SLEEP
休みをどうするか?
正月のボケた頭で考える
「休み」の使い方など。

実家の恐怖by ジャコメッティ・ハリグチ

休むときにも、助走みたいなものが必要なんだなあと思う。
ついきのうまで、ふだん通りのペースで仕事してて、
「ハイ、今日から休み」といわれても、困ってしまう。

予定を立てとけばいいじゃないかと言われそうだけど、
12月くらいからのほぼ日は、特に動きが激しくて、
うっかり、何も考えないまま、
この元旦から正月休みに突入してしまった。

で、いまから大阪の実家に行くんだけど、
そこにある自分の部屋のことを考えると、
だんだんコワくなってきた。

東京に来ていらい、実家にはめったに戻らないんだけど、
そうすると、たまに訪れる自分の部屋というのが、
だんだんとアヘン窟か何かに思えてくるようになった。
いや、アヘン窟がどんなものか、
ぼくもよくは知らないけど、映画なんかで見ると、
お座敷みたいなとこに寝ころんで、
尺八みたいな長いパイプでアヘンを吸って、
ずっと古き良き日の想い出に浸っている、というような、
大変デカダンで、いけないところ、というイメージがある。

実家の自分の部屋には、もちろんアヘンなんかないけど、
それに劣らない、困ったものがたくさんあるのだ。

ふと本棚を見ると、吉川英治「三国史」がある。
その横には興津要・編「古典落語」全集が。
こいつらをはじめ、いくつかの本が、
「さあ、ちょっと見てごらんなさいよ。
 あなたが東京から持ってきた最近の本なんかより、
 ずっと面白いですよ。
 あなただって本当は、読みたいんでしょ?
 さっきからそわそわしてるじゃありませんか」と、
甘ったるい誘いの声をかけてくる。

こいつらに関わったら最後、絶対終わりまで、
むさぼるように読まないと気がすまないのだ。
そんなことしたら、休みはそれで終わってしまう。

思わず視線をそらすと、そこには、
膨大な数のアナログ・レコード。
いかんいかん、こんなものを聴きはじめた日にゃあ…
これも振り切って反対の壁に目をやると、
ああ、なんとしたことか、
古今東西、名画のヴィデオが山のように。

うわあ、許してくれえ。オレが悪かった。
なんで自分の部屋でこんな思いをせにゃならんのだ。

しかし、こいつらはまだいい。
もっと恐ろしいのは、むかし自分が書いた、日記・作文、
バンドやってたときのテープとか、
そういう自作もののたぐいだ。
これはべつに目に見えるところに置いてないんだけど、
机の引き出しとか整理してると、うようよと出てくる。
一度見つけたら、これはもう、
目をそらすことなんかできない。
吸い込まれるように、
次から次へと手をのばすに決まっている、
もっとも凶悪なやつらだ。

「いったい何を考えて、こんなものを…」
「バカが」
「うわーん、なつかしいよう」
思いもよらない創作の軌跡を前にして、
脳髄はぐにゃぐにゃとなり、脳はツルリとシワがなくなり、
感情だけの存在になって、ただただぼんやりと、
なまあたたかい海に浮いているような気分になってくる。
はっきりいって、もう廃人同然。

いけません。こんなことは絶対に避けなければ。

困ったことに、以前はこういうものを見たとき、
感情の奔流みたいなものと同時に、
「いまならもっといいものをつくる」という、
一片のプライドのようなものもわきあがってきて、
それでなんとか明日への活力を養うという、
ちょっとした効能があったのだけど、
ここ数年、それがそうでもなくなってきた。

「あっ、なんかすごいことやってる」
「え。いいじゃないか、これ」

とんでもないことだと思う。
なんで昔の自分に負けないといけないのだ。
うーん、トシ食ったのかなあ。
想い出で時間をつぶすだけならともかく、
いまの自分のパワーのなさを思い知らされるなんて。
いやほんと、だめですよ。こんなこと。

ああ、そろそろ出発しないといけない。
だいじょうぶかなあ。部屋に入らないようにしようかなあ。
でも、とくに予定、ないしなあ。
ああ、なんか遥か遠く、西とおもえる方角から、
太鼓のリズムのようなものが…

自作8mm映画のフィルムが回る音、
スタジオ借りてレコーディングした、あの曲が、
書きなぐった言葉の断片が、
あとからあとから、ぞろぞろぞろぞろと
行列をなしてやってくる…

 

2000-01-02-TUE

TORIGOOE
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