その6 世界をとらえるか、世界と向き合うか。

 
Nikon D3 + 180mmf2.8
アフリカ・ケニアにて

赤十字社の仕事で、
電気もガスも水道もないある村を訪れた時、
その地は、様々な問題を抱えていながらも、
かわいい子供たちがたくさんいました。
この写真は、そんな彼らと
言語のない笑顔で会話をしながら、
少しずつうちとける事が出来て、
とても自然な関係で撮影出来た1枚です。
こんな風にはにかみながら、
まっすぐカメラを見つめる彼女。
とてもかわいいですよね。
そして、後ろのボケ味がどうのこうのよりも、
まっすぐと向き合っている、
まさに「一眼レフ」な一枚かもしれません。

 
  レンジファインダーと一眼レフは、
どう違うのですか、
という質問を受けることがあります。

もちろん、ファインダーの構造がまるで違うのですが、
そのことで、カメラとしての使い方も、
当然のことながら、違ってきたりします。
なるべく簡単な言い方をすると、
レンジファインダーは「世界をとらえる道具」。
一眼レフは「ものを凝視する道具」です。

野球の喩えで申し訳ないのだけれど、
被写体をひとつの“ボール”にたとえると、
レンジファインダーは、
高く上がったフライを捕りに行くカメラ。
一眼レフは、前のめりに、捕れるか捕れないか、
わからないところまで、グーッと向かっていくカメラ。
といったような印象があります。

英語で写真を撮ることを
「shoot」(シュート)と言います。
この言葉は「銃で撃つ(狩猟をする)」
「ゴールを狙う」「質問を向ける」
「突き進む、噴き出す」「写真・映画を撮る」など
いろいろな意味がありますが、
いずれも、力が自分から対象にまっすぐ向かっています。
一眼レフは、まさしく、shootのイメージです。

 
Leica M3 + Elmarit28mmf2.8 / Film: Kodak Tri-X

アイルランドにて
走っても、走っても、次から次へと現れる小さな湖。
そんな湿地帯の中を彷徨っていると、やがて夕暮れ。
低く立ちこめた雲間から光が射してきて、
湖面を反射しながら、
目の前はやわらかい光に包まれました。
そんな光をとらえたくて、深呼吸をするように
ゆっくりとシャッターを切りました。

 
  いっぽう、レンジファインダーの場合は、
「take」がぴったりくるような気がします。
じっさい英語で「スナップを撮る」は、
shootを使わず「take a snap」と言ったりします。
ニュアンスとしては「受け止める」に近い。
世界のありようを、そのカメラで受け止める、
そのことに対しての感動があります。

じつは先日、ある人から、
こういうふうに言われました。
「いつの日か、一眼レフで、
 ちゃんと写真を撮ってみたいと思っていたんです。
 そしてようやく、今回、買ったんですよ」。
そして見せてくれたのが、
いわゆる「ミラーレス一眼」と呼ばれるカメラでした。

じつは僕はよくわかっていないのです。
なぜ、あの機種が「一眼」と呼ばれるのかがわからない。
たしかに、構造上、ミラーがないから「ミラーレス」。
そしてレンズがひとつだから「一眼」なのかもしれない。
けれどもそれを言ったらデジタルカメラは
全部が一眼レフと言ってもよいことになります。
ミラーがないことをミラーレスと言うなら
iPhoneだってミラーレスって言えるわけで、
どうやら、「ミラーレス一眼」という言葉自体が
あやふやなものらしい。

そうして、その発言について僕が思ったことに、
もうひとつ、こんなこともありました。
「そうか、まだまだ、
 『いいカメラ = 一眼レフカメラ』
 っていう認識があるんだな」。

画質が一眼レフと同じくらいいい、
と言われるけれど、個人的には
レンズアダフターのようなものもたくさん出ているので、
それを使用して、それこそライカのレンズを
使用出来るなど、
“ならでは”の楽しみ方もたくさんあるのですが、
(あくまでも、ぼくにとっては、というお話です)
「ミラーレス一眼」と呼ばれるカメラは
ちょっと使いづらいと感じてしまいます。
その理由は、カメラ本体が小型軽量化されているのに、
よいレンズには大きくて重いものが多いから、
どうにもバランスがわるい。
鏡筒を左手で支え、右手でシャッターを押すには、
ファインダーがあれば、
脇を締めて、カメラをグッと顔に近付けて、
ファインダーを覗いたほうが固定できるのですが、
液晶モニターのみで確認するカメラで
フレーミングやピントなどを目視するには、
必然的に脇を開いて手を伸ばすことになります。
それは写真を撮る姿勢としては、
たいへん不安定な状態になるわけです。
そのせいか、最近では手ブレ補正が進化しているのも、
考えようによっては、不思議な進化ですよね。

また、「ミラーレス一眼」を
首からストラップで下げると、
レンズの重さで前に傾いでしまいます。

いっぽう、一眼レフカメラは、
ファインダーを覗いて撮るのが前提ですから、
脇を締めて持ちますし、
重さはあるけれども、バランスもいい。
そのほうが、ぼくにはやっぱりなじみがあるのです。

そこで最初の話に戻ります。
一眼レフは「shoot」するカメラ。
物をしっかり見る、しっかり向かい合うみたいな時には、
一眼レフが向いていると思います。
けれども、「ミラーレス一眼」は、
同じ「一眼」といっても、向かい合うというよりは、
どうしても「どう写すか」の感じが
強くなってしまうようで、
そういう気持ちには、どうしてもなれません。

「いまは、電子ビューファインダーがありますよ」
というふうにも言われます。
けれども、これはもうほんとうに個人的な気持ちなので
別段違和感を感じない人もいるのでしょうけれど、
電子ビューファインダーに入っているのは、
いわば、ちいさなテレビ。
やはり、そのテレビを見ながら
「shoot」の気分にはならないのです。
ロボコップやターミネーターみたいな映画では、
モニタでキャプチャした対象を攻撃するわけなので、
じゅうぶん「shoot」なのでしょうけれど、
ぼくはまだまだターミネーターにはなれそうにありません。

 
FUJIFILM X100 2012年6月撮影

あの震災から一年ちょっとの岩手県山田町の海。
ちょうどその頃に発売された「X100」の
「Made in Japan」という刻印が、
誇らしげで、うれしかったので、
さっそく手に入れて、
ようやく始まった“カキの養殖”を撮影しました。
そこに未来があるようで、うれしかった、
大切な一枚です。

 
  そんななか、富士フイルムが出したカメラ「X100」などの
ハイブリッドビューファインダーというのは
ちょっとおもしろいなと思っています。
これは光学とデジタルをミックスしたもので、
ファンダーを覗くときは光学、
目を離すと、センサーが関知して、
液晶モニターが点く。
光学ファインダーにもデジタルの情報が出たりして、
このハイブリッドはすごいぞと思いました。

ともあれ、「ファインダーがあるか・ないか」で、
ものの見方は変わります。
たしかに、撮像だけを考えれば
「一眼」なのかもしれないけど、
撮影者にとっては、「ミラーレス一眼」は
一眼レフカメラとは違うものだと思ったほうがいいと
僕は考えているのです。

もちろん「ミラーレス一眼」ならではの
写真の楽しみだってたくさんあると思います。
ただ、被写体と自分の間に、
まるで“一本の線”を描くように
まっすぐと向かい合うことで、
「見えてくること」そして
「感じてくること」がたくさんあります。
そして、それらは写真にとってとても大切なことであり、
なによりも「写真を撮る」楽しみに
大きな魅力のひとつです。
きっと、そんな写真を生み出す可能性の高いカメラとして
 『いいカメラ = 一眼レフカメラ』
というイメージが生まれたのではないでしょうか。

というわけで、まずはどのカメラでもかまいませんので、
まっすぐと向かい合ってみませんか。
そのことで、きっと最適なカメラが見つかると思いますよ。


 
Nikon F2 + 35mmf1.4 / Film: ILFORD FP4

ヴェネチアのサンマルコ広場の回廊にある列柱。
多くの観光客で賑わう昼間とはうって変わって、
夜になると、その柱たちは俄然その存在感を現し、
堂々とその場所に存在しています。
同じ時代に、同じ材質でつくられたにも関わらず、
ひとつとして、同じ表情をしているものはありません。
それはまるで、人間のようですよね。
そんな思いで、撮影しました。
 
2013-10-10-THU
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