第0回 なぜ、そこまでして歌うのか。 2013-03-12-TUE
第1回 歌は「希望」だから。     2013-03-13-WED
第2回 この素晴らしき世界。     2013-03-14-THU
第3回 仲間が、歌わせてくれるもの。 2013-03-15-FRI
 
プロフィール

なぜ、そうまでして歌うのか。

こんにちは、ほぼ日の奥野です。

懐かしい人には懐かしい話‥‥からはじめてしまって
ちょっと、恐縮なのですが。

いま、36歳のぼくが中学生だったころ、
クラスの友だちは、こぞって「日本のバンド」を聴いていました。

BOOWY、ユニコーン、BUCK-TICK、LÄ-PPISCH、
ストリートスライダーズ、ブルーハーツ、
J(S)Wと書いてジュン・スカイ・ウォーカーズ、
いつからかX JAPANとなったX、COMPLEX、
真心ブラザーズ、ザ・ピーズ、
他にUP-BEAT、カステラ、BY-SEXUAL、AURA‥‥
思いつくまま、ジャンルも知名度もバラバラに書き出しましたが
そのようなバンドの音楽、です。

もちろんぼくも、聴いていました。

いまでも、実家の押入れの奥には
それらのCDでいっぱいになったダンボールが仕舞い込まれています。

そして、そのなかに
「ROGUE」というバンドのアルバムが1枚、混じっているはずです。

たしか『VOICE BEAT』というタイトル。
基本はロックなんですが、聴きやすく口ずさみやすいメロディが特徴。

6曲目あたりにクレジットされた
「終わりのない歌」という曲が好きで、繰り返し聴いていました。

(当時は月の小遣いが3000円だったため、
 1枚1枚のアルバムを
 たいへん「思い切って」買っていました。
 なので、よく覚えているのです)

ものすごく「大ファン」だったというわけではないんですけど、
たまたまバンドの出身地が自分と同じ群馬県ということと、
ボーカルの人が「奥野敦士」といって、自分と同じ苗字だったため、
勝手に、強い親近感を覚えていました。

でも、そんなROGUEのアルバムも、
高校に入って洋楽に「かぶれる」ようになってからは
他の「日本のバンド」同様、ほとんど聴くことはなくなりました。

ときはめぐって、ざっくり20年くらい後。

中学生もすっかり大人になりまして
俳優の勝村政信さんにインタビューさせていただく機会を得ました。

2010年の夏でしたから、もう2年半以上前。
思えばまだ、震災前のことです。

勝村さんが、当時「ほぼ日」に連載中だった
大沢在昌さんの小説『新宿鮫』の大ファンだとうかがったので、
取材させていただいたのです。

(そのときのコンテンツは、こちらです。
 『二通目のラブレター。
  勝村政信さんから、新宿の鮫島さんへ』


そして、その取材の下調べをしているうちに、
あの、なつかしきROGUEの奥野敦士さんにぶつかりました。

(勝村さんは、奥野さんと二十年来の大親友で、
 今回のインタビューにも出てきますが
 ポークソテーズという幻のバンドを組んでいたことがあります)

そこで、奥野さんの「現状」を知ったのです。

要点だけを書きますと
ROGUE解散後、ソロ活動をしていた奥野さんは
2008年、
落下事故で頚椎を損傷し、首から下の自由を失っていました。

驚きました。

少なからずショックを受けて、
奥野さんのブログを漁るように読んだりしました。

そのような気持ちのままだったので
勝村さんの取材でも、自然と奥野さんのことに話が及びました。

すると勝村さんが、ぜひ観てほしい動画があると言ったのです。
それが、下のYouTubeの動画です。

そこでは、首から下の自由が効かない奥野さんが
車椅子で、
ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」を歌っていました。

首から下が不自由だっていうことはつまり、
当然、腹筋も動きません。

ですから、ふつうなら(まともには)歌は歌えません。

でも、奥野さんは
「おなかにきつくベルトを巻き付け、声を出すたび、
 上体をぐっと前に倒す」という独自の歌唱法を考え出して
あの歌を、こういうふうに歌っているんです。





ごらんいただいたらわかると思うんですが、
歌っている姿は、いかにも大変そうです。

でも「痛々しい感じ」はしませんでした。

むしろ「なんだこれは? めちゃくちゃカッコいい!」と思いました。

もちろん「感動」もしたんですけれど、
それ以上に、人間にここまでさせる「歌」というものって
いったい何だろうと思いました。

動画は、何度も何度も繰り返し見ました。
そして、すぐに奥野さんのお話を聞きたいと思いました。

正直なところ、「取材して広く世間に伝えたい」というより
「とにかく、お会いしてお話を聞いてみたい!」
という、シンプルで個人的な思いが、先走っていました。

聞きたいことはひとつで
「なぜ、そうまでして歌うんですか?
 奥野さんに、そうまでさせる歌って、何ですか?」ということ。

企画書の体もなしていませんでしたが、その旨をそのまま告げると
奥野さんは、快く取材を引き受けてくださいました。

でも、当時はまだ
車椅子に乗って起きていられる時間が限られていました。
そこで「もう少し、身体の状態が回復してから」
お時間をいただくことになりました。

それから、2年半。

ようやく、インタビューを受ける準備が整ったと
ご連絡をいただきました。
すぐに、デザイン担当の山口を誘って
北関東にあるリハビリ施設へ、取材に行きました。

ことしの1月8日のことでした。

次回から、
奥野敦士さんに訊いた「歌」についてのインタビューを
掲載していきます。

よければどうぞ、ごらんください。

<つづきます>


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