留まってはくれないでしょう?
 ほんとうにためになる「南瓜」のサイトが数多くあって、
 だから、自分のサイトも
 単純に「楽しめる場所」にしようとしているんだ。
 私は、私が体験してきた「楽しみ」とか「満足」
 について、ひとびとが話しているのが好きなんだ。
 もっとも、いくつかは下らない失敗もあるけどね。

Q6//
 最後の質問です。 
 あなた自身のサイト以外で、
 最近お気に入りのサイトはありますか?

A//
 ちょっと、意味が理解できないんだけど。
 私自身のサイトをのぞいて、
 一番気に入っている南瓜サイトは何?
 ってことでいいのかな?

 それなら、いわずと知れた私の甥、
 デュカン・マックアルパインのサイト。
 ナイスな音楽付き。
 http://www.backyardgardener.com/pumkin.html

 こんなのもいいよ。
http://www.mindspring.com/~neps/curcurbyte.htm
(編集部註:現在はページが存在しません。)

 他では、ハロウィンにスポットを当てたサイト。
 http://www.cnn.com/SPECIALS/halloween.1997/index.html

 「ひょうたん」の類いの栽培やデコレイトに関しては
 とてもナイスなサイトがあるよ。
 http://users.owt.com/jdixon/

とまぁ、なんとも素敵な「じいさん」に出会えて、
わたしは、ほんとうにhappyな気分になりました。

で、お願いついでに、こんなことも頼んでみたのですが。
「もうひとつ、お願いしてもいいでしょうか。
 よろしければ、あなたの"Pumpkin Diary"を
 日本語に訳してみたいと考えているのですが」。
すると、こんなお返事が。
「まーったく、問題ないよ。そうなったらうれしいし、
 なにより甥のデュカンがくやしがるだろうからね。
 なんだよ、ラッキーだな、なんてさ。
 日本で“人気者”になったら、
 もっとページをよくしなくちゃいけないかな。
 いや、しないだろうな。このままにしておこう」。

よし、
ここはひとつ「南瓜日記」を訳してみるとしましょうか。
で、これは次回にお届けするとしますが、
今回は、まだ終われないのです。

このインタビューのやり取りのあと、
わたしの元にこんなメールが迷いこんだのでした。
subjectには、「Pumpkins」の文字が。
> Do you know what the largest pumpkin weight is
> in Japan?
>
> Is it higher than
> http://www.backyardgardener.com/record.html
>
> Duncan McAlpine

なんと、billおじさんの甥のデュカンさんから!
きっと、自慢されたのでしょうね、billおじさんに。
「俺のサイトが、日本で紹介されるんだ」と。

さて、ここで、みなさんにお願いです。
わたしは、「南瓜栽培」フリークスではないので、
このテの質問には答えられません。

「日本で、一番おおきな南瓜の重さは?」

御存じの方、
実際に「南瓜栽培」フリークスの方、
わたしまで御一報を
ちなみに、デュカンさんの記録は、465lb=約211kg。
しかし、上には上がいて、カナダの南、オンタリオ州の
ポート・エルギンさんの記録は1092lb=約496kg!!

どうするんだ、そんな大きな南瓜。
興味のある方は、
ぜひ上記のデュカンさんのサイトにもとんでみてください。

では、次回はbillおじさんの「南瓜日記」本編の翻訳です。
おたのしみに。

1999-02-12-FRI

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