ほぼ日刊イトイ新聞

旅・人・20、写真・師・山。

~石川直樹をかたちづくるものたち~

石川直樹さんが旅をしはじめて、
20年の月日が過ぎました。
その間、氷の山にしがみついたり、
無人の荒野を往ったりしながら、
写真家は、それらと同じ気持ちで、
たくさんの人に会ってきました。
旅も人も写真も山も、みんな先生。
石川直樹さんの「学びの20年」、
振り返ってもらいました。
担当は、「ほぼ日」奥野です。

1 野田知佑さんに憧れて早稲田に入り、角幡唯介さんと出会う。

──
昨年、『極夜行』という作品で
大佛次郎賞を受賞されたのをはじめ、
ノンフィクション関連の賞を
数多く受賞されている
探検家の角幡唯介さんとは、
早稲田大学の学生だったころからの
お知り合いなんだそうですね。
石川
はい、2歳年上かな。
──
ふたりが、はじめて会ったのは‥‥。
石川
探検部の部室です。
──
おお。でも、その探検部には、
石川さん、入らなかったんですよね。
石川
はい、どんな感じか話を聞きに行ったら、
そこにいたのが、角幡さんだったんです。
──
石川さんは、そのときは、写真は‥‥。
石川
19くらいのころなんで、
いちおう撮ってはいたんですけど、
まだ、ぜんぜんですね。
──
じゃ、今ぼくらが知っている
「石川直樹」になる前の段階ですね。
石川
ただフラフラしてただけの人でした。
──
早稲田の探検部って、いわゆる名門?
石川
大学の探検部では目立っていた存在ですね。

そのときのぼくには、
もう「ユーコン川を下る」という
明確な目標があったので、
結局、入部はしなかったんですけど。
でも、その歴史や
やっていることにすごく惹かれたし、
友人も何人かいました。
──
当時の角幡さんは、どういう‥‥。
石川
いまは、本当に素晴らしい
ノンフィクションライターですけど、
当時は、
ま‥‥おもしろい先輩でした(笑)。

で、いまだに、おもしろい人です。
──
そもそも早稲田大学に進んだのには、
何か理由があったんですか?

おじいさまの出身大学、だったとか。
石川
いや、じいちゃんはふつうに作家で、
大学どこだったんだろう?
──
あ、そこご存知ないんですね(笑)。
石川
外語大とかで先生やってましたけど、
調べたらわかるんですけど。
──
では、調べておきます。

※石川直樹さんのおじいさまである
 作家の石川淳さんは、慶應義塾大学予科から
 東京外国語大学へ進まれました。
石川
そう、だから別に、
うちのじいちゃんは関係なくて、
カヌーイストの野田知佑さんという方が、
早稲田の文学部出身だったんです。
──
野田さん。
石川
ええ、先駆的なカヌーイストで、
アラスカやカナダの川も長く旅しているし、
作家として、
たくさんの本も書いていらっしゃいます。

つまり、ものを書きながら旅をする、
ぼくの場合は写真だけど、
とにかく、そういうことの大先輩なので、
あこがれて、尊敬していたんです。
──
自分もいつか、
野田さんのようになりたいと思って。
石川
旅をしながら生きていきたいと、
そういう気持ちでした。

実際、高校卒業の直後に、
鹿児島まで、
野田さんに会いに行ったりしてます。
──
あ、実際にお会いになったんですね。
そして、その憧れの人と同じ大学へ。
石川
結局、あんまり通わなかったけど。
──
ご卒業は?
石川
しましたよ。ちゃんと。

ただ、ふつうに3月では出られずに、
一年留年して、一年休学して、
さらに半年伸びちゃって、9月卒業。
──
それでも、よく卒業できましたね。

ふだんは行ってなくても、
ポイントポイントで試験とか受けて、
単位を取ってたんですか。
石川
うーん、そうなのかあ。
──
記憶にない?
石川
歴史・民族系専修っていう学科に
いたんですけど‥‥
でも、19から23くらいまでってことは、
いちばん活発に、
海外へ出ていた時期なんですよね。
──
ああ、そうか。
石川
20歳のときにデナリに登ってから、
7大陸のそれぞれの最高峰を、
23歳までに、ぜんぶ登ったんです。

「DENALI」(1998)

──
それは‥‥
試験勉強とかしてるヒマないですね。
石川
さらにその合間に、北極から南極まで
人力の移動手段で旅をする踏破する
「ポール・トゥ・ポール」
に、まるまる1年、参加してますし。
──
聞けば聞くほど、本当に、
よくご卒業できたなあ‥‥というか。
石川
んー、どうやって卒業したんだろう。
本当に記憶がないなあ。
──
いかもに石川さんらしい感じ(笑)。

ともあれ、
野田知佑さんに憧れて入った大学で、
角幡唯介さんに出会った。
石川
そう。
──
じゃ、角幡さんとは、
それ以来のお付き合いが、いまも続いて。
石川
そうですね、たまに会ったりしてますね。

角幡さんが朝日新聞の記者時代、
ぼくが熱気球で太平洋横断しようとする
プロジェクトに参加していたときも、
何度か、取材に来てくれました。
──
あの、『最後の冒険家』のときの。
石川
うん、でも雪男を探しに行くからって、
新聞記者を辞めちゃって。
──
ネパール雪男捜索隊に入隊して、
その経験を書いたノンフィクションで
文学賞を受賞していますよね。

※角幡唯介『雪男は向こうからやってきた』
石川
いまやもう、骨太の作品を次々に刊行する
素晴らしい作家です。
──
石川さんが、その『最後の冒険家』、
つまり熱気球による太平洋横断の本で獲った
開高健ノンフィクション賞を、
角幡さんは、
チベットの未踏5マイルを訪ねる作品で、
お獲りになってますね。
石川
そうですね。
──
ある若き日に探検部の部室で出会った
ふたりの若者が、
それぞれ別々の道を歩いたのちに、
探検家「角幡唯介」と
写真家「石川直樹」になっていくって、
ちょっとワクワクする話です。
石川
まあまあ。
──
いまお会いすると、どうですか。
石川
ぜんぜん変わんないですね。

「K2」(2015)

<つづきます>

2019-03-04-MON

あの、広くて天井の高い
東京オペラシティのギャラリーを
ぎっしり埋めた
石川さんの20年ぶんの写真を見て、
すごいことだと思いました。
石川さんという写真家が、
20年、この地球を移動した軌跡を
たどることができます。
ひとりの作家の大きな節目として、
見ておいたほうがいいと思います!
会期は、3月24日(日)まで。
また、このタイミングで、
石川さん、なんと、本を3冊も刊行。
展覧会と同名、見ごたえたっぷりで、
キギさんの装丁がかっこいい写真集
この星の光の地図を写す』、
ヒマラヤ遠征の8年間を記録した
The Himalayas』、
2013年から断続的に刊行してきた
シリーズの最新作『Ama Dablam』。
どれも20年を飾るに相応しい、
すばらしく、かっこいい写真集です。

展覧会について詳しくは、
こちらのオフォシャルサイトでご確認を。