#06ピーター・ティールの講演:グローバリゼーションとテクノロジー

最後になりますが、
さらに大きな「逆説的な話」をお話しします。
ひょっとしたら、共感してくれる人はほんの一部で、
多くの人は同意してくださらないかもしれません。

もしも、21世紀において大成功をおさめたいなら、
「グローバリゼーション」と「テクノロジー」が
必須だといわれています。
グローバリゼーションの拡大、
そしてさらなるテクノロジーの進化。
どちらも成功のために欠かせない要素です。
そこでは、グローバリゼーションとテクノロジーは、
ほぼ同意語として使われています。
しかし私は、それぞれ大きく違うと考えています。

「グローバリゼーション」というのは、
「1からnへの拡大」です。
つまり、実際に機能しているものをコピーし、
それを水平に展開することです。
タイプでいうと、グローバリゼーションというのは、
「広げていく進化」だと考えることができます。

一方、「テクノロジー」というのは、
「0から1を生むこと」です。
つまり、新しいことをスタートさせること。
テクノロジーというのは、タイプでいうと、
集中的に「深く掘っていく進化」だと考えています。

19世紀は、グローバリゼーションが非常に進みました。
それに加えて、テクノロジーもたいへん進化しました。
西側諸国では間違いなくそうでしたし、
また、日本を見てもそうです。
日本は1850年から1914年にかけて世界とのつながりを深め、
技術的にも大いに発展しました。
つまり、19世紀にはグローバリゼーションと、
テクノロジー進展の両方があったんです。

しかし、1914年に第一次大戦がはじまると、
グローバリゼーションは逆行します。
貿易量は落ち、各国のつながりは弱くなり、
一部の国は共産主義となって
世界に対し距離をおくようになりました。
しかし、テクノロジーは
その後も数十年に渡って急速に進歩しました。

そして、私の見解では、1970年代の初頭から、
グローバリゼーションが再びスタートします。
1971年にキッシンジャーが訪中したことが
契機だと私は思っていますが、
グローバリゼーションはこの40年間、
すさまじい速度で進化してきたのです。

しかしながら、この40年間、
テクノロジーはあまり進化していません。
たしかに、コンピューター、インターネット、
モバイル、情報技術といった分野は進化したと思います。
しかし、1950年代、1960年代に比べると、
そのテクノロジーの進化は
物足りないというふうに私は感じています。
1950年代や1960年代において、
テクノロジーの進化と言えば、
多分野にまたがる大規模なものでした。
たとえば宇宙旅行、音速で飛ぶ飛行機、海中都市、
グリーンレボリューション、新しい医療技術、
医薬品、農業、食品、そして、新しいエネルギー。
たしかにコンピューターやITの分野は進化しましたが、
それ以外の分野での進化は限られていたというのが、
この40年間だったと私は思います。

まとめると、19世紀というのは、
グローバリゼーション、テクノロジーが進んだ時代です。
そして、この100年間について言うと、
1914年から1971年にかけては
テクノロジーは進みましたが、
グローバリゼーションは進んでいません。
逆に、1971年以降は、
グローバリゼーションは進みましたが、
技術というのはそれほど進化していない。

これを、文化的な側面から見ると、
「いまの私たちの社会は、
 科学や技術の進化に対して
 非常に敵対的である」
ということがいえると思います。
これは、とくにアメリカ、
そして西側社会においてその傾向が強い。

たとえば、人気のSF映画にはそれが端的に表れています。
それら映画の世界において、
「技術」というのはうまく機能しないもの、
世界を破壊し、人間を殺害するようなものとして
描かれています。
将来、ディストピアを導くもの。
それが科学や技術の進化です。
『アバター』や『エリジウム』、『マトリックス』、
そして『ターミネーター』といった作品では、
ロボットが人間を殺戮する社会が描かれています。
『ゼロ・グラビティ』は、宇宙ステーションで
すべてがうまくいかなくなってしまう映画でした。
あれを観たら、宇宙には絶対行きたくない、
どこかで泥んこになっていた方がましだ、
そんなふうにみんな思ってしまいます。

しかし、ハリウッドを責めるのは筋違いです。
なぜならハリウッドは、
私たちの広範な文化というものを
いつも映画に反映させるからです。
つまり、私たちの社会は、本質的に、
「変化に対する恐怖」
「未来に対する懸念」に満ちあふれているのです。

社会のごく一部に、科学や技術の進化を
進めようとする動きがあったとしても、
それは、いまの社会においては
カウンターカルチャーに過ぎません。
さまざまな形で科学や技術の革新が語られていますが、
じつは、いまの社会においては、
科学や技術の進歩は「敵」である。
そんなふうに私は考えています。

このテーマを地政学的な観点から考えてみましょう。
1950年代から1960年代にかけては、
世界を、いわゆる「第一世界」、
そして「第三世界」というふうに分けていました。
第一世界というのは、技術的に進んでいて
さらに進化を続けているところです。
第三世界というのは、
混乱から抜け出せなかったところです。
つまり、「テクノロジーの進化」
ということを軸にした二分法だったのです。
「グローバリゼーション」を軸にした
考え方ではありませんでした。

ところが、2015年の現在においては、世界は、
「先進国」、「発展途上国」というふうに分けられます。
途上国というのは先進国を追って発展し、
先進国に近づこうとしている国です。
その意味で、グローバリゼーションを
是とする前提での二分法であり、
両者がどのように近づいていくのか、
ということがテーマになっています。
いずれ、世界のどの国も似通っていき、
うまくいっているものをどこの国もマネしていく。

その流れのなかで、
先進国(Developed country)というのは、
「発展済みの国」ですから、
テクノロジーの進化は過去に終わっている、
ということを意味しています。
もう新しいことが起こらず、
イノベーションが過去にあった国、
そういったニュアンスを持っています。
たとえるならば、それは、
若い世代の人たち(発展済みの国に住む人たち)は、
祖父母や両親の世代(発展中の国に住む人たち)に比べて
大きな発展が期待できないぶん、
将来に対しての期待が低い、というニュアンスです。
そういったムードは、
アメリカ、西欧、そして日本においても
広く感じられているのではないかと思います。

けれども、そういった考え方には、
意識して反対していかなければならない
と私は思っています。
「先進国」はほんとうに、
発展途上国に対して「発展済み」なのか?
私たちは、もっともっと、
この大きな「逆説的な質問」を
投げかけていかなくてはならない。
考え続けていかなくてはならない。
それを申し上げて、
講義を終わりにしたいと思います。
ありがとうございました。

(ピーター・ティールさんの講義はこれで終了です。
 次回から、糸井重里との対談がスタートします!)

協力:株式会社タトル・モリエイジェンシー
2015-04-24-FRI

書籍紹介

ZERO to ONE
ゼロ・トゥ・ワンー君はゼロから何を生み出せるか

ピーター・ティール

出版社:NHK出版
定価:1600円+税
ISBN-10: 4140816589
ISBN-13: 978-4140816585

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