世界を回って、故郷で見つけた。NAOTの宮川敦さんにイラストの福田利之さんがインタビューしました。
ほぼ日刊イトイ新聞
2 水タバコを吸う日々。
福田
奥さんとふたり、放浪の旅というのは
どんな所へ行かれたんですか?
宮川
まずアジアを横断して、ヨーロッパを回り、
中東からアフリカを縦断して、
南米を回って帰ってきました。
福田
3年9カ月でしたっけ、
その間、日本には戻らずに?
宮川
兄の結婚式があって
1回だけ戻ってきましたけれど。
福田
楽しかったですか?
宮川
すごく楽しかったです。すごく。とても。
「もういつ死んでもいいかな」と思うくらい、
ほんとうに楽しかったんです。
だって、ずっと夢が叶い続ける状態なんですから。
▲ヒマラヤ山脈にて。もうすぐでエベレストBC。

▲インドは結局6ヶ月いました。

▲エチオピア〜ケニア、バスの立ち往生中でのひまつぶし。
福田
そこまで楽しいのなら、
そのまま帰ってこないという選択肢も
あったんじゃないですか。
どこかに住み着くとか。
宮川
そうなんです。
「もう日本に帰らずに、どこかに住もうかな?」
と思ったこともありましたが、
結局‥‥帰ってきたんですね。
そして僕たちの実家である奈良に行きました。
僕はその時、34歳で無職でした。
途方に暮れました。
夢も叶えてしまったし、
やりたいこともないし、
お金もないわけです。
妻はアルバイトに出て
食いつないでくれたんですけれど、
僕は家で、廃人のようになっていました。
ベランダで、水タバコをずっと吸っていたんです。
福田
あの中東の?
宮川
はい、エジプトで買ってきました。
すっごい煙出るんですよ、あれ!
福田
一番あかんかぶれ方ですね。
宮川
たぶん、近所の人も「こいつ、おかしいな」
みたいな空気にもたぶんなっていたと思うんです。
昼間から、ポカポカ、ポカポカ、大人が煙出して。
福田
奥さん、バイトしに行ってはるのに(笑)。
宮川
で、これはまずいと思って、思い立って、
妻のお母さんがやっている、
奈良の「風の栖」っていうセレクトショップで、
「手伝わせてくれ」って。
福田
お義母さんがされてるんですね。
宮川
そうなんですよ。
それで手伝うことになりました。
僕は、あまりにも力を持てあましていたので、
仕事ができることがすごくうれしくて、
袋にハンコ押すことすら楽しくて、
「ヤッターッ」と思っていたんですね。
そのお店でNAOTを扱っていたんですよ。
福田
イスラエルじゃないんや。
奥さんの実家なんや。
そんなに近くにあったんか!
宮川
そうなんです。そもそも、奈良なんです。
僕自身、NAOTの靴は昔から知っていて、
すごく好きだったので、とても嬉しくて。
でも、当時NAOTを取り扱っていた
東京の商社が扱いを辞めたところで、
日本に入ってこなくなっていたんです。
在庫があるのみ。
福田
その前から日本にあったことはあったんですね。
宮川
あったんですよ。少しだけ。
でも宙ぶらりんの状態になっていました。
実際、NAOTの靴は「風の栖」でのお客様にも
とても人気だったので、
「もう1足欲しい」という人が
買えない状態になっていた。
そこで「一か八か、コンタクト取ってみるか」と、
自分で本社にかけあうことにしました。
自分たちで輸入してみよう、と。
福田
そんな、輸入って。お金はなかったんですよね?
宮川
そうなんです。あまりにもお金がなさすぎて、
全財産はたいてやっと1ケース分を集めて
送ってもらったんです。
1ケースって、16個の靴が入っているんですね。
そこからNAOTの仕事が始まりました。
「風の栖」の1ブロックを借りて並べて、
在庫は階段のところに隠して。
展開も、サボ2色だけでしたが、
仕入れた16足が完売したとき、すごく嬉しかった。
待っていてくださる人がいて、
渡せる喜びがあって、
自分自身も仕事がまったくなかったから、
誰かのためになっているという喜びもあって。
そこからちょっとずつ、ちょっとずつ、
仕入れを増やして、今に至るんです。
福田
わりとこう、だめな人の話が前半にあったので、
ドキドキしちゃいましたが、
宮川さんには人徳があるんですよね。
なんでも受け入れてくれるなかで、
いろんないいものがどんどん集まるし、
いい仲間も寄ってくる。
宮川
運だけで生きてるなって思う時がすごいあります。
巡り合わせ、人との出会いとか、
そのNAOTとの出会いも。
福田
奥さんもすごいです。
奥さんがいなかったら、
宮川さん、えらいことになってましたよ(笑)。
宮川
そうです。あれ(水パイプ廃人の時期)は
僕の人生の最大のピンチだったと思うんです。
あの時は「なんとかなるやろう」と思っていましたよ。
そもそも放浪の旅に出るって、
今まで持ってたものを全部捨てることでしたから。
みんな、旅っていうと、
何かを得に行くと思うんですけど、
僕は捨てに行くことだとか思っていて。
だから帰ってきたら、
本当に何もなくなっていたんです。
そして「捨てる勇気があれば、なんでもできる」
って思っていた自分のはずなのに、
何もできひんし、生きてる意味はあるのか、
ということまで考えて、どうしよう、って。
福田
でも奥さんは、一緒に旅行されて帰ってきてるけど、
別に水タバコも吸わずに、
普通に現実と向き合ってはったんでしょう。
宮川
そう。たぶんまずいなと思っていたんだと思う(笑)、
食べていくために。
NAOTの靴、初めはたった16足だけだったんですけど、
いまこうして奈良にお店があって、
東京にもお店が出せて、
お客さんが来てくれて、
ほぼ日でイベントをしたら
やっぱりお客さん来てくれて、
奇跡のようだと思っています。
(つづきます)
2016-11-16-WED