旅人にとっての北極星がそうであるように、
ピエール・バルーその人自身が、
若きアーティストにとって、
ひとつの「道しるべ」だったのではないか。
短いインタビューをまとめ終えた今、
そんなふうに思います。
詩人、歌手、俳優、映像作家、
そして欧州最古のインディーズ・レーベル、
「サラヴァ」の主宰者。
在りし日のピエール・バルーさんのお話を、
ここに、お届けいたします。
ご一緒くださったのは、妻のアツコさん。
インタビューから約2ヶ月後の昨年暮れ、
ピエールさんは、急逝されました。
わけへだてなく、誰にも開かれていて、
何よりあたたかかったお人柄が、
百分の一でも、伝わったらいいのですが。
担当は、ほぼ日の奥野です。

プロフィール

第2回 鍋を叩いて録った音楽。

──
ブラジルが素晴らしくて、
ロケが終わってもフランスには戻らず、
日曜日ごとに、
バーデン・パウエルさんはじめ
有名なミュージシャンと、
夜通し、音楽を演奏して過ごしていた。
ピエール
そんなふうに楽しくやっているうちに、
パリから電報が届いたんです。

「映画の資金が集まった。
 今すぐにロケをスタートしたいから、
 帰ってこい」と。
──
いろいろと急ですね(笑)。
で、結局、ブラジルには、どれくらい?
ピエール
ひと月半くらい、だったかな。

最後‥‥フランスへ帰る前の日の晩に、
バーデン・パウエルをはじめ、
リオのミュージシャンと、
音楽のパーティをやったんですが‥‥。
──
ええ。
ピエール
そのときに「サンバ・サラヴァ」の歌詞が、
ようやく完成したんです。
──
はい、「サンバ・サラヴァ」という曲は、
映画『男と女』の挿入歌で、
もともとはブラジル人がつくった曲で、
ピエールさんが、
フランス語版の歌詞を書いた曲ですよね。
ピエール
原曲の『祝福のサンバ』の詩を書いた
ヴィニシウス・ヂ・モライスに、
「フランス語版の歌詞は
 きみが書いてみたらいいじゃないか」
と言われたのがきっかけでね。
──
あ、そんなエピソードが。
ピエール
ただ、モライスの書いた
元の歌詞が本当にすばらしかったので、
なかなか思うように進まず、
苦労してたんですけど、
その日の晩に、やっと完成したんです。
──
ブラジル最後のパーティの夜に。
ピエール
そう、その日は一晩中お酒を飲み続け、
ひどいお祭り騒ぎで(笑)、
朝まで、できあがったばかりの
「サンバ・サラヴァ」を歌ってました。

そして、そのまま飛行場へ向かう前に、
バーデン・パウエルのアパートに
寄せてもらって、
そこで「記念に」ということで
みんなで演奏して、
オープンリールのテープレコーダーに
録音を残したんです。
──
へぇー‥‥。
ピエール
で‥‥その録音テープを持ったわたしが
飛行機でパリに着くと、
空港に、監督と兄が迎えに来ていました。

そのときに、
兄の撮った写真が、これなのですが‥‥。
──
わ、かっこいい。若き日のピエールさん。
ピエール
ふたりは
「きっと旅で疲れてるだろうから、
 家まで送っていくよ」
って言ってくれたんですけど‥‥
わたしの頭の中は、
前の晩の楽しいパーティと、
録音したテープのことでいっぱいでした。

そこで
「ここに、とても素敵な音源があるから、
 ぜひ、ふたりに聴いてほしい」
と言って、知り合いのラジオ局に寄って、
音を聴いてもらったんです。
──
そしたら‥‥?
ピエール
ルルーシュ監督は、何度も何度も
「もう一回聴かせてくれ、
 もう一回聴かせてくれ」
と、一生懸命に聴いてくれました。
──
そんなにも、何度も。
ピエール
それどころか、この曲を入れるために、
映画のシナリオまで変えてしまいました。

ロケのはじまる3日前ですよ?(笑)
──
それ、よく間に合いまいしたね(笑)。

ちなみに、さっきの写真で、
ピエールさんが手にしている箱の中に
テープが入ってるんですか?
ピエール
そう、あの写真は
「ほらほら、見て!」と言ってる瞬間。

大事なことは、そのときの音源が、
そのまま映画に使われていることです。
──
え、スタジオで録り直していない?
ピエール
そう。
アツコ
すこし補足しますと、
スタジオじゃないから音はよくないし、
そこらへんに転がっていた楽器で‥‥
楽器ならまだマシで、
パーカッションの替わりに、
お鍋だとか、ビスケットの箱を叩いて、
リズムを取ったりしてるんです。

だから、音自体はよくないんですけど、
それが、ぜんぜん気にならないの。
ピエール
わたしは、このときの音が、
その後の「サラヴァ」レーベルの50年を
決定づけたと思っています。
──
それは、どういう意味ですか?
ピエール
ブラジルで録った音がサラヴァを決めた。

つまり、リオのアパートで
みんなでアドリブのように録った音には
温かみや熱、
よろこびがこもっているんです。
──
なるほど。
ピエール
このことは、
サラヴァというインディーズレーベルの
哲学になっていると思います。
──
核になるような大切な考えっていうのは、
最初から、あるものなんですね。
ピエール
そうかもしれない。
アツコ
そして‥‥ようやく映画を撮りはじめて、
2週間くらい経ったときに、
監督が「ごめん、お金がなくなった」と。
──
あ、ここで、そこに戻る(笑)。
アツコ
はい、戻ってきました。
ピエール
(日本語で)ゴメンナサイ(笑)。
<つづきます>

2017-03-23-THU

ピエール・バルー監督による
ドキュメンタリー、再発。

サラヴァ 「時空を越えた散歩、または出会い」
ピエール・バルーとブラジル音楽1969~2003

1969年、ピエール・バルーさんが
ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで撮影した
ドキュメンタリー映像が
追悼の意味を込めて、再び発売されました。
バーデン・パウエルをはじめ
当時のリオのミュージシャンたちとの交流や、
フェスティバルのようす、サンバの踊り、
50年前のブラジルの、黄色みがかった陽射し。
この古い映像の中で、
ピエールさんとリオのミュージシャンたちは、
ひっきりなしに歌を歌っています。
ギター1本とリズムを刻める何かさえあれば、
どんな場所でも、そこに居合わせた誰とでも。
音楽って、こうして、
ひとびとの間にあるものなんだということが、
伝わってくるロードムービーです。

ピエール・バルーさん

音楽家・作詞家・映像作家・俳優・プロデューサー。
欧州最古のインディーズ・レーベル「サラヴァ」主宰。
1966年、
クロード・ルルーシュ監督の映画『男と女』に出演。
「ダバダバダ~」のスキャットで知られる
フランシス・レイ作曲の主題歌で作詞と歌も担当。
同映画で、カンヌ国際映画祭グランプリ受賞。
さらには
米国アカデミー賞やゴールデン・グローブ賞はじめ、
世界各国で「41」もの映画賞を受賞。
サラヴァでの活動を軸に、
音楽や映画、出版の分野で多くの作品を生み出す。
ピエールさんに見込まれて、
パリの自宅に住まわせてもらったアーティスト、多数。
レ・ロマネスクのおふたりも
パリの下積み時代に、お世話になっていたとか。
2016年、東京で「サラヴァ」50周年記念展を開催。
2016年12月28日、パリにて急逝。
ピエールさんは、さいごまで、
つまり、倒れ救急車で搬送されながらも、
歌を、歌っていたそうです。

今回のインタビューに同席くださったのは、
奥さまのアツコ・バルーさん。
フランス留学の経験があったことなどから
日本ではたらいているときに、
来日中のピエールさんと知り合ったそうです。
今回のインタビューでは通訳をお願いしつつ、
アツコさんにも、たくさんお話していただきました。