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ルーブルの思い出、紹介します。 ーその5ー

2月28日(金)から1週間、
みなさんのルーヴルの思い出を募集させていただきましたが、
本日で募集の受付が終了しました。
たくさんのご応募、ほんとうにありがとうございました!
思い出の紹介はもう少し続きます。
どうぞ、じっくりと読んで、
ルーヴル美術館に思いを馳せてみてください。

思い出 43

ルーヴル懐かしい‥‥。
ほぼ7年前の新婚旅行でパリに滞在した際に行きました。
(ちなみに結婚記念日は3月3日です!)
憧れのルーヴル美術館!
あらかじめ入手しておいたパリミュージアムパスを手に
意気揚々とルーヴルに乗り込んだ夫と私。
あれ、入り口がぱっと見ただけでも3つある。
何処から入ればいいの?と困った挙句、
中央案内ブースへ行き
「Excuse me, we have this ticket…」と
つたない英語で聞こうとしたところ
「このチケットでしたら、
 ここでも、そこでも、あそこでも、入れますよ」
とフランス人の男性がさらっと日本語で答えてくれました。
驚きつつ「あ、ありがとうございます」とお礼を言うと
「どういたしまして」と笑顔で返してくれました。
さすがルーヴル‥‥と2人でつぶやいたのを
よく覚えています。
ルーヴル美術館のすぐ近くで食事をした時も、
あっちこっちから様々な言語が聞こえてきて、
とても印象的でした。

当時、夫が定年退職したら
新婚旅行のルートをもう一度辿りたいねーと
話していたのですが、さて夫は覚えているかな?と思い、
今朝尋ねたら、しっかり覚えてました!
この約束を励みにまた明日から頑張ろうと思います。

(ミーナ)

思い出 44

私の印象に残ったのは「ミロのヴィーナス」です。
まずその大きさには圧倒されました。
等身大ではなかったですね。

何よりも、はじめて見る後姿!
それがとても女性っぽいのです。
前から見ると、
その胸のふくらみも、少しくねった腰つきも、
それほどには感じませんでしたが、
背中から腰の線、半分見えたお尻‥‥。

美術品に「色っぽい」と言っては失礼かもしれませんね。
でも、私は本当にヴィーナスの後姿に色気を感じたのです。
ご覧になる時は、ぜひ後に回って見て下さい。

(ひわ)

思い出 45

去年の2013年の夏にルーヴル美術館に行きました。

少し遡りますが、2008年の夏、
涼しさを求めて訪れた上野の国立西洋美術館では、
コロー展をやっていました。
その時の展示の目玉は「真珠の女」でした。
モナ・リザ」のようなとても美しい女性の絵で、
絵画にうとい私ですらびっくりしました。
人垣の隙間から必死に見たのを覚えています。

ダ・ヴィンチやラファエロやミケランジェロみたいに
有名ではないですが、
好きな画家はと聞かれたら、私はコローでした。

そして、2013年。
広い広いルーヴルで、
誰もが知っている名画を確認する作業に
クタクタになりました。
あまりにもくたびれてトイレに行こうとしたら、
あの「真珠の女」がありました。

なんという不意打ち!

日本では、たくさんの人が並んで、
足元の線を超えないギリギリまで近寄って、
ため息を漏らした絵画。
駅や街中にたくさんポスターが貼られて、
グッズまで売ってたあの絵画。
それがポンッと無防備に飾ってあります。触れられる距離!
とても人の少ないフロアで、もちろん誰も見てません。
なんて贅沢なのだろう! と静かに興奮しました。

あの時、人垣の隙間からぴょこぴょこ見てた私は、
フランスまで来られるようになったのだなぁ。
20代前半の5年は、コローの絵画に比べれば瞬きレベル。
でも、東京でオドオドしてた女の子が、
パリでドキドキするようになるくらい、長いのです。

(おぐ)

思い出 46

私のルーヴルといえばもう、
「トイレ、ど~こ~~~~~」
友達と三人、トイレマークの矢印案内板を見て
そっちに歩いて行けども行けども何故かトイレがない!
広い館内に案内板は必要最小限。
早歩きのハンパない加速。
また別の案内板見つけて、それらしい角っこまで行っては、
ないーーーーー‥‥!
私のルーヴルは、トイレ探しのダンジョン冒険でした。
(二十年以上前です)

(アイムヒエショウ)

思い出 47

2011年1月半ば、娘と憧れのフランスへ‥‥。
初日に所持金全てとパスポート等をすられてしまいました。
ホテルでしばらく放心していましたが、
気を取り直して計画していたコースを周りました。

ルーヴル美術館は、
そんな私達を別世界へ連れて行ってくれました。
観光客も少なく、
ミュージアムパスのおかげでスムーズに入場できましたが、
とにかく広くて‥‥気持ちは早く早くと思うのですが
足がオロオロしていたのを今でも思い出します。
「モナ・リザ」も「ミロのヴィーナス」像も
観ている人がいない!?
貸し切り状態で鑑賞できました。
観光客が写っていないモナ・リザや
ミロのヴィーナス像の写真は、宝物です。

苦い思い出もあったフランスですが、
間近で観られた芸術作品の数々に癒やされ、
帰りの飛行機の中で娘と
いろいろ勉強させてくれてありがとうだねと
感想を言い合いました。

(レイレイ)

思い出 48

一度だけ行ったことがあるルーヴルの記憶はありません。
なにせ私は2歳。
フランスで生まれた私と、母と、祖母と私の姉の
4人で行ったそうです。
だからこれは、私の母の思い出です。

それがどこの部屋かは、覚えていないそうです。
とにかく彫刻ではなく、絵の部屋だったそうです。
私たち以外ひとっこひとりいないそこに入ったら、
おむつの私は
それらが「名画」「名作」などとわかるわけもなく、
ただ興奮して、無言で駆けまわったそうです。
それを警備員さんは、
「こどもだからかまわないよ」と見逃してくれたそうです。

すごい絵の中を、妙に興奮して駆けまわる娘。
きっと、それまで見たこともない空間の広さに
はしゃいだんだと思います。

今年、30年以上ぶりにフランスに行こうと思っています。
どこの部屋かは思い出せなくても、興奮したその時の気持を、
感じ取れたらいいなあと思っています。

(ののじ)

思い出 49

私が友達と一緒にパリに行ったのは
1995年の阪神・淡路大震災の年の1月末でした。
フランスに行きたい、というより
パリに行って美術館を見て回りたいという夢がありました。
その前の年の秋ごろにいろいろパンフレットを取り寄せ
安くてかつお得なプランに申し込みました。
しかし、震災が起こり
私たちは福岡からの出発でしたが
キャンセルの人たちが相次ぎ、
もしかしたら中止かもという感じでした。
それに「それならそれで残念だけどしょうがない」と思っていました。
どうにか人数が集まるからということで
私たちはパリに出発することができました。

ルーヴルには翌朝の10時から夕方の6時までいましたが、
全部見ることは無理でした。
ドノン翼とリュシュリー翼のみ。あとの一つは工事中でした。

私もなんといっても
サモトラケのニケ」が「かっけー!」でした。
ゾワゾワくるくらいカッコよかった。
階段の途中の踊り場にあるというのも
本当にしゃれてますよね。
ナポレオンの戴冠式」の絵も楽しみにしていましたが、
こっちはどっかの国でナポレオン展があって
貸し出しているとかでありませんでした。
「モナ・リザ」は‥‥正直、あんまりグッとこなかったです。

そして一番胸に刻まれて残っているのは
フェルメールの「レースを編む女」の絵です。
フランドル絵画の部屋が何室かあって、
ある一つの部屋からもう一つの部屋に行く、
その壁の端にそれがあったのです。
「ああ、ここに・・・」と思いました。
「ああ」が声に出ていたかもしれません。
思ったよりも小さな絵でした。
そして思ったよりも生々しい感じがしました。
刺繍糸の赤がトロトロで、
触ったら糸の色が指につくのでは? という感じがしました。
音が周りから消えると言うか時が止まる、
その絵の中の時間とこちらが続いているような。
フェルメールの絵と対峙した時に起こる独特な「あの感じ」。

その後日本で2回ほどフェルメール展を見ました。
真珠の耳飾りの少女」は97年(かな?)に大阪で見ました。
でも、ルーヴルで見たときのような感じ、
なんやろ‥‥近さゆえの親しみ、かな。
目の高さでじっくり見ることができたしなぁ。
ドノン翼の人の多さに比べると
人が少なくて1対1って感じがしたんですよね。

出発は羽田からでしたが帰りは関空でした。
あちこちから煙が上がっていました。
煮たきや焚火だったのかもしれません。
震災にあった地域だけが茶色というかグレーでした。

(K.K)

思い出 50

私は20代の頃、二度パリに行った事がありますが、
一度目は忙しくて(研修旅行だったので)、
そして二度目は工事中で、
残念ながらルーヴルには入れませんでした。
代わりに訪れたオルセー美術館で見たモネの「睡蓮」や、
ルノアールの作品がそれはそれは素晴らしかったので、
ルーヴルのことが吹き飛んでしまったのを覚えています。

とはいえ、まだ一度も入ったことのないルーヴルは
未だに私の宿題となっていて、
アメリカに住む今となっても
いつかは叶えたい夢となっています。

映画やドラマで映ったり、
本の文中に出て来たりすると、
それだけで、ああ、あそこに行ったのに入れなかった、
という気持ちがわき上がってきて、
私にとって、ルーヴルは特別な場所になったのだと思います。

現在バレエと、中学校でフランス語を習っている娘、
そして読書好きで博識な大学生の息子とも、
できたら、近い将来必ず一緒にルーヴルへ行ってみたいです。

(E.T)

思い出 51

4年前、大学4回生の2月、
高校時代の友人とフランスを10日間旅行しました。
高校時代は世界史選択してて、
『ベルサイユのばら』にハマってた二人です。
彼女は大学で西洋美術史専攻、私は古代史をとってました。
卒業旅行最後の2日はパリ自由行動、
金曜日はルーヴル美術館が夜8時頃まで開いてるとのことで、
朝開館と同時にルーヴルへ。
丸一日ドップリ、世界の最高傑作に浸かってやる!!
と意気込んでました。

記憶に残ってるのは、彫刻や絵のパワーにあてられたこと。
スピリチュアルなものを信じない私ですが、
文字通り、ひとの作り出した、
何千年分の芸術のちから、作品に込められた念、
みたいなものに圧倒されました。
帰り道は頭痛がするくらいでした。
ふたりで首が痛くなるくらい、
大きな絵画や彫刻を見上げながら
「人間ってすげー‥‥」
「こんなすごい絵や彫像を見たら、
 そりゃあ神の存在を信じちゃうよなぁ」って、
独り言みたいに話してた事はハッキリ覚えてます。
閉館間際までねばって、
二人して頭痛抱えながら、寒風の吹く中歩いたなぁ。

(みどりいろ)

思い出 52

大学2年の時、
スコットランド短期留学の帰りに
パリへ立ち寄った際にルーヴル美術館へ行きました。
大学の留学チーム十数人で一列で入場した際、
ルーヴル美術館の入場チケットをもぎ取るフランス人に
「コンニチハ」と言われる人と
「ニーハオ」と言われる人にわかれました。
もちろんみんな純粋な日本人ばかりだったので、
入場後にルーヴル美術館の作品よりも
自分が日本人に見られたのか中国人に見られたのか
みんなでワイワイ騒いだ思い出があります。
ちなみに私は「コンニチハ」でした。

(greendog)

思い出 53

ルーヴル美術館に初めて行ったのは、16歳の春。
修学旅行で、ぎゅうぎゅうに詰め込んだスケジュールの中、
膨大なコレクションを持つこの美術館を巡るのに
私たちに許された時間は、たったの2時間。
最初から、有名なものだけ見てきてね! と
ガイドさんに忠告されてしまうくらい、短い時間でした。
それでも、できるだけたくさんの美術品が観られるように、
そして、班長だったため
同じ班のクラスメイトが迷子になったりしないように、
どこかそわそわしながら1階に通じる大階段を降りていきました。

大階段の先には、「サモトラケのニケ」がありました。
力強く翼を広げる女神。
その姿は、絶賛思春期中だった私の心を
ぎゅううっと鷲掴みにしました。
心をとられて、階段の途中で動けなくなってしまうほどでした。
もう、早く次行くよ、「モナ・リザ」観ないと、という
クラスメイトの声で我に返って、
仕方なくその場を離れたけれど、
時間が許すのならもっと長い時間、観ていたかった。
それほどに強烈な出会いでした。

ニケと恋に落ちたこと(一方的に)以外に、
印象的だったのは、モナ・リザの前での出来事。
やはり世界一有名な絵画ですから、
その作品の前だけ混み具合が段違いでした。
そんな時、ほら、あの男の人、腕時計を5つもしているでしょう、と
ガイドさんが指差し、こっそりと教えてくれました。
あれはモナ・リザ見惚れる人たちを狙うスリで、
あの時計たちは戦利品なんですよ、と。
モナ・リザの前では、
多くの人が我を忘れて彼女に見惚れてしまうので、
スリはその隙を狙うそうです。
良くも悪くも、芸術が生活に根付いているんですね‥‥。

その後、有名な作品ばかりをつまみ食いするように、
駆け足で館内を観て、大急ぎでポストカードなどを購入して、
決められた時間通りに集合場所へ。
と思ったら、同じ班の2人が、こっそり列を抜けて、
ショップへ戻ってしまっていました。
わかる、もっといろいろ買いたかったんだよね‥‥。
でも、その子たちの代わりに班長だった私は
先生にこってり怒られ、なんでじゃい!と思いました。

短い時間の中で、
恋に落ちて、どろぼうを見て、先生に怒られた場所。
それが私にとってのルーヴル美術館です。
なんだか、騒がしい映画のような2時間でした。
ルーヴルには多くの美術品が語るドラマがあり、
そこを訪れる人は、その渦に巻き込まれて、
帰る頃には、なんか映画みたいな1日だったな、と
感じるのかもしれません。

(Moe)

思い出 54

私がルーヴルに行ったのは、
フランスワールドカップの年でした。
そうです、
日本が初めてワールドカップ出場権を得たあの大会です。
3泊5日のワールドカップ観戦ツアーに参加して、
ゲームを見ない日は2日ともルーヴルに行きました。
それでも、全てを観るには広すぎて無理でした。
数々の教科書に載っているような有名な絵や
王冠などの宝石、貴金属、
地下の宮殿をささえる基礎の部分など
あらゆる展示物と天井の高いルーヴル宮の
豪華な内装にクラクラしました。
その中で、
「ミロのヴィーナス」を観たときははハッとしました。
特に綺麗な背中!
なめらかなそれは同時代の他の像とくらべると全然違う。
後ろから見られる事も意識して作られたものだと
ガイドの方が言われていたような‥‥。
(スミマセン、記憶が曖昧です)
それ以来、
なんとなく自分の後ろ姿も気になるようになりました。

それにしても、ルーヴルは巨大でした。
地下のショッピングモールもだけど
ミュージアムショップが楽しかった!
ここでもひとつひとつじっくり吟味した結果
母に、マリーアントワネットの「M」というモチーフが
かたどられたブローチと、
庭師の鍵に付ける飾り(?)のようなメダルを
お土産に買って帰ったな~。また行きたいです!

あのとき、
「次の大会は日韓共同開催で自動的に出場できるんだから、
 自力で出場権を勝ち取った
 このフランス大会に行くことに意味があるんだ!」
と力説して行こうと誘ってくれた妹に感謝です。

(ちびまるさん1)

思い出 55

私がルーヴル美術館に行ったのは、
当時通っていた専門学校の海外研修旅行で行きました。

パリをいくつかの班に分かれてまわる
1週間くらいの日程だったんですが、
毎日パンパンに詰め込まれた超過密スケジュールのせいで
私は一番楽しみにしていた
ルーヴル美術館へいく当日の朝に体調不良になってしまい、
その日は1日ホテルで寝込むハメに‥‥。

行けなかったショックと
体調不良のダブルパンチで寝込んでいる所に
当時同じ学校内でお付き合いしていた彼氏が心配して、
私の部屋を訪ねてきてくれました。
「やっぱり這ってでもルーヴル美術館行けばよかった‥‥」
と落ち込んでいる私を見て、
彼が「じゃあ明日体調が戻っていたら、一緒にいこう」と!

そして次の日、体調は見事に復活!
同班の先生には「今日もホテルで休む」と嘘をつき、
お互いが班のみんなで行くはずだったスケジュールを
すべて潰して、2人でルーヴル美術館へ行くことに。

こっそり2人でパリのホテルを抜け出して、
知らない街を地図片手にドキドキしながら、
多少の罪悪感を感じつつ、やっとの思いで
ルーヴル美術館に着いたときの感動はすごかったです。

2人とも時間を忘れて
夢中で作品を見て回ったのを覚えています。
「ミロのヴィーナス」を見つけたときは、もう感動で!
自分の目の前にこんなにも近くあの偉大な作品がー!!
「写真じゃないー! 実物なんだー!!」と大興奮!
しばらくその場から離れられなかったです。

まだまだ全然見たりなかったけど、
もう外は暗くなり、そろそろホテルへ戻らないとまずい。
ということで、
ルーヴル美術館の余韻に浸りながら満足げにホテルへ戻ると、
勝手に2人でルーヴル美術館へ行ったことが
先生方にバレていて‥‥。
同じ学校の別の班の人が
ルーヴル美術館で私たち二人を目撃していたらしく‥‥。

先生のホテルの部屋で二人で仲良く正座。
こっぴどく怒られました。
そのあとに何故か
「お仕置きとしてお前ら飲みに付き合え!」と
パリの夜に繰り出し、
当時20歳になりたての自分たちでは到底はいれないような
渋ーいBARへ連れて行かれ、
先生はバーボン、自分たちはジュースでしたが
一杯つきあわされるということがありました。
今思えばとてもいい経験でした。

一緒にあの素晴らしいルーヴル美術館を見てまわり、
正座で怒られ、渋いBARで一杯つきあわされた
当時の彼は、今の私の夫です。
2人の中で、今までの過去最高のデートの場所は
ずっと変わらず「ルーヴル美術館」です。

(ぼんぼん)

思い出 56

もう30年ほど前のお話です。

父が会社の出張でパリに行ったときのお土産話で、
「ルーヴルのミロのヴィーナスのお尻を触ってきたよ」
と静かに言うのです。

小学生だった私は、
外国の美術館は自由なんだな、とだけ思ったのですが、
その後、大学生の時自分で観に行ったヴィーナスは、
とても触れるものではなかったので、
あれが冗談だったのか、
昔は本当に触れたのか未だに判断がつきません。

今、父に聞いても、そのことは全然覚えていないそうです。

(ぺち)

思い出 57

ルーヴルに行って一番驚いたのは
壁中が絵だったことでした。
絵が一枚ずつ整然と並べられた日本の美術館に
慣れていた僕にとって、それは想像以上で
絵が一斉に襲い掛かってくるようでした。
「これは一日では無理だ」。
そう思った僕は他の予定をキャンセルして
3日間通いました。

この3日間で絵の観方が完全に変わりました。
一枚ずつ丁寧に観るのではなく、歩きながら
目についた絵だけを立ち止まって
鑑賞するようになったのです。
絵が自分を呼んでくれる。
そんな瞬間を楽しむようになりました。
今ではどの美術館に行っても、そんな鑑賞法をしています。

(圭)

思い出 58

私がルーヴル美術館へ行ったのは、2000年の12月。
岩手の田舎でデザインを勉強する学生で、まだ19歳でした。

学校が主催するローマ・パリ10日間の「海外研修」の最終日。
急に与えられた自由時間。
午後には空港に向かわなくてはいけない中の
強行スケジュールでした。

ほとんどのメンバーが初めての海外旅行。
フランス語はもちろん、英語だって話せない上に、
みんなが揃って人見知り。
いままでの道中も、食事の注文の度に大汗をかき、
道に迷っても聞く事すらままならず、
確実に言葉数も少なく、同士達の顔も疲れきっています。

8人でぞろぞろとメトロを乗り継ぎ、憧れのルーヴルへ!
当時は、通貨がユーロに統一される前だったので、
「星の王子様」とその作者サン=テグジュペリの肖像が
描かれた50フラン札を握りしめ、
入場料を払う為、受付へ向かいました。

が、受付には誰もいない。
他のお客さんも受付を素通りです。
なぜかわからぬまま進むと、
目の前には「モナ・リザ」や「サモトラケのニケ」などの
名画や彫刻の数々。

え? お金払ってないけど、見れちゃってるよ? いいの?
とずっと不安なまま、急ぎ足で鑑賞を終えました。

ずっと、入場料の事が気になっていたため、
ルーヴルの中の風景は、ほとんど覚えていません。
会場へ入る前の景色ばかり鮮明に覚えています。
結局、謎が解けたのは帰国後。
私たちがルーヴルへ行った第一日曜日は
入場料が無料なのだそう。
早めに確認しておけば、きっと満喫出来たろうに。
いや、理解出来る語学力はなかったな‥‥。

入場料で払うつもりだった、
星の王子様のイラスト付きの50フラン札は換金せず、
またいつか、ルーヴル美術館へ行けますように、
今度はちゃんと鑑賞できますように、という願いを込めて、
お守り代わりに財布に入れて、毎日持ち歩いています。

(madoo)

ルーヴル美術館という1つの場所で、
苦かったり、甘かったり、驚いたり、
興奮したり、ハラハラしたり、感謝したり。
きっと、今もルーヴルでは
さまざまなドラマが繰り広げられているだろうなぁ。
そして、「ミロのヴィーナスのおしりを触った」という
お父さんの自慢話(?)も、ルーヴルだからこそ。
そう思うと、やっぱりルーヴルってすごいところですね。

明日も、みなさんの思い出をご紹介していきます。
それでは、また明日!

※思い出の募集は終了しました。
 たくさんのご投稿、ありがとうございました。

投稿はメールで。

本文にあなたのルーヴルの思い出をつづってください。
掲載されたときのためのハンドルネームもお忘れなく。
件名を「ルーヴルの思い出」にして、
postman@1101.com 宛に送ってください。
(下記の「投稿する」ボタンを押すと、
 宛先と件名が入った新規画面がたちあがります)
締切は3月6日(木)午前11時までです。

字数制限はありません。

1行だけの短い内容や長文におよぶ内容も、
どちらも大切な思い出です。
ですから、書いていただく思い出に
字数制限は特にありません。
けれど、あまりにも長文になると
読むだけでたいへんになってしまいますので、
「常識の範囲内」ということで
ひとつ、よろしくお願いいたします。
また、掲載するときに、
少し編集させていただくことがありますので、
あらかじめご了承ください。

できるだけ思い出は掲載する予定です。

できるだけ多くの思い出を
掲載していきたいと考えています。
ただ、メールの数によっては
すべてを掲載することは難しいので、
「載ったらいいなぁ」くらいの気持ちで
更新をたのしみにしてくださいね。

印象深い投稿には、すてきなプレゼントを。



ご投稿いただいた思い出は、ほぼ日乗組員と
「ニンテンドー3DSガイド ルーヴル美術館」の
開発者のみなさんで話し合い、
印象深い投稿、心に残る投稿、ユニークな思い出には、
ニンテンドー3DSLLや
「ニンテンドー3DSガイド ルーヴル美術館」の
パッケージ版ソフトなどをプレゼントします!
パッケージ版ソフトはダウンロード版ソフトと
内容は同じなのですが、
ルーヴル美術館のみでしか販売していないので、
なかなか手に入れることができない
とくべつなソフトなんですよ。

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2014-03-06-THU