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2013/01/09 02:06
気持ちのいいくり返し。
先日、南の島で効率よくベルを貯める、
「永田式貯蓄法」
を書いたところ、
たくさんの方から反響をいただきました。
どうもありがとうございます。
役立ちました、役立ててます、という声、
自分がやってることと同じでした、という共感、
木を切ったりするとさらに効率がいいですよ、
距離を測る目印に花を植えると効果的です、
といったアドバイスなど、
ほんとうにさまざまな反応がありました。
ゲームには、
「気持ちのいいルーティン」というものが存在します。
いえ、存在するというか、
「いいゲームには気持ちのいいルーティンがある」
といったほうがいいかもしれません。
ゲームをプレイする人が
ある一定の動作を機械的にくり返していると、
それを目撃した人から、しばしば、
「それ、たのしいの?」などと言われたりします。
はっきりさせておきましょう。
たのしんです、そのくり返し。
ただし、その気持ちのいいくり返しは、
どんなゲームにもあるというものじゃありません。
というか、それがあるかないかということが、
そのままゲームの質なのかもしれない。
そんなお話を書いてみます。
気持ちのいいくり返し、
気持ちのいいルーティンは、人によって違います。
お風呂の湯加減のように、人によって微妙に違います。
ですから、そこに正解はありません。
「効率のよさ」や「最短時間」を軸にするなら
はっきりとした答えが出ると思います。
けれども、「気持ちのいいくり返し」を命題にした場合、
答えは人それぞれです。
もっともしっくりくるのは、
その人ができるだいたいのことを試したうえで、
体感と実感をもってそこにたどり着くことです。
ぜんぶは無理でも、「こうかな?」「どうかな?」と、
ある程度のことを自分なりに試したあとで、
ああ、ここがラクだな、ここが気持ちいいな、
と定められることです。
で、さっき言った
「いいゲームには気持ちのいいルーティンがある」
っていうのは、つまりそういうことで、
「その人なりの気持ちのいいルーティン」が
定められるためには、
ゲームがよくできていないとむずかしいのです。
そもそもでいうと、なにかの目的に向かって
プレイヤーがモチベーションを保てなければ
いっさいのことははじまらないでしょう。
先の南の島の貯蓄法のことでいえば、
「ベルが貯まるとうれしいぞ」
「あれもできちゃうしこれもできちゃうぞ」
「あれをやるためにはベルがこれだけ必要だなあ」という
うれしさ、よろこび、動機が
ゲームのなかに生まれてはじめて
プレイヤーは「気持ちのいいくり返し」への
スタートラインに立てるのです。
あ、また長くなる予感がしてきました。すいません。
ちょっといろんな説明をかいつまんで急ぎましょう。
まず、「こうなるとうれしい」という目的があること。
そしてそこへ、「いくつもの道」があること。
「いくつもの道」をいくつか
「試すこと自体がたのしい」こと。
「いくつもの道」があらかじめ用意されているのではなく、
「自分が自然と見つけた道」だと感じられること。
そのまるごとのセットがゲームのあちこちに
大小いくつもあること。
そういうことがゲームのなかに
きちんと成り立っているからこそ
プレイヤーは「気持ちのいいくり返し」を
得ることができるのだとぼくは思います。
そして、そのような過程を経て得た
「気持ちのいいくり返し」をくり返すのは、
ほんとうに気持ちがいいのですよ。
──それ、たのしいの?
うん、たのしいんですよ。
だって、それをくり返すことの目的が
うれしいこととして確立しているのだし、
このルーティンは自分にフィットしていて
ラクにストレスなくくり返せるのです。
いわば、ゴールも道中もたのしいのです。
ですから、時間を費やすという罪悪感さえなければ、
うっとりとぼんやりと、いつまででも、
それをくり返すことができるのです。
『どうぶつの森』というシリーズが、
さまざまなゲームをやらなくなった人や、
そもそもゲームというものをほとんどやらない人にも
好まれて遊ばれている大きな理由のひとつは、
そういう「気持ちのいいくり返し」が
(数の多さではなく本質的な意味として)
遊ぶ人の数だけ当たり前に存在しているから。
そんなふうに言えるかもしれないと思って
これを書きはじめたのでした。
だって、「自由にしていい」じゃ遊びにならないし、
「最高の目的と最良の解答がある」なら、
たのしさやうれしさが
ゲームの腕前に比例してしまうもの。
長く書き散らかしてしまいました。
こういうことをひとりのんびり考えたりすることも
ぼくにとっての「気持ちのいいくり返し」のひとつ。
2013/01/08 20:54
カフェができたよ
わがゴッサム村にも、
ようやくカフェがオープンしました!
注文したあと、
マスターが丁寧にコーヒーをいれてくれる
静かな時間が好きです。
でも、マスターの色んな反応が見たくて、
つい困らせちゃってみたりも。
ごめーん。
熱々のコーヒーをごくごく2口で飲み干すユミエ、
舌をやけどしないのかな‥‥?
2013/01/08 20:24
鉱石
こだわりだったのに。
ハートのイルミネーションのまわりに
鉱石を並べてキラキラさせるの、
かなりのこだわりだったのに。
いつまでも
「雑草とかゴミなどの衛生面がなんちゃら…‥」
という村の評価を抜け出せずにいて、
理由がここにならべた鉱石が原因ではないかという結論に達して、
泣く泣く片付けはじめた。
そしたらなんと、
「アベック以上、カップル未満」になった。
鉱石がゴミ扱いになっているということを
実はいまさら知った。
ちょっと悲しい。
2013/01/08 19:10
改札はあけておく。
あいかわらず、
夜と土日の
だいふく村の改札は
開けっ放しだ。
そうすると、
くだものをくれる人がいたり、
たってる場所を
移動してくれる人がいたりする。
村をのぞくと
ちょっと変化があって
それはそれはたのしいものであります。
あとね、掲示板に
なんか書いてくれるのも
とても嬉しい。
2013/01/08 18:06
あっ‥‥
せっかく個人的大発見で
せっせと大きくした
雪玉が‥‥
あーーーーーーーー
らーーーーーーーーーー
らーーーーーーーーーーーーー
ラララー。
そういうこともあるね。
2013/01/08 18:01
今日の発見。
いままで雪玉を転がすときには、
必ず手に持っている道具をしまってから
コロコロしていたのですが、
たまたま発見!
道具を持ったままでも、
雪玉を転がせる!!
わーわー!
スコップだと割っちゃう可能性があるので
こわいけど、
じょろなら、いいね。
わーわー。
個人的大発見でした!
2013/01/08 17:03
できたできた
また半目だよ……。
持ち主に良く似たサユミ村長。
でも、ついに完成したんです。
博物館の2階が!
他の村で見かけた時は、
ほんとうに君に会いたかったよ、フーコ。
2階ができると展示室ができるようになるので、
ハニワを展示しました。
きっとみんなハニワ展をやってるだろうけど、
私もやります。
たまりにたまったハニワも
ついに日の目を見る事ができました。
2013/01/08 15:56
破壊と創造ね。
いわゆる。
わたくしは、
いまいちど、
打ち込む対象を
土木と設定しなおした。
そうするとあれだ、
一度、造成できた
我が村を一度破壊する
必要がでてきたのだ。
それにしても‥‥
おのを次々に壊しながら、
村の樹木を伐採する快感。
たまらん。
2013/01/08 14:46
シャイなの?キライなの?
ハナコさんから、
「スパークくんに荷物を届けて」といわれ、
こころよく引き受けました。
あれ?
でも。。。
スパークくんこんなにそばにいるけど。。
まぁ、いいか。
預かった服をスパークくんにわたしました。
スパークくんその場で着替えるほど、
きにいってくれたようです。
そのあと、ハナコさんにはなしかけると、
「で、スパークくんの反応はどうだった?」って。
ハナコさん、うしろうしろ!
うしろにスパークくんいるから〜。
直接きいたらいいのにー。
これは、相当なシャイか
実はキライかどっちかですね。
2013/01/08 14:03
ベルサイユ村のパワースポット
すがのさんからもらった
たけのこが生えてきて、
小さな竹やぶができたので、
パワースポットを作ったのだ!
木漏れ日の形が、ちょうどダイヤの形で
なんだか不思議な感じがする。
四方を竹に囲まれて、
とても落ち着く。
良いことがありそうな気がする。
明日あたりにカブ価とか高騰しそうな気がしてきた。
気持ちのいいくり返し。
「永田式貯蓄法」を書いたところ、
たくさんの方から反響をいただきました。
どうもありがとうございます。
役立ちました、役立ててます、という声、
自分がやってることと同じでした、という共感、
木を切ったりするとさらに効率がいいですよ、
距離を測る目印に花を植えると効果的です、
といったアドバイスなど、
ほんとうにさまざまな反応がありました。
ゲームには、
「気持ちのいいルーティン」というものが存在します。
いえ、存在するというか、
「いいゲームには気持ちのいいルーティンがある」
といったほうがいいかもしれません。
ゲームをプレイする人が
ある一定の動作を機械的にくり返していると、
それを目撃した人から、しばしば、
「それ、たのしいの?」などと言われたりします。
はっきりさせておきましょう。
たのしんです、そのくり返し。
ただし、その気持ちのいいくり返しは、
どんなゲームにもあるというものじゃありません。
というか、それがあるかないかということが、
そのままゲームの質なのかもしれない。
そんなお話を書いてみます。
気持ちのいいくり返し、
気持ちのいいルーティンは、人によって違います。
お風呂の湯加減のように、人によって微妙に違います。
ですから、そこに正解はありません。
「効率のよさ」や「最短時間」を軸にするなら
はっきりとした答えが出ると思います。
けれども、「気持ちのいいくり返し」を命題にした場合、
答えは人それぞれです。
もっともしっくりくるのは、
その人ができるだいたいのことを試したうえで、
体感と実感をもってそこにたどり着くことです。
ぜんぶは無理でも、「こうかな?」「どうかな?」と、
ある程度のことを自分なりに試したあとで、
ああ、ここがラクだな、ここが気持ちいいな、
と定められることです。
で、さっき言った
「いいゲームには気持ちのいいルーティンがある」
っていうのは、つまりそういうことで、
「その人なりの気持ちのいいルーティン」が
定められるためには、
ゲームがよくできていないとむずかしいのです。
そもそもでいうと、なにかの目的に向かって
プレイヤーがモチベーションを保てなければ
いっさいのことははじまらないでしょう。
先の南の島の貯蓄法のことでいえば、
「ベルが貯まるとうれしいぞ」
「あれもできちゃうしこれもできちゃうぞ」
「あれをやるためにはベルがこれだけ必要だなあ」という
うれしさ、よろこび、動機が
ゲームのなかに生まれてはじめて
プレイヤーは「気持ちのいいくり返し」への
スタートラインに立てるのです。
あ、また長くなる予感がしてきました。すいません。
ちょっといろんな説明をかいつまんで急ぎましょう。
まず、「こうなるとうれしい」という目的があること。
そしてそこへ、「いくつもの道」があること。
「いくつもの道」をいくつか
「試すこと自体がたのしい」こと。
「いくつもの道」があらかじめ用意されているのではなく、
「自分が自然と見つけた道」だと感じられること。
そのまるごとのセットがゲームのあちこちに
大小いくつもあること。
そういうことがゲームのなかに
きちんと成り立っているからこそ
プレイヤーは「気持ちのいいくり返し」を
得ることができるのだとぼくは思います。
そして、そのような過程を経て得た
「気持ちのいいくり返し」をくり返すのは、
ほんとうに気持ちがいいのですよ。
──それ、たのしいの?
うん、たのしいんですよ。
だって、それをくり返すことの目的が
うれしいこととして確立しているのだし、
このルーティンは自分にフィットしていて
ラクにストレスなくくり返せるのです。
いわば、ゴールも道中もたのしいのです。
ですから、時間を費やすという罪悪感さえなければ、
うっとりとぼんやりと、いつまででも、
それをくり返すことができるのです。
『どうぶつの森』というシリーズが、
さまざまなゲームをやらなくなった人や、
そもそもゲームというものをほとんどやらない人にも
好まれて遊ばれている大きな理由のひとつは、
そういう「気持ちのいいくり返し」が
(数の多さではなく本質的な意味として)
遊ぶ人の数だけ当たり前に存在しているから。
そんなふうに言えるかもしれないと思って
これを書きはじめたのでした。
だって、「自由にしていい」じゃ遊びにならないし、
「最高の目的と最良の解答がある」なら、
たのしさやうれしさが
ゲームの腕前に比例してしまうもの。
長く書き散らかしてしまいました。
こういうことをひとりのんびり考えたりすることも
ぼくにとっての「気持ちのいいくり返し」のひとつ。