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『MOTHER 3』の開発が中止になったことについての
糸井重里・岩田聡・宮本茂の座談会 その7

 
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岩田:
64は夢のハードだったんだけれど、
たしかにそれ以前に比べれば
夢のようにいろんなことができるんですけど
でも、なんでもできるわけじゃ、ないんですよね。
とうぜん制限があって。
その制限を乗り越えるために、
宮本さんたちもそうだけど、
優雅に泳いでいるように見えても
水面下では必死に泳いでいる。

 
糸井:
優雅に見えないよ(笑)。
 
岩田:
僕らは内部事情を知っているからそうだけど
商品だけを見た人は優雅に見えますよ。
「すごい!」って思うだけで。
じっさいは水面下でジタバタドタバタしてる。

 
宮本:
無茶言って、スタッフから
首しめられたりしてね。

 
岩田:
僕らも、つくっている時間の半分以上、
本来のクリエイティブじゃない部分で
なんとか制限のなかで
見栄えじゃなくて、操作感のいいものを
つくるためにもがくわけですよ。
だけど、何か、そこには、
糸井さんと組んで商品をつくることの意味とか
そのことによって発生する強みとかが
ちっとも分析できてなくて
漠然と、とにかくすごいものをつくって
制約を解き放たれた状態で
すごいものをつくるんだっていうふうに
始めちゃって。
途中でわかってたはずなのに、
動き始めていたものって
途中でスイッチ切り替えようとすると
それまで作ってきたものを捨てないといけないので
それに踏み切れなかった。
2年前なら2年前に踏み切って
作り直してたら、もうできてるはずなんですよ。
だけど、動いているときに捨てるって、
ものすごく勇気のいることですから
できなかったんですけど
自分の役回りは、それをしなくちゃいけなかった。

 
宮本:
この商品はどういうスタートではじまったのかと
いうところなんですが、
単純に『MOTHER 2』も売れたし
任天堂製品として3があるのは当然でしょうと。
メンバーも確保できたし、
じゃあ3をやりましょう、というふうに
商品論として立ち上がったところがあってね。
僕はその域を超えていなかった。
いっぽうで、糸井さんが3を作ることに関して
最初の『MOTHER』をつくるときに
「糸井さんが専任にしてくれるんならやりましょう」
と言ったときがあって。

 
糸井:
俺が泣いたときな。
 
岩田:
それはちゃんと話したほうがいいですね。

 
糸井:
最初の『MOTHER』を作りたいなあ、
って思ったときに
別の用事で任天堂に行ったんですよ。
せっかく任天堂に行くんだから、
作りたいって思ったゲームって
こういう面白いもんなんだよ、っていうのを
見てもらおうと思って、
企画書書いて持っていったんです。
で、他の用事で行ったんだけど、
ちゃんと宮本さんにも会えて、
「どうでしょう」って言ったら、
「これはええんでしょうけど、
 できるかどうかは別なんですよ」
って言われたんです。
そのときの僕は、
企画の段階で「すごい!」っていうのは、
この(ゲームの)世界ではないことなんだ、
ということを知らなかった。
よくゲーム作ってる会社とかに
「僕にはこんな企画があります」
って投書する人いますよね。
それと、僕がやったことってのは、
根本的には同じことだったんですよ。
 
岩田:
糸井さんが有名な人であった、
ということを除けば。

 
糸井:
どんなにすごそうに見えるアイディアでも。
できないものは意味がないんですよ。
宮本さんはそれをそのまま言ったんです。
僕は広告の世界にいたから、
コンセプトがあって、アイディアがでれば、
「よしっ、これでできた」っていう
「でき方」がわかるんですよ。
カメラマンの人、デザイナーの人、
こんなモデルがいて、
こんな場面にして、こんな風に撮れば……みたいな、
「できないなりにも、ここまでできる」
というのがわかるんだけど、
ゲームとなると、
あるこんなことを実現したい、
っていうプランがあっても
それは、できないとすれば意味がないんですよ。
宮本さんはそれを冷静に
やさしく言ったんですけど、
僕はものすごく無力感に襲われた。
つまり、どんなにすごそうだ、
と自分が思っていても
実現できなきゃ意味がない、となったら
ものすごく高い山を前にして
麓で引き返すような寂しさがあった。
で、泣いたんですよ、帰りの新幹線の中で。
泣くつもりじゃないんだけど、涙が滲んだ。
やっぱり、それって無力感なんですよ。
宮本さんの言ってることは
ものすごくまともなことなんですよ。
それでどうなったかというと、
チームを作ってみて、
そのチームと相性が合えば、
そのアイディアで実現する可能性があるってことで。
チームを紹介されて、
『MOTHER』というゲームが
ついにほんとに出発したんですよ。
早い話、『MOTHER』っていうのは
現代もののロールプレイングゲームを作りましょう、
ということが一番軸になっていた。
みんな現代ものをなぜ作らないのかというと、
ものすごくめんどくさいんです。
つまり、「いま」だから
魔法とかが世の中にないことになってるし、
現代だから武器は使っちゃいけないし、
子供がばんばんピストルを使うわけには
いかないんですよ。
そういう細かい制約が多くなるんですよ。
そういうところを乗り越えて、
現代もののロールプレイングゲームが
できたらすごいな、ってところで書いた企画書だから、
実現してみると、やっぱり面白いんですよ。
でも、実現するまでは、
初代『MOTHER』のときなんか
千葉の市川で作ってたから、
夜中に車で、市川まで飛ばして行って、
また朝方車で東京に戻って来るようなことを
繰り返していた。それは
「うわー、大変だな」って思うのと同時に
もっとやりたくなるんですよ、やっぱり。
『MOTHER 2』はまた別のチームで作って
これもさっき言ったように、
転覆しかかったんだけど、
岩田さんという人に出会って、世に出たんですよ。
『MOTHER 3』は
(1と2と)ふたつ苦しんでいたから
「もうだいじょうぶ」だと思ったんですよ。
でも、一番だいじょうぶじゃなかったわけ。
 
宮本:
僕も、他の業界であれ、プロの人に対して
よくそんな失礼なこと言いましたよね。
でも、その次会ったときに、僕は
分厚いシナリオの、テキストアドベンチャーの
開発テキストをどーんと持ってて、
それを糸井さんに見せた。
糸井さんには前から興味を持っていて
非常にゲームのことを理解してもらっているので、
そういう異ジャンルの人と作るということに
すごく積極的ではあったのですが、
ゲームに陽が当りはじめた頃で、
大手広告代理店が仕切ったような
「著名どころを集めて宣伝ができれば、
 何万本売れたも同然です」
みたいなものがいっぱいあって、
「それならお金を出しましょう」みたいな企業も
いっぱいいた時代だった。
「任天堂はそういうことをやるべきじゃない」
と思っていたので、糸井さんとやるなら、
「これ、全部糸井さんに書いて欲しい」
っていうようなつもりでね、
テキストを山積みにしたんです。それは、
「働いてください、
 これを全部あなたが書いてください」
ってことだったんですよ。
僕自身もそのとき、
ゲーム業界の中で、それなりにやっていると、
僕が名前を出すだけで売れると
よく誤解されていた。でも、
やっぱり自分でやって、血の小便を出すくらい
苦しんで苦しんで出したものが
すべて今までの結果なんです。
ただ表敬訪問して、
ニコニコ笑ったくらいでいいんだったら
苦労せえへんわけで、
だから、糸井さんがやるほんとの価値は
それこそ血の小便出すところまで
ゲームに没頭してくれることだと。
でも糸井さんも本業持ってはるわけなんで、
ゲーム制作は本業持ちながら
できるような仕事じゃない、
っていうこともあったんです。
でも、糸井さんは本気本気だっていう意志を
持っているように思ったし
少し、広告の仕事を減らしてでも……
っていう手ごたえをいただいたんで、
東京でチームを作ったんです。
ちょうどその頃、糸井さんは
「クラブ活動みたいな雰囲気が好きだ」
っていうことを言ってくれはった。
アパートの一室で作る、みたいな、
ほんとにボランティアが集まって作る、
みたいな環境で仕事をしてみたい、
っていうことだったので、
そこで始めたんですよね。
さっきの手塚眞くんが、
お父さんの資産である、『ジャングル大帝』を使って
いくつかのジャンルで物をまとめる、
って仕事をしてきた。
僕らは、それを信頼してるわけなんで、
糸井さんの場合も、
「時間が割けないんならやめましょう」ってことで、
(時間を割いてくれるということを)信頼して、
お願いしたわけです。
まわりからいろいろ中傷もあるわけですよ。
「著名人にしっぽ振ってるわけ?」
みたいな言い方もされたし、
「広告してはる人にできるの?」
みたいなことも言われたし、
でも、そういうことは、全然関係なく、
本人がやってもらえる、という確信を持てたんで
僕は糸井さんにお願いしたんです。
で、『MOTHER』、『MOTHER 2』は
ずっとその流れできたんですよね。
で、『MOTHER 3』に関しては
商品戦略っていう意味もあったし、
糸井さん自身も、すでに他に、
『糸井重里のバス釣りNo.1 決定版!』
もあったし、いろんな次の夢があったし、
たぶん、以前のように、
100%投球はできひんやろうなあ、
っていうのがわかってたんで、
糸井さんが言うアウトラインがあって、
それをまとめるチームっていうのを作って、
そこのチームが作る、っていう仕切りで
スタートしたんですよ。
で、僕も、会社の他のプロデューサーにも
そういうことで今回やっているから、
って話をしてたし、
ただ、僕自身もここへ来て、
どういうふうに話がすすんでいったのか
聞いていなかったし……
やっぱそういうやり方じゃ、
ダメなのかなあ……と。
 
 
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