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【“写真を観る”編 第8回】
ウジェーヌ・アジェ
Eugene Atget(1857〜1927)



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前回は、いろんな意味でとてもかっこいい写真家
「ロバート・キャパ」の話をしました。
今回は、そんなキャパとは対極的に、
生涯、しかも自らの意志を持って、
社会とは隔絶した世界の中で、
ひたすらに写真を撮り続けた写真家
「ウジェーヌ・アジェ」のお話をします。

表現を捨てた「写真屋」のうつしたパリ。

アジェは、1857年フランス・ボルドー地方の
馬車製造職人の家に生まれます。
しかし、幼くして両親を亡くし、
その後、水夫をしながら首都パリに行き、
国立演劇学校で演劇を学びます。
やがて、役者にはなるのですが、
好きで描いていた絵画同様に、
なかなかうまく行かなかったようです。
そこで、彼は当時としても旧型のカメラを手に入れ、
「芸術家のための写真屋」という看板をかかげ、
その言葉のとおりに、一切の自らの表現を捨てて、
ただひたすらに、パリの街を撮り続けたのです。

そんな風にたんたんと撮り続けているにもかかわらず、
改めてアジェの写真をよく観てみると、
けっして、それは
「挫折のあげくに撮っている写真」では
ないように思うのです。
たしかに、にこにこ笑いながら
撮っている感じはしませんが、
少なくとも、そこにはしっかりと意志を持った
眼差しを感じることが出来ます。

しかも、晩年になればなるほど、
アジェの眼差しが、以前にも増して
生き生きしていくのが、
写真を観ていても、よくわかります。
もしかしたら彼は、写真を撮り続ける中で、
“ほんとうの仕事”を見つけていったのかもしれません。
やはり写真というのは、
撮影者自らの目が楽しむことが出来て、
尚かつ、そこに新たに好奇心のようなものが
生まれた瞬間に、時には、
その目的を超えたところで、
とつぜん、かがやきを見せるものなのかもしれません。
だから、前回お話ししたキャパの写真のように、
たとえそれが“報道写真”であったとしても、
あるいは、それが“広告写真”であったとしても、
同じようなことが、起きるのではないでしょうか。

そしてぼくは、アジェの写真を観るたびに、
その写真から、アジェという写真家の
“パリの街を撮る”という、
つよい意志と、その必然のようなものを感じます。
では、なぜ彼はパリの街を撮り続けたのでしょうか。
おそらくアジェは、ある時から、
自分自身が何かを表現しようとすることよりも、
目の前にある被写体と向かい合うことで、
きっと多くのことを感じることが出来るようになって、
表現という方法以上に、
“パリの街を撮る”という写真行為の中に、
自らの居場所を見つけていったのではないかと思うのです。
そして彼は、生涯その中をさまよい続けました。
だからこそ、彼にとっての主役は、
いつだって被写体でもある、
パリの街そのものだったのかもしれません。

パリの街というのは、
今でもとてもうつくしい街なので、
誰が撮っても、それなりにうつくしい写真が
撮れるには、撮れるのですが、
その分、誰が撮っても同じ写真になってしまうのです。
現にぼくも、何度となく撮ってはいるものの、
いまだに自分なりのパリは、
一枚も撮れていないように感じています。

同じようなことが、
京都にも当てはまるかもしれません。
それこそ、京都にも多くの観光客が訪れて、
多くの写真家がカメラを向けていますが、
どの写真も同じように“うつくしい写真”だったりしますよね。
しかしアジェのパリの写真は
他のパリの写真とは、明らかに違います。
とにかく、そのすべてが、
どこからどう見ても、アジェならではの写真なのです。

たとえその写真が過去のものだったとしても、
アジェの写真の最大の魅力は、
こうやって“写真を観る”だけで、
パリという街に行ったことがある人も、
行ったことがない人も、
きっとその写真を観たすべての人々が、
その時代のパリという街の中を
想像の中で、散歩できることなのではないでしょうか。
そんな写真はそれほどたくさんありません。
だからこそ、アジェという写真家は、
いまだに特別な写真家なのです。

写真にうつりこむ、時を超えた気持ち。

アジェのように
何かを伝えようであるとか、
何かを表現しようなどと、
いっさい考えていなかったとしても、
“きっとこの日は、気分がよかったのかも”とか、
“この写真を撮ったときは、何か悩んでいたのかも”
といった具合に、一枚一枚の写真を観ていると、
アジェ自身が何を見て、
どう感じたのかということさえも、
しっかりと伝わってくるわけですから、
やはり、写真というものの中には、
まだまだ、たくさんの秘密とたのしみが、
ひそんでいるのかもしれませんね。

たまには、そんなアジェの写真を観ながら、
ぜひとも、お散歩気分を味わってほしいと思っています。
そして、もしも気が向いたら、
あなたのお気に入りの街にふらりと出かけて、
気になった場所があったときは、
その場所に、しっかりと足を止めて、
あらためて、アジェのように
いい写真を撮ろうなどという欲も捨てて、
ただ、まっすぐにその街並みの表情を、
ゆっくりと写してみてください。

すると、かならずと言っていいほどに、
あなたにとってその街が、その場所が、
どんな街なのか、どんな場所なのかということを、
少しだけ知ることが出来るはずです。
そして幸運にも、もしもあなたにとって、
その場所が、少しでも前より好きになれたとしたら、
きっと、今までよりも少しだけ安心しながら、
その場所を歩くことが出来るようになっているはずです。
しかも、その中で撮る写真というのは、
きっと、いつだって、どこだって、
とても居心地のいいものになっていくはずなのです。
だからこそ、アジェが写したパリの写真は、
いつ観ても、こちらの目もいっしょになって
楽しむことが出来るのではないでしょうか。
だからぼくは、そんなアジェの写真が大好きです。


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写真家を知る3冊



『Atget Paris』

何といっても、アジェと言えばこれです。
しかもこの写真集は、とても編集もすぐれていて、
下手な思い入れも一切排除して、
パリの地図があって、写真があってといった具合に、
それこそ、パリを訪れるときに
この写真集を観ながら、
お散歩なんていうのも、なかなか楽しいですよ。
この写真集を観ると、街が生き物だということも
よくわかります。
(この本は、現在絶版中ですが、
 今月12月に、新装版が出るようです。)



『Atget: Paris in Detail』

とにかく、この写真集は「うつくしい」
の一言に尽きます。
その印刷の質の高さもさることながら、
アジェという写真家の美意識の高さを
再確認することが出来る一冊です。おすすめです。



『Eugene Atget: Unknown Paris』

この写真集は、それこそパリの中でも
どちらかというと、たとえば名もない公園の
何げない瞬間を写した写真が編集されています。
むしろ、そのことで
「写真家ウジェーヌ・アジェ」その人を
感じることが出来るのです。


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2006-12-22-FRI
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