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【“写真を観る”編 第9回】
エドワード・ウェストン (1886〜1958)
Edward Weston



ぼくの暗室に、学生時代からずっと置いてある、
ウェストンが、晩年撮影を繰り返した「Point Lobos」のポスター。
(クリックすると拡大します)


写真家エドワード・ウェストンは、
“写真を観る”編 第6回でお話しした
アルフレッド・スティーグリッツが
“現代写真の父”だとするならば、
今回お話しするエドワード・ウェストンは、
そのスティーグリッツが作り上げた新しい価値観の中で、
現在の写真の、基本となるすがたを
確立した写真家ではないかと思われます。

17歳で世に出たウェストン。

エドワード・ウェストンは、
1886年、アメリカのイリノイ州ハイランドパーク
というところで生まれます。
そして10歳の時に、カメラを手にしたウェストン少年は、
何と17歳の若さで、あの写真のコレクションで有名な
シカゴ美術館に、写真作品が展示されています。
当然、ウェストン少年は、
むしろそれは当たり前のように写真家を志します。
そして1911年には、カリフォルニアのグランデールに
写真館を開き、プロ写真家としての道を進みます。
当初は、当時スティーグリッツらが進めていた
“ピクトリアスム”の影響もあってか、
絵画的な写真を撮影しています。
しかし、そんな写真に疑問を感じたウェストンは、
やがて、日常の風景の中に魅力を感じ、
近所の工場の煙突や、公園の風景などといった
現実のモチーフたちを、絵画的な撮り方ではなく、
むしろ、よりいっそうストレートに、シャープに、
撮影するようになっていきました。
しかも晩年には、1922年以前のネガをすべて、
処分してしまうのですから、
「写真というのは、プリントのプロセスで
 絵画的に仕上げていくようなものではない」という、
とても強い覚悟のようなものが、
そこにはあったのかもしれませんね。
そして1923年には、メキシコに移住し、
現地の写真家でもあった、ティナ・モドッティと共に
新たにスタジオを設立し、
彼女と共に、メキシコの民俗芸術運動に影響を受けながら
独自の写真へのアプローチを繰り返していきます。


図録「芸術としての写真ーシカゴ美術館コレクションよりー」展の図録より
左:「Pepper No.30 1930」右:「Nude 1936」


中でも、ぼくも個人的に大好きな写真でもあるのですが、
エドワード・ウェストンのもっとも有名な写真
「Pepper No.30」に代表されるような、
ピーマンなどの野菜や、貝殻などの
自然物の造形美を追求した一連のシリーズが、
世界的に、大きな評価を確立していきます。
そうやって、17歳で美術館デビューを果たした写真家
エドワード・ウェストンは、
世界的な写真家となっていったのです。

それでも、ウェストンの創作意欲は、
最後まで、おとろえることがなかったのです。
1929年には、カリフォルニアのカーメルに移住し、
一枚目のポスターの写真が撮影された
ポイント・ロボス岬などを精力的に撮影し、
1932年には、アンセル・アダムスらと共に
写真家グループ「f64」を結成します。
たしかに「f64」は有名なグループですが、
個人的には、ウェストンの写真と
アンセル・アダムスの写真は、
まったく、異なった印象を感じています。
おそらく、アンセル・アダムスの写真は、
ものごとの情景だったり、質感を、
賢明に技術を駆使して、写し出そうとしていますが、
ウェストンの写真を観ていると、
そんなことよりも、彼が写そうとしていたものは
むしろ、そういったものごとが、
“そこに、こうやってある理由”を、
ひたすらに、見つめ続けることで
写し出そうとしているように思えてならないのです。
その点でも、他の「f64」のメンバーの写真とは
明らかに、一線を画しています。

とにかくウェストンという写真家は、
生涯、病の中においても、最後まで、
この世の中に存在する、あらゆるものごとに対して、
しかも、自身の日常の中に、
それらが存在していることに、
大いなるよろこびと、畏敬の念を持って、
自らの写真を撮り続けていったのではないでしょうか。
そして、そのことが、やさしい眼差しと共に
“一枚の写真”の中に、しっかりと写っているのです。
だからこそ、エドワード・ウェストンという写真家は、
当時はもちろんのこと、おそらく今現在でも、
多くの写真家の憧れなのです。

もちろん、ぼくもその中のひとりです。
ぼくが、ウェストンの写真をはじめて観たのは、
大学4年生の時に、大阪で開催された
「芸術としての写真
 ──シカゴ美術館コレクションから──」
という展覧会でした。



今から考えても、この展覧会は、すごい展覧会で、
今までもお話しした、ダイアン・アーバスや、
ウジェーヌ・アッジェなどの写真家はもちろんのこと、
それまでに生まれた、数多くのオリジナル写真が、
一堂に会していたわけですから、
当時、大学4年生だったぼくは、
とても大きな衝撃と共に、改めて写真というものの
すばらしさを、体感することの出来た
展覧会でもあったのです。


たった一枚のピーマンの写真。

中でも、エドワード・ウェストンの写真は、
他のどの写真にも増して、圧巻でした。
ちょうど、この図録にあるように、
ピーマンの写真と、ヌードの写真が、
並んで展示されていました。
そのプリントの美しさもさることながら、
ぼくは、その写真を観て、
「ピーマンと人間は、同じだ」ということを知りました。
たしかに目の前にあるのは、
“たった一枚のピーマンの写真”と、
“たった一枚のヌードの写真”なのですが、
観れば、観るほどに、同じものに見えたのです。
そして、もしかしたら、この世の中にあるものは、
「すべてが、どこかでつながっているのかもしれないな」
と思うことが出来たのです。
そして、そんな風に“たった一枚の写真”が、
時には、この世の、宇宙そのものにまで
つながっていくことが出来る“写真”というものが、
そのおかげで、信じることが出来るものとして
大好きにもなりましたし、
それを導くことが出来る、
エドワード・ウェストンという写真家を、
今でも、心から尊敬しています。
なぜなら、ウェストンのように、
とにかく、まっすぐにものごとと向かい合って、
見つめ続けることが出来たならば、
余計な、小手先の表現などしなくたって、
自然と表現されるものだってある。
という、大切なことを知ることが出来たからなのです。
たしかに、エドワード・ウェストンの写真は、
今となっては、古典的な写真のお手本として
見られたり、語られたりすることが多いのですが、
ぼくは、けっして古典的な写真ではないと思っています。
むしろ、強いて言葉にするならば、
“もっとも写真的な写真”なのではないでしょうか。
ですので、少しでも写真というものに
興味を持たれた人たちには、
ぜひとも、観ていただきたいと思っています。
そして、機会がありましたら、
当然、ニューヨークのMOMAにも、
シカゴ美術館にも、いつでも展示してありますので、
そのオリジナルプリントを観て欲しいと思っています。
すると、おそらく誰もが、その写真の中から
“実物以上の実物”を、見つけることが出来るはずです。
ぼくは、もしかしたらそれこそが、
写真の最大の魅力なのではないかと、思っています。




写真家を知る3冊



『Edward Weston: 1886-1958』

現在入手可能な、ウェストンの決定版的な写真集です。
ちょっと厚手ながら、見応えもあり、
ウェストンの、すべてを知ることが出来る一冊です。



『Tina Modotti & Edward Weston:
The Mexico Years』


ティナ・モドッティと共に過ごしたメキシコ時代の
写真を集めた写真集です。
ちなみに、この中にも掲載されている
『Tina Modotti's hand Against Kimono,1923』は
2000年にサザビーズのオークションで、
39,218,750円で落札されています。



『Edward Weston: Forms of Passion』

まさにこのタイトルが、
エドワード・ウェストンの写真を言い当てているようで、
ぼくの、お気に入りの一冊です。



【おまけ】
『Edward Weston:fifty Years』

現在は、絶版になっていますが、
1952年に、息子のブレット・ウェストンが監修し、
50周年を記念して出版された写真集。
オリジナルは、異常な高値が付いていますが、
1973年に、再版された写真集は、
たまに古本で出てきますので、
見つけたときには、ぜひとも手に入れてほしい一冊です。



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2007-02-09-FRI
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