動画撮影編集・浅生鴨

2018年の12月に、ネパールを旅した記録です。
ずいぶん長い連載になると思います。
おおもとは、ネパールの辺境に住んでいた
シャラド・ライという青年が日本に留学し、
ネパールに新しい学校をつくろうとしたこと。
それを写真家・幡野広志が撮影することになり、
興味を覚えた「書くことの尽きない仲間たち」、
古賀史健、浅生鴨、田中泰延、永田泰大の4人が
ネパールに一緒について行くことに。
4人は旅の断片をそれぞれに書き散らかし、
幡野さんはたくさんの写真を撮りました。
そういうものがぜんぶこの非常識なボリュームの
コンテンツの材料になりました。
行った、見た、聞いた、考えた、撮った、書いた、
笑った、泣いた、食べた、しゃべった、思った。
ネパールでぼくらは。

写真 幡野広志
(※撮影者名が記されていない写真すべて)

テキスト
古賀史健
浅生鴨
田中泰延
永田泰大

幡野広志
山田英季
コーディネイト
小池花恵
デザイン
廣瀬正木
コーディング
中神太郎
編集・構成
永田泰大

長い連載のはじまりに、
それぞれが書いたテキストの一部と、
幡野さんが撮ったネパールの写真を
予告編のように散りばめてみます。
たぶん、こういう読み物になると思います。

あっちに行こう、
こっちに行ってみよう、
と誘ってくれる仲間がいるから、
ぼくの旅に不確実な要素がまざっていくのだ。
仲間はいつも、
あみだくじの横線だ。
ひとりだったらまっすぐ降りていたはずの縦線を、
あらぬ方向へと導いてくれる。
(古賀史健)

旅に出れば必ず、僕は僕でなくなる瞬間に出会う。
自分自身がまとっている、生きるための癖のような何かが
まるで通用しなくなり、むき出しの自分に出会う。
自分が過ごしてきた時間とその土地に流れてきた時間が
交換されて、新しい時間が自分の中を流れ始める。
いつもそんな気になる。
(浅生鴨)

写真に収めようとはするが、まるで伝わらない。
8千メートルを超える山というのは、
実感でいうと、日本のわたしたちが
夏場に見る巨大な入道雲、あの大きさ、高さが、
そのまま、「岩」なのである、
そしてそれが何十もつらなる。
(田中泰延)

これはコタンに着いたはじめての夜に、
ひとりでホテルの外を散歩していて
知ったことなんだけれど、
月というのは半分欠けた状態でも十分に明るくて、
周囲に人工の灯りがほとんどない環境であれば、
それに照らされたじぶんの影が
夜道にくっきりと落ちるのである。
最初、その影を地面に発見したとき、
ぼくは周囲に光源をさがしてきょろきょろした。
でも、月以外、なにもなかった。
(永田泰大)

「何か欲しいものはあるか?」
さっき買い物をしているのを見ていたのか、
ロビーに腰を下ろしている僕に
一人の男性が声をかけてきた。
見た目はアラブ人っぽい。
「いいえ」
「もしも何か欲しいものがあれば、
一階の一番奥にある喫煙所に行くといい。
そこで彼が何でも手配してくれる」
そう言ってアラブ人はニヤリと笑った。
(浅生鴨)

ネパールへ行く前に、Amazonで書籍を検索し、
「ネパール」と題名がついたものを全部クリックし、
20冊ほど読んでみた。
事前に日本で読む本は、
驚くほどに何が書いてあるのかわからない。
音楽や料理について書いてある本を読んでも、
結局よくわからないのと同じだ。
しかし、じっさいにネパールを歩いてみた後、
これらの本を読み返すと、
身体に染み込むように
何が書いてあるのかを感じることができる。
おそらく、帰国した僕は図書館へ行き、
100冊以上のネパールに関する本を読むことになるだろう。
もちろん、それは、「わかる」ためにすることではない。
(田中泰延)

鴨さんは「辛いけど、まあだいじょうぶ」と言い、
山田さんも「たしかに、だいじょうぶ」と言い、
小池さんも「うん、古賀さんならイケる」と保証した、
ハバネロみたいな形状の、ネパール唐辛子。
正式名称は知らないし、調べるつもりもない。
ぼくは豪快に、種までがりっと、
ししとうの天ぷらを食べるくらいの勢いでかじった。
「があああああ!!!!!」
(古賀史健)

「どうしてこんなところに住むんだろう」
標高約1500メートルの高地。
舗装されていない山道を
何時間もかけて移動するような立地。
少ない資源。危険な環境。岩と砂埃。
ここじゃなくてもいいだろうに、と、
もちろん口には出さないがぼくは思ったりする。
しかし、すぐに、「あ」と気づく。
たぶん、日本も同じことなのだ。
どうしてこんなところに住むんだろう、と、
きっと多くの外国人が思うだろう。
狭くて、人が多くて、地震がやたらに多くて、
台風が年に何本も上陸するようなこんな場所に、
どうして日本の人は住むんだろう?
(永田泰大)

いきなり後ろから肩を強く叩かれた。
このタイミングでいったい何なんだ。
今はこの場所を譲るわけにはいかない。
僕は叩いた人を睨みつけてやろうと後ろを振り返った。
警官だった。
警官が三人、険しい表情をして立っている。
(浅生鴨)

あらためて思うのは、
「発展途上国」「後進国」という呼び名のいい加減さだ。
仰ぎみる自然があり、住むに適した環境があり、
古代からの歴史があり、中世に築かれた都市があり、
そこに生活する人々の笑顔がある。
それは人種、民族にかかわらず、
文明が生まれて以来、人類がほぼ等しく辿り、
培ってきた対等な財産だ。
それぞれの地域、民族は等しく十分に「発展」しているのだ。
(田中泰延)

するとそこに、
一匹の仔犬がとことこ歩いてきた。
「あああああ」
駆け寄ったぼくは、
恥も外聞も忘れた犬なで声で語りかけ、
胸、あご、耳のうしろ、頭頂部、眉間など
犬のよろこびポイントを存分になで回し、
我慢ならずに、よいしょっ。
抱き上げてしまった。
ああ、なんてかわいいんだ、犬。
古今東西、きっと世界のどこにいっても、
人間がいるところには犬がいて、
犬がいるところには人間がいる。
彼らはぼくらの影であり、太陽なのだ。
(古賀史健)

ひとつ、豆知識を。
エベレストに日本人が登頂するとき、
現地のガイドを雇うでしょう?
「シェルパを雇う」という言い方、
聞いたことありませんか?
ぼくは「高山を案内する職業」を
現地のことばでシェルパというのだと思ってましたよ。
「シェルパ」って、
ネパールに住む民族の名前なんです。
エベレストに面した地方に住んでいて、
外国人がアタックするときに
シェルパ族の経験豊かな人が雇われるそうです。
(永田泰大)

ネパールの商品や建物には
2本のナイフが描かれていることが多い。
これは、「グルカ」のシンボルだ。
1768年、中世から続いたカトマンズの諸国を征服して
新王朝を建てた山岳民族のゴルカ族は、
誇り高い戦闘集団だった。
19世紀、ネパールとイギリスとの間に戦争が起こった。
「グルカ」はゴルカの英語読みだ。
(田中泰延)

ぼくはずっと「赤い帽子の子どもたち」に会いたかった。
ほんとうに会ったらちょっと、泣いちゃうかもな。
そんなふうに思っていた。
そしてYouMeスクール近くの空き地で車を降り、
学校に近づいていくと、たくさんの赤い帽子が見えた。
子どもたちの歓声が聞こえる。
14人の生徒からはじまったYouMeスクールには現在、
約180人の子どもたちが通っている。
泣いちゃうどころかぼくは、ただただうれしくなった。
お風呂に入ったときのような、笑顔になった。
こんにちは、みんな。
そのことばさえ、いらないように感じられた。
ありったけの笑顔には、
ありったけの笑顔を返せば、それでいいのだ。
(古賀史健)

ああ、そうか。そこでようやく僕は気づく。
まだこの国は始まったばかりなのだ。
内戦が終わり、新しい憲法がつくられたのはわずか3年前。
その憲法の下で、初めての選挙が行われたのは、
つい去年のことだ。ここにはまだゼロしかない。
何もないからこそ希望がある。
すべてをこれから自分たちの手でつくる。
ここはそういう国なのだ。
(浅生鴨)

「あれはネパールで最初の信号です」
シャラドが指さす前方に、信号機がある。
当たり前の、ありふれた信号機だ。
そういえば、いままでひとつもなかった。
「でも、まだみんな慣れないから、
かえって危ないんです」
信号がなくても、みんな上手に、
勝手に横切ったり割り込んだりすり抜けたりしてきた。
それはそれで、各自が判断して、
ある意味「安全に」やってきたのだと思う。
新しいルールは、慣れ親しんだ安全や安定を一旦壊す。
そうしないと、前には進めない。
信号に限らず、社会が成長するというのは、
そういうことなんだと思う。
(永田泰大)

「見てください、遺族が集まっていますが、
誰も泣いていないでしょう?」
驚いた。まったく、そうなのだ。
若くして亡くなった母であり、妻である女性を、
いままさに荼毘に付しているのに、だれも泣いていない。
(田中泰延)

趣味として愛好しているのではなく、
歌うことと踊ることが生活に溶け込んでいる。
それは最貧国とされる
ネパールに住むひとびとの幸福度を、
とんでもなく上昇させているんじゃないだろうか。
やがて高校生たちは、
ぼくらに対しても一緒に踊ろう、と誘ってきた。
シャラドが立ち上がり、一緒に踊りだす。
山田さんが続き、高校生が大盛り上がりする。
泰延さんとぼくも続き、
みんなできゃあきゃあ言いながら踊る。
幡野さん、小池さん、鴨さん、永田さんが、
うれしそうにそれを見守っている。
ホテル・ハレシ・ヴィレッジの、
かなり殺風景な食堂、その青い照明の下。
ぼくらはネパールの高校生と一緒に、
ネパールの音楽にあわせて踊りつづけた。
(古賀史健)

それはコウモリの鳴き声だった。
暗くて高くて見えないが、
おそらく天井にたくさんのコウモリが
ぶら下がっているのだろう。
不思議と怖さも気持ち悪さもない。
お経とコウモリの鳴き声が混ざる。
時間も、宗教も、感覚も、人間も混ざる。
ぼくはしばらくひとりでその音に聴き入った。
その気になれば、ずっとここにいられると思ったけれど、
みんなを待たせるわけにもいかないから、
穏やかな闇の中でひとつ深く
息を吸い込んでゆっくりと吐き、
洞窟の中空に漠然と一礼して階段を上がった。
(永田泰大)

旅の話を書くとき、
いつも僕はある種のノスタルジーを
文中にちりばめようとする。
それは僕の書き癖なのだ。
でも、今回の旅はそうしたくはないなあ
という漠然とした思いがどこかにある。
ノスタルジーには気をつけようとメモを残す。
(浅生鴨)

次回の更新は6月3日(月)です。