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第48回 もう一度、改めて
     モノクロで撮ってみよう。



写真の中で、キラキラ光っているのは、水面に反射した木漏れ日です。
そのうつくしい様子もさることながら、モノクロで撮ることで、
そこにある植物たちと、それらをつつみこむように降り注ぐ光たちとが、
まるで、響き合っているかのように見えました
(クリックすると拡大します)


第26回「黒にも、いろんな黒がある。」の回で、
写真にとって、黒という色がもっとも大切な要素なので、
そのことを知るためにも、
たまには、モノクロで写真を撮ってみよう、
というお話しをしました。
今回は、もう少し具体的に、
モノクロの使い方と、その理由について
お話ししたいと思っています。

色のあふれる世界を、
モノクロで切り取る意味って?


普段、ぼくたちが暮らす世界は、
多くの色で満ちあふれています。
その中には、自然の色もあれば、
今では、人工的に生み出された色も
たくさんありますよね。
それでも、特に自然界に限っていうならば、
今の季節というのは、おそらく一年の中で、
もっとも色の少ない季節、
ということが言えるのかもしれません。
だから、そんな季節の中に存在する色彩に対して、
ぼくたちは、他の季節以上に
敏感に反応することが、出来るような気がするのです。
たとえば、最近だったら、生け垣の椿であったり、
静かに咲き始めた梅の花だったりにしても、
他の季節であれば、今ほどは
目に止まらなかったりするのではないでしょうか。

ところが、おそらくみなさんも
そんな印象的に感じたはずの被写体に対して
カメラを向けて撮影したとき、
予想以上に、その印象が写らない、
という経験があるのではないでしょうか。
もちろん、特に写真の場合は、その光源によっても、
色というのは、大きく左右されてしまうものですが、
多くの原因は、もっと別のところにある場合が
多いのではないかと、ぼくは思うのです。
それは、ぼくたちがいつも写真を撮るときというのは、
“あっ”っと、何かを感じて、
シャッターを切ることが多いと思うのですが、
そんな瞬間というのは、
具体的に考えてみると、その目の前における光景の
ちょっとした陰影に反応している場合が
多いのではないでしょうか。
たとえば、目の前に「おいしい料理」があったとしても、
「おいしそうな状況」になかったとしたならば、
なかなか、おいしそうには見えませんよね。
もちろん、一緒に食べる人たちの状況にもよりますし、
どの方向から、どんな角度で見るかによっても、
その印象は変化していきます。
そんなふうに、ものごとは、
ちょっとした見方の角度が変わるだけで、
大きくその印象を変えていきます。
そして、カメラと一緒に
そんな場所を探してみるというのも、
それはそれで、なかなか楽しいものです。

モノクロ撮影は“ものを見る”
すばらしい練習。


そこで、より印象的な写真を撮るためにも、
“ものを見る”練習だと思って、
少しの間、集中的に、モノクロで
写真を撮ってみて欲しいと思っています。
そうやって一度、色彩という、ぼくたちの目にとって、
もっとも刺激的な情報をなくしてみることで、
だから、余計に際立ってくることも、
実はたくさん見つけることが出来るはずです。
最初のうち、モノクロ写真というのは、
何となくノスタルジックに見えたり、
やもすると、少しさびしい印象を受けるかもしれません。
しかし、そんな撮影を繰り返していくうちに、
今度は、たとえカメラを持っていなかったとしても、
写真になっていない状態であったとしても、
簡単に、色彩のない世界に
頭の中でイメージを変換できるようになってきます。
すると、そのことで、ものごとに対して、
色彩の情報がない状態でも、
とても敏感に、反応することが出来るようになるはずです。
そして、そのことは、
“ものを見る”
“写真を撮る”という行為の中においては、
“しっかりとものを見る”
“はっきりと写真を撮る”ということにもなるのです。

そのためにも、一番わかりやすい方法として、
光そのものを、追いかけてみて欲しいと思っています。
たとえば、何かが“キラッ”と光っていたら、
そこにカメラを向けてみるのもいいでしょうし、
影そのものに、着目してみるのもいいかもしれません。
とにかく、光っていたり、
陰影がはっきりしているものに、
カメラを向けてみてください。
それらを、モノクロで撮ることで、
そこには、その時の光の状態は、
ほとんどの場合、カラー写真以上に、
しっかりと確かめることが出来るはずです。
そして、おそらくみなさんにとって、
そんな写真の中から、光の描写以外のことを
感じることが、きっとあるはずです。
しかも、多くの場合は、
それこそが、“本当に写してみたいもの”
だったりするのではないでしょうか。

そして、そんなことが、何となくでもわかってくると、
自然とものの本質みたいなものも
はっきりとしたかたちで、浮かび上がってくるのです。
そして何よりも、そういったことは
決して特別なことではなく、
おそらく実は、誰にとっても
最初からわかっていることなのではないでしょうか。
それでも、それがしっかりと写ることで、
改めて、信じることが出来るようになるでしょうし、
それが少しでも写るようになれば、
きっと、写真を撮ることだって、
どんどん楽しくなっていくはずです。

ですので、その準備としても、一度だまされたと思って、
モノクロ写真を、撮りまくってみて下さい。
すると何よりも、そんな写真をたくさん撮ることで、
今まで見過ごしていた光の状態だって、
細やかに確かめることも出来るでしょうし、
むしろ同時に、色彩に対しても、
今まで以上に、敏感になれるはずなのです。
なぜなら、以前にもお話ししましたように、
この色彩だって、光が生み出しているものなのですから。



サバンナの中で、寄り添うように立っていた二本のアカシアの木。
この写真も、モノクロで撮ることで、その木の表情と有り様が、
よりいっそうつよい存在感を持って、写ったような気がします。
(クリックすると拡大します)



どちらかというと色彩の少ないこの時期に、
デッサンを描くように、もう一度、改めて
モノクロ写真を撮ってみましょう。
それは“ものを見る”すばらしい練習になるはずです。
そしてその練習は、かなりおもしろいはずですよ。


次回は、
ついに3月で、国内の発売が終わってしまう
世界初のカラーフィルム「コダクローム」、
についてお話しします。お楽しみに。


2007-02-16-FRI
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