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勉強の夏、ゲームの夏。2015

夏休みの宿題で、意外に困るのが「絵」。
いったい「絵」ってどう描けばいいのか?
「ほぼ日」の美大系乗組員ヒロセと、
芸大卒のアルバイト、あいちゃんが
実際に絵を描きながらレクチャーします。
絵にまつわる質問があったら、
上の「勉強や絵の質問をする!」ボタンから、
気軽にメールしてくださいね。

2015/08/21 10:32今日の絵の先生は‥‥。

はい、こちらは
毎年、好評をいただいている
「絵と工作」のコーナーです。

今年の先生は、こちら。
アルバイトの、あいちゃんです。

はい、絵がうまいのです。
今日は、なんか描いてもらいながら、
みなさんの相談にこたえてもらおうと思います。
どうぞよろしくお願いします。

2015/08/21 13:01あいちゃんは元芸大生。

さあ、そんなわけで、
今年の絵の先生は、あいちゃんです。

まずは、あいちゃんのプロフィールを。

「ええと、いまは、アルバイトをしています」

や、それは、いまの話で、
その、最終的な、学歴は?

「東京芸術大学、
 美術学部絵画科油画専攻です」

つまり、芸大の油絵。
ま、その方面では最高峰、と。

「いや、わかんないですけど」

まあまあ、でも、そうでしょう。
ちなみに、芸大ともなると、
何年も浪人する人がふつうですが、
あいちゃんは?

「一浪して入りました」

一浪。きっと、優秀なほうだよね。
その、落ちたときと受かったときって、
じぶんの手応えみたいなものは違った?

「あ、もう、違いましたね」

それは、なんだろう。
ほら、絵とかって、数字に表れないものじゃん?

「現役で落ちたときは、
 なんというか、受験のために
 『用意した絵を描いた』
 という感じだったんです」

んん? その、試験当日に?

「試験当日もそうなんですが、
 試験を迎えるにあたって、
 絵を用意する、みたいな感じでずっと描いてて。
 もちろん、全力でがんばってはいるんですけど、
 『これじゃダメだな』って感じで。
 うまくはまれば受かる可能性はあるけど、
 『これで間違ってうかっちゃっても困るなあ』
 みたいな感じでした」

へぇぇぇぇ。

2015/08/21 13:03現役時代となにがかわった?

現役で落ちたときは、
『受験のための絵』を勉強していたあいちゃん。
合格するために、どう変わっていったのか。

「両方必要なんですよ。
 合格するために、『狙っていく絵』。
 それと、やっぱり、『自分の絵』。
 そのふたつのバランスをとることが
 やっぱり必要なんだと思います」

それが現役のときには、できてなかった。
どうしてできるようになったんだろう。
なにか、きっかけがあった?

「はっきりしたきっかけはなくて、
 なんだろう、だんだん」

現役時代のじぶんと、
浪人しているときのじぶんと、
はっきりここが違う、っていうのってある?

「現役のときの私は、
 『目に見えてがんばる』タイプだったんです。
 誰よりも早く来て、描きはじめて、
 いちばん最後まで描く。
 それが悪いっていうことじゃないと思うんですけど、
 だんだんそれがじぶんの『しばり』に
 なっていったというか。
 ちょっと意地みたいになってたというか」

なるほど。

「早く行くのは行くでいいと思うんですけど、
 理由が必要だな、と思ったんです。
 たとえば、早く行って、観たい資料がある、とか。
 そういうことがわかってるなら早く行くべき。
 だから、『理由のある時間を過ごす』というのは
 とっても大切なことだと思います」

理由のある時間を過ごす。
ああ、それは、もう、
まったく受験に限らないことだね。

「だから、なんというか、
 現役時代とのいちばんの違いって、
 『じぶんのタイミングがつかめた』ことです」

じぶんのタイミング。

「一日の過ごし方でもそう。
 たとえばその日に1枚描きたいとすると
 最後に描き終える時間を考えて、
 そこに向かって、描きはじめる。
 じぶんの制作する時間もわかるから、
 何時にはじめればいいかもわかる。
 もし、朝早くから描かなきゃいけないなら、
 そのときは誰よりも早く行って描く。
 それが一日でも、もっと長いスパンでも、
 じぶんのタイミングがわかってきたんです。
 だから、へんながんばりかたしなくても
 大丈夫だってわかったっていうか」

それは、受験が終わってからも、というか、
いまのあいちゃんの生活とか、
生き方にも残っている?

「ああ、そうですね。
 その、じぶんがわかった、という感じは
 いまものこってますね」

2015/08/21 13:16「じぶんの絵」ってなんだろう?

「受験のための絵」はバレる、
という話をしていたときに、
もうひとりの絵の先生、
ヒロセがふらりとやってきました。

ちなみにヒロセは美大に入ったあと、
職員として「選ぶ側」に立った経験もあります。

そういう「受験のための絵」って、
パッとみてわかるもの?

「そりゃわかるよ。
 ああ、誰かのスタイルを借りてるなとか」

でも、点数が出るわけじゃないでしょ?
元の絵があって、マネしてるっていうのが
明らかにわかるならまだしも、
一枚の絵でわかるもの?

「うん」とヒロセ。
「わかりますね」とあいちゃん。

そう、あいちゃんも学生時代に
美術系の予備校の講師をしていたので
「教える側」「選ぶ側」の視点もあるんです。

あいちゃんは言います。
「この絵は、表面的につくろってるな、
 という感じでわかります。
 たとえば、ひとつの筆の跡に、必然性がない。
 どうしてそう描くかという
 理由がわかってないのに
 スタイルだけを借りてるから」

はーー、なるほど。
同意しながらヒロセが続けます。

「それはもう、
 描き込んだ量から、変わってくる。
 具体的に見えたりする」

じぶんの絵があるかないか。

「そう」
「そうですね」

ふたりとも、当たり前のように、そう言う。
いやぁ、おもしろいなぁ。

2015/08/21 13:26猫の絵を

せっかくですから、
なにか描いてもらいましょう。

なんでもいいよ、と言ったら
「じゃあ、猫の絵を描きます」と。

友だちの家のガレージに
野良猫が仔猫を生んだそうです。
それをひきとって、かわいくてしかたがない、と。

というわけで、話をしながら
のんびりと描いてもらいます。

お、出た出た、絵を描いている人の道具。

「なんだか、きたなくて(笑)」

いえいえ、かっこいいと思います。

2015/08/21 15:02うまく終わられたら。

うまく描けたかどうか。
じぶんの絵がいいかどうか。
点数もグラフもないのに、
絵を描いている人は
どうやってそれを判断するんだろう。

「うーーん‥‥表現がむずかしいんですけど、
 じぶんにとって、
 きちんと終われた絵はいい絵なんです。

 描きながら、
 『あとこことここをこうすればいい』って
 終わりが明確に見えてきて、
 そこに向かっていくような感じ。

 逆に、『どうすればいいのかな』って、
 どんどん足していくような絵、
 むしろ終わりが見えなくなっていくような絵は
 あまりよくない絵です。

 うまく終われた絵は、
 たとえ、『デキがよくない』としても、
 それは、なんというか、
 『次の絵を描くために必要な絵』だから
 活きていく絵なんです」

2015/08/21 15:08絵を読めるようになること。

じぶんの絵がうまくなってるとか、
どうやってじぶんで判断するの?
誰かに評価してもらうということは
もちろんあるだろうけど、
毎日のじぶんの絵が、描けているかどうか、
じぶんで判断するのって
むずかしいんじゃないかという気がするけど。

「線をまっすぐ引けるようになる、とか、
 そういう技術的なことは、
 やってればうまくなります。
 それはもう、とにかく、描いていく。

 それ以外の、技術的じゃないところで
 じぶんがうまくなっているかどうかは、
 『絵を読めるようになること』が
 とっても重要だと思います」

絵が読めるようになること。
それは、評価できる、というようなこと?
理解を深める、ということ?

「たとえば、絵があって、
 その絵の、『顔』の、
 とくに『目』がいい、というときに、
 なぜ、『目』がいいと思えたのか。
 
 それは、たとえば、
 『目』を際立たせるために、
 絵の中心に置いているとか、
 まわりの色がそのために調整されているとか、
 きちんと読み取ることができるんです」

つまり、理由とか、原因とか、材料とか、
そういったことを「読む」。
精神的なことでなく、どちらかというと物理的に。

「そうです。それができたら、
 じぶんが描くことに活かせます。
 そういうふうに『目』を描きたいなら、
 そこで『読んだ』ことを、
 こんどはじぶんの手で再現する」

なるほど、なるほど。
それは、あいちゃんは、
じぶんでできるようになったんですか。

「予備校に行ってるときの先生が
 あるとき、教えてくれたんです。
 私の好きなボナールの絵について、
 『この絵は、窓の向こうに風景があって
  その両端に補色を置いてるから、
  窓と、部屋全体の、
  空間がうまく表現されているんだ』って。
 あとは、コントラストのこととか、
 見ている人の目がどうしてそこに行くのか、
 ということを、ひとつひとつ‥‥」

つまりそれは、言語化。

「言語化ですね」

言語化できると、じぶんでできるようになる。

「そうですね」

それって、
いわゆる「魂で描け!」みたいなこととは、
真逆ともいえるね。もう、物理的な、技術の話。

「でも、『魂で描け!』も大切で、
 『魂で描く』もの、絵の主役のためにも、
 そのまわりにある脇役たちは
 きちんと技術で演出できたほうがいい」

あーーー、なるほど。
いや、おもしろいです!

「そうですか(笑)?」

2015/08/21 15:36旅先でササッと描くには?

さて、読者の方からの質問に
答えてもらいましょう。

「毎年夏恒例のこの企画、楽しみにしています。
 質問です。
 旅先で気になった風景、
 人々や物をササッと書きたいのですが、
 3次元のものを平面に再現するのが苦手です。
 どうすればササッと
 うまく描けるようになるでしょうか。
 (アアルト)」

ああ、旅先でササッと、わかります。
土屋耕一さんとか、伊丹十三さんとか、
和田誠さんとか、あんな感じで、
ササッと描きたいんだよね。
ほぼ日手帳とかにね。

ポイントは「ササッと」だよね。
さあ、どう答えますか。

「ええと、たとえば、どうしようかな」

じゃあ、たとえば、そこの紙コップを
ササッと描くとして。

「はい。
 輪郭なんかは、もう、ほんとにササッと。
 正確じゃなくてもいいと思うんです。
 『こんな感じ』くらいで。
 それよりは、陰影とかで、
 その『感じ』を出していく。

 大きさとか奥行きとかは
 正しく描かなくていいけど、
 たとえば、線の強弱なんかは
 きちんとつけていったほうが
 味が出ると思います」

線の強弱って?

「手前のものは濃く描く。
 遠くのものは薄く描く。
 コップも、こっち側のほうは濃く。
 向こう側を薄く描くだけで‥‥」

あああ、なるほど。

「風景を描くときも、
 形は正しくなくていいんですが、
 遠くの山は薄い線で、
 近くの自動車なんかは濃い線で描く。
 あとはじぶんの記憶が
 フォローしてくれますから、
 形よりも、線の強弱で
 そのときの『感じ』を残していく。
 人を描くときも、
 顔が似てるかどうかよりも、
 こういうふうに座ってるなっていう感じで
 ポイントポイントを描いておく」

いやあ、すばらしい。
なんか、描けるような気がしてきました。

2015/08/21 15:43猫の絵、完成。

猫の絵が完成しました。

ちなみに名前はクマ。
男の子だそうです。

「家にいると絵が描けないんですよ。
 この子がジャマしてくるので(笑)」

最後に首輪を描いて、
完成しました。
かわいいです。

2015/08/21 16:44描くことと、発表すること。

つぎの質問です。

「大学で絵を描いています。
 いま、絵を描いていられるのがうれしい。
 ただ、描くことと、みせることの
 あいだがわからないでいます。

 まわりの人たちは、コンクールに出したり、
 海外へ行く準備、個展を開いたり、
 たくさん動いています。

 描いていないとき、
 そのことをすごく不安に思います。
 その意欲が湧かず、その先にある
 『絵を売る』ことが想像できません。
 
 絵を描いていないとき、
 絵を描いていることが、とても怖くなります。
 絵を描けなくなる日がくるという
 予感がすごくあるのです。
 (はる)」

なかなか、むずかしいテーマです。
たぶん、絵に限らないことですよね、これは。
どう思いますか、あいちゃん。

「アドバイスができるわけじゃないんですけど、
 よくわかります、この気持ち。
 じぶんもこんなふうに不安になります。

 まわりが賞をとったり、留学したり、
 個展を開いたりしたら、焦ります。
 『絵を売る』というのも抵抗があったり。
 
 だけど、じぶんの絵がいくらになるんだろう、
 みたいなことは友だちと話したりするし、
 描いた絵が離れて行くのはいやだ、
 っていうような気持ちもあるし‥‥。

 だから、ほんとうに、
 このメールには共感します。

 私はいま大学を出ているので
 ちょっとだけこの方より
 知ってることが多いと思うのですが、
 大学を出たら、絵って描く必要がなくなるんですね。
 いま、大学にいるから、描く機会がある。
 でも、絵って、描かなくてもいいものですから。

 実際、私はいま、絵を描く機会が少なくなってます。
 でも、一生描かなくなるとは思ってない。
 このあときっと描くという予感がある。

 だから、この方も、
 いま絵を描くことが好きだったら、
 将来、描かなくなる時期が
 くるかもしれないけど、
 きっと描くことになるから大丈夫です。

 『描かなくなる日』は来るかもしれませんけど、
 『描けなくなる日』は来ないから。

 あと、もうひとつ。

 コンクールには出してみたほうがいいと思う。
 まったくじぶんのために描いている、
 というのではない限り、
 発表もしたほうがいいと思う。
 そうしないと、誰も絵に気づいてくれません。

 いまはコンクールじゃなくても、
 いろんな発表のかたちがあるから、
 どんなかたちでも絵を世に出してみて、
 どういう反応があるのか、見てみる。
 その反応が、
 つぎのなにかの機会につながるかもしれない」

大学時代のじぶんについて、
そういうテーマで
言ってあげたいことはありますか?

「じぶんはやっぱり、
 コンクールとか個展とか、
 そういうことに対して活発になれなくて、
 正直、ちょっと後悔もあります。

 大学時代は時間もあるし、
 大きな絵も描けたから。

 あと、やっぱり、発表して、
 『美術をやってない人の目に
  触れる機会をつくる』
 っていうのは大切だなって思います」

こういうテーマって、
いまももちろんそうだし、
あいちゃんが学生のころも‥‥。

「もう、ずっと話してました(笑)。
 そういう意味では、まだ考え中です。
 なにがいちばん納得できるのかな、って」

そういえば、奈良美智さんも、
糸井と話したときに
そういう若い頃のことを話されていました。
興味がありましたら、
以下の対談も参考になさってください。

『The Apple in My Heart 奈良美智さんの中へ、ほんの少し。』

『NOWHEREMAN IN THE SPACESHIP  ひとりぼっちの絵描き』

たとえば「この回」など。

2015-08-21-FRI