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あさごはん
2019/05/21 10:17
おはようございますー!
こちらはいま朝ごはんを食べている
山下さん、永田さんです。
山下さんはガパオ、永田さんは
金目鯛のお弁当だそうです。
いいチョイス!そしていいえがお!!
気仙沼を前にテンション上がってます!
さあ、気仙沼です。
2019/05/21 10:14
おはようございます、山下です。
全員ぶじ、寝坊しないで東京駅に集合。
新幹線で北へ向かっています。
さあ、気仙沼。
今日と明日は気仙沼。
ぼく自身はたぶん2年ぶりではないでしょうか。
何度も足を運んでいる気仙沼ですが、
ずいぶん久しぶりです。
たのしみだなぁ。
となりの席では永田さんが、
長めのテキストを書き続けていました。
写真はそれを書く直前の様子です。
「書く前にまずは弁当だ」と
急いで食べているところを自撮りしたので
ふたりとも食べ物で
ほっぺたがふくれてますね。
(ぼくはガパオを食べました)
そんなことはどうでもよくて、
2日間よろしくお願いします。
テキスト中継が久々なのでちょっと緊張。
勘をとりもどしながらお届けします!
一ノ関駅
2019/05/21 10:02
おはようございます!
気仙沼のほぼ日のサユミです。
そろそろみなさんが着く頃です。
この場所でみなさんをお迎えするのは
何回めだろう?
気仙沼のほぼ日でみなさんが来るのを
お待ちしてることもあれば、
ここまで迎えに来ることもあって、
今回は一ノ関駅まで来たパターン。
ほぼ日を通して、
いろんな方々が気仙沼に来てくれました。
そのたびに気仙沼に新しい風が吹く感じがして、
それが嬉しいんですよねー。
安全第一、おもしろ第二で
今日もよろしくお願いします!
あらためまして、
どうぞよろしく。
2019/05/21 09:59
あらためて、
今回のメンバーを紹介しましょう。
ほぼ日からは私、永田と山下。
総務のエイミーと
デザイン担当のまりさちゃん。
そして、
マジカル気仙沼ツアーの
メインビジュアルをつくってくださる、
デザインユニットsunuiの
片平さん根岸さん冨沢さんです。
どうぞよろしくお願いしますー!
そういうわけで
2019/05/21 08:58
いつの間に、震災から7年が経ちました。
気仙沼の街もすこしずつ復興し、
拠点としての「ほぼ日の気仙沼」は
今年の11月で「お開き」になります。
そこでもう一度、
「マジカル気仙沼ツアー」を
開催することにしました。
駆け足の説明になりましたが、
この小さいツアーをわたしたちが
再び開催するのは、
そういう経緯があるのです。
二度目の
「マジカル気仙沼ツアー」を
どういうものにするのか、
これからみんなで決めていきます。
二日間のテキスト中継、
どうぞよろしくお願いします!
たくさんのつながりが
2019/05/21 08:45
「気仙沼のほぼ日」ができて、
サユミちゃんが乗組員になりました。
さらにたくさんのつながりができ、
たくさんのコンテンツをつくりました。
気仙沼ニッティングができました。
立川志の輔さんと一緒に
さんま寄席を開催しました。
ツリーハウスをつくりました。
そして、2014年、バス1台に
乗れるだけの読者といっしょに
「マジカル気仙沼ツアー」をしました。
そんなふうにして、
ほぼ日と気仙沼は、
おもしろい関係を築いていったのです。
気仙沼のほぼ日
2019/05/21 08:31
振り返ってみると、
ほぼ日で最初に
気仙沼を取材したコンテンツは
2011年の7月に掲載されています。
震災があったあの日から、
気仙沼というつながりを見つけるまで、
ずいぶん長かったような気がするのですが、
3ヵ月後のことだったのですね。
わたしたちは、
しばしば気仙沼を訪れるようになりました。
いくつかの取材をまたコンテンツにしました。
そして、ある日、糸井が提案しました。
「気仙沼に、ほぼ日の支社をつくろう」
とくに何をすると
決まっていたわけではありません。
でも、ともかく拠点をつくろう。
場所ができれば、いろんなことができる。
反対する人は誰もいませんでした。
明るい人たち
2019/05/21 08:21
いうまでもありませんが、
気仙沼の被害は甚大でした。
壊滅的な被害、
といってもいいかもしれません。
けれども、そこにいる人々は力強く、
その出会いに興奮した小池は、
糸井をはじめとするほぼ日の乗組員たちに、
気仙沼のことを話しました。
こんな人たちがいるよ、と。
被災地のために何かしたい。
けれども、どこでなにをしよう?
そんなふうにはじまりを待っていた我々に、
その知らせはちょうどよくフィットしました。
糸井重里は気仙沼を訪れました。
そして、たくさんの
明るくておもしろい人と出会いました。
気仙沼の人たちは、糸井や乗組員たちを、
たのしくもてなしてくれました。
いろんな物資やインフラが
圧倒的に足りていない頃でした。
わたしたちが恐縮していると、
気仙沼の人たちは言いました。
「いいんだよ、ごちそうしたいのさ!」
それは縁です
2019/05/21 08:07
「なぜ気仙沼だったのですか?」
と質問されたとき、
糸井重里はいつもこう答えます。
「それは、縁です」
その縁をせっかくですから、
すこし詳しく説明しましょう。
縁をつないだのは一人の乗組員でした。
いまはほぼ日を卒業している
小池という乗組員が、
個人的な活動として知り合いとつながりながら
被災地をめぐっていたとき、
訪れたのが、気仙沼でした。
彼女は気仙沼の人たちと会い、
その強さと明るさに魅了されました。
誤解を恐れずいえば、
彼女にとって気仙沼が
「おもしろかった」のだと思います。
できることをさがして。
2019/05/21 07:57
2011年3月11日、
東日本大震災が起こったとき、
ほぼ日も少なからず影響を受けました。
といっても、何か具体的な
被害があったわけではありません。
すごく簡単にいうと、
「自分たちに何ができるだろう?」と
立ち止まって考えざるをえなかった、
という感じでした。
まずは自分たちが
やるべきことをしっかりやって、
優先順位を変えたほうがいいことは変えて、
でも、無理をせず、
できれば光の当たる明るい方へ。
合言葉は、「できることをしよう。」
糸井重里のことばや姿勢を軸に据えて、
ほぼ日は震災後の数ヶ月を過ごしました。
「できること」を慎重に手探りしながら。
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