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『MOTHER 3』の開発が中止になったことについての
糸井重里・岩田聡・宮本茂の座談会 その10

 
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宮本:
現場はわからないですからね。
去年の春くらいに
「このままだと去年中に完成して出すなんて
 不可能ですよ」って話をしたけど、
やっぱり現場の当事者にすると、
それがやっと、わかったのが
秋になってからなんですよ。
だから、それくらいわからないんですよ。
「できる」って信じて作ってるし。

 
岩田:
「できる」って信じて作ってないと
やってられないんですよ。
だって、ゴールのないマラソンは
走れないじゃないですか。
そうは言っても、ゴールがないような気がしてきて
だんだん疲れてくるんですけど、
全員の目にはっきりゴールが見えてたか、
って言えば、決してそうではないと思うけど、
とりあえず、走っている間は、
「ゴールはあそこだ、走れー」って言って
走っていくわけですよ。
だから走れるわけでね。

 
宮本:
糸井さんにはちょっとキツイ質問かもわからないけど、
『MOTHER』『MOTHER 2』
『MOTHER 3』ってあって
どれが一番作りたかったですか?
ゲームを作って、
ゲーマーを喜ばせてやろう、って意欲が
一番あったのは?

 
糸井:
やっぱりそれは、スタートの1作目でしょう。
2作目はできると思って、
俺がもっとやりたいのはこんなことだっていう、
肉付きができたって感じですよ。
そんで今回の3作目は、走り出してやりたい、
みたいな気持ちで、
動機が全部違いますよね。
動機が純粋に一番あったのは
1作目だと思いますけどね。
で、3作目は、『MOTHER 2』で
プロデュース的な役割をするのは
俺は向いてない、ってところから
スタートしてるから、
シナリオを作る人間として、
どれだけ万全の仕事ができるか、って考えて、
いち部員になるぞ、って気でいたんですよね。
だから、なおさら、スタンドプレーじゃないけど、
守備位置を超えてグローブを出すみたいな
シナリオを書いちゃったんですよ、きっと。
他で口出しにくいように
自分をもっていったわけだから、
その代わり、シナリオを見たら、
描きたいのはこういう世界だな、って
わかるようにって、
てんこ盛りにしちゃったんですよね。
だから、ある種反省するところがあるとすれば、
てんこ盛りのところですよね。
でもね、そういう大きい世界が描けるんじゃないか、
っていう夢の世界は、いままでで
一番うれしかったかもしれない。
 
宮本:
「ゲームを超えて」ってことですか?

 
糸井:
うん。ゲームを超えてって言っていいのか
わからないけど、
ここまでできる、みたいな。
 
宮本:
ちょうど、その頃、
映画のクオリティとゲームのクオリティに
歴然と差があったのが、
埋まってきた時期ですよね。
『MOTHER 3』を作り始めた頃に
『スーパードンキーコング』が出てきたり、
それから、ムービーの片鱗が
ゲームにもぱらぱら出てきたりして。
またそれまでは、
『ファイナルファンタジー6』と映画の間に
明らかに溝があったし。

 
岩田:
というか、一気に埋まりそうに見えた時期。

 
宮本:
ゲームのクオリティが、世間にある
高級エンターテインメントと肩を並べてきた時期で、
表現に関してはそこまでいったから、
あとはその表現つきの新しいアイディアってことで
ものすごい騎馬兵を手に入れたみたいな、
ものすごい軍隊が作れるって気がしたんですよね。

 
糸井:
うん。したんですね。
 
宮本:
だから、ちょうどその時期にのったんですよ。
その軍隊を仕立てることばかりに
興味がいっちゃって、
そこからどう戦うかみたいな戦略への興味が
薄かったのかなあと思いますよね。
だから、糸井さん自身の采配っていうか、
『MOTHER 3』で自分自身の役割を
どういうふうに置きたかったのかっていうことが
明確になれば、
この『MOTHER 3』がね、
次どんなふうにあるべきかとか
『MOTHER 3』をとばして、
次はどうあるべきかみたいなことが
けっこう見えるんで、
僕は逆に聞きたいくらいなんですけどね。

 
糸井:
それは、もうちょっと整理したいですね。
 
宮本:
たぶん、スタッフの中で
糸井さんの指示を仰ぎにこようと思っていた人たちと
糸井さんが産み落としていったものを
仕上げていこうとしてた人たちが
混ざっていたような気がするんですよ。
傍から見てて。
糸井さんに説得してもらわないとみたいな
スタッフの声が去年ずいぶんあった。
僕は『MOTHER 3』に関しては
糸井さんのポジションは
もうちょっと引けてると思ってたんです。
過去に産み落としたものとして
扱われていると思っていたのが、
けっこういまでも、まだ熱いんで
もっと別の展開があるんじゃないかなあと思って
さっきから聞いてましたけど。

 
糸井:
組織があって動かしてドタバタするみたいな
会社でいうと社長業みたいなことは
僕、大ッ嫌いなんですよ。
『MOTHER 2』はちょっとそういうところまで
入らなくちゃなんなくて、
励まし役だけじゃなくて、
怒ったり、おだてたりみたいな
中小企業の社長さんがするようなことまで
しましたよね。
悩んだり、俺にわかりっこないところまで
一緒に悩んでましたよね。
で、逆にこれはゲームを作るときの
最初のクリエイティブにマイナスに関わっちゃうな
と思ってたんですよ。
そこに、岩田さんが来て、
「じゃあ、やりまーす」って言ってくれて、
社長業から解放してもらったっていう喜びが
まずあったんですよ。
さて、『MOTHER 3』になったときに
どっかのところで、お客さんの立場で、
自分がロールプレイングゲームをしているときに
何を一番面白いと思っているか、みたいなところを
割にまともに考えたんですよ。
同じ世界にずーっと浸ってるって感じじゃなくて
次から次に違う音楽が流れてくるみたいな、
何が起こるかわからない、ってところが
一番面白いんだと思って、
それをプレゼントしたかったんですよ。
で、僕はプレイヤーとしての自分がいて、
「こうだろ、こうだろ、こうなんだよ。
 ところが、こうなるんだよー」
って、仕掛け人としての自分が
プレイヤーとしての自分に
「こりゃ、驚くだべー」って聞いてるみたいな
そういう作り方をしたかったんですよ。
で、それはものすごく楽しかったです。
いままでは、言葉でしかそれをできなかったって
気持ちがあって、
典型的な例でいうと、
『MOTHER』のとき、バットがあって
「ボロのバット」、「ふつうのバット」、
「いいバット」っていうふうにして
強くなっていくじゃないですか、バットが。
あんなのって、容量とかプログラムから言ったら、
タダに近いじゃないですか。
ああいうところでばっかやってたものが、
もっと大きくどデカイものをどう表現するかとか
せつなさをどう表現するかとか、
できるってわかったんですよ。
それがゲームの世界でこんなにできるんなら、
言葉と両方で塗り固められるぞ、っていう
期待があったんですねえ。
それに合わせて、人々が混乱するだろうし、
むずかしいって言うだろうけど、
それは答え出してくれるんじゃないだろうか、
みたいな、そんなところに
自分の気持ちがあったんですよね。
ところが、そんなに簡単にできるもんじゃないし、
ブラックボックスはどんどん増えていくし。
 
宮本:
けっこうユーザー視点なんですね。

 
糸井:
ユーザー視点です。
 
宮本:
僕らに近い(笑)。

 
糸井:
あの、要するに、びっくりしたいなあ、
とコントローラー握っている自分が
ゲームを作ってるんですよ。
広告屋さんのときもそうですよ。
 
宮本:
『MOTHER 3』は割と
ユーザーの方にあったんですねえ。
『MOTHER 2』のときに
とくに後半、ユーザーに譲った部分は
自分の仕事じゃないって割り切って……?

 
糸井:
違うんです。
あとでどうだったこうだったっていうことよりも、
ユーザーには、そのときどう感じたか、っていう
声にならない部分があるって僕は信じてるんですよ。
『MOTHER 2』のときに、
ちょこちょこ新しい試みをやった。
それはやっちゃいけないことのように見えたんだけど、
やってよかったなあ、ってところがあって、
そこのところをもっと作りたかったんですよね。
 
 
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