現役メジャーリーガー、
菊池雄星投手が「ほぼ日」に初登場です!
高校時代を過ごした岩手県花巻市で、
子どもたちのために菊池さんが作った
全天候型複合野球施設「King of the Hill」。
その構想から追いかけていた糸井重里が、
完成したばかりの施設をめぐりながら
たっぷりとお話をうかがいました。
一流の設備のもとで野球ができる環境は、
夢見る子どもたちの育成だけでなく、
菊池さんが一日でも長く野球を続けるためにも
欠かせない場所となっていきそうです。

 

 

>菊池雄星さんのプロフィール

菊池雄星(きくち・ゆうせい)

メジャーリーガー。
1991年、岩手県盛岡市で生まれ、
出身高校は花巻東高校。
2009年ドラフト1位で西武ライオンズに入団し、
最多勝、最優秀防御率、2度のベストナイン、
ゴールデングラブ賞を獲得。
2019年にメジャーリーグへ挑戦し、
シアトル・マリナーズに入団。
2021年にオールスターへの初選出を果たし、
2022年よりトロント・ブルージェイズに移籍。
2024年シーズン途中ヒューストン・アストロズへ
移籍し、地区優勝に貢献。
オフにはロサンゼルス・エンゼルスとの契約に合意。
2024年11月17日、岩手県花巻市に
世界最先端の機器を導入した日本最大級の
全天候型複合野球施設「King of the Hill」を
自らのプロデュースで開業させた。

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(2)悔いのない2週間を過ごす場所。

糸井
自らご案内いただいて、
ありがとうございました。
いやーっ、いいこと考えましたねえ!
菊池
この度は岩手までお越しいただいて、
ありがとうございます。
ようやく完成しましたが、これからが大変ですね。
いい場所があるからといって、
人を育てるのは本当に難しいので。
糸井
ああ、こういう施設なら
指導者が大事ですもんね。
菊池
まさに、指導者次第だと思っていますね。
ハード面はお金を掛ければ作れるかもしれませんが、
指導者の育成ができないと意味がないので、
しっかり指導していかなきゃなと思っています。

糸井
外に出ると11月でもかなり冷え込んでいますが、
花巻は真冬になると本当に寒くなりますよね。
菊池
冬は雪も積もって、とにかく寒くなりますね。
なので、一年中室内練習ができる暖かい場所を
大切なコンセプトにしていて、
室内練習場にも暖房は入っています。
糸井
あれ、高校に室内練習場はないんですか。
菊池
高校にも室内練習場はありますが、
狭いし、寒いんですよね。
おそらく、空調が効いている室内練習場は
岩手県内にないんじゃないでしょうか。
寒いと思いきり投げることもできませんし、
打つたびに手が痛くなるので、
思いきりバットを振ることもできないんです。
糸井
そうか、寒い中で練習していたんだ。
菊池
はい、寒い中でもできることをしていました。
雪がとける4月ぐらいになってから、
はじめて思いっきり投げられるんですよ。
糸井
ああ、それはハンディキャップですね。
菊池
11月から3月は実践練習ができなくて、
食べて、筋トレするぐらいしかできないので、
みんな体は大きくなるんですよ。
暖かい地域の学校なら外でも練習できますが、
我々はもう諦めることしかできませんでした。
糸井
そういう理由があって、
この施設ではぜんぶ空調を効かせているんですね。
これがあるのと、ないのとのでは、
ものすごく大きな違いがあるだろうなあ。
このKing of the Hillを作るにあたっての
設計図というか、もっと前の構想のときから、
あった方がいいもの、ない方がいいもの、
いろんなことを考えたと思うんですよ。
菊池さんの中で、最初の核になった考えはなんですか?
菊池
最初のきっかけは、日本に帰ってきてから
息子とキャッチボールする場所が
ほしいなと思ったんですよ。
ぼくが岩手に帰ってくるのは11月とか12月で、
雪が降ってキャッチボールができないんです。
糸井
うんうん。
菊池
2020年のコロナ禍のときにも、
この状況がいつまで続くのかなぁと思って。
アメリカでは自宅を改装して
ブルペンやトレーニング場を作っていたので、
日本でもそういう場所を作れたら
自分で練習できると考えたんですよね。
ただ、その頃には
ぼくだけの練習場にしてはいけないなと
考えるようになっていました。
ぼくには、花巻に支えてもらって、
育ててもらったという恩がありますから。
地域に貢献したいという思いで、
子どもたちのためになにかできないかなって、
どんどん構想が膨らんでいったんです。

糸井
やりたいことが、どんどん足されていった。
菊池
足し算しかしなかったですね。
引き算は、一切せずに。
糸井
いまの話の中で「あっ!」と思ったのは、
菊池さんが日本に滞在している時間は
そんなに長くないと思っていたんですよ。
菊池さんの中では「日本にいるときの自分」が、
それなりの時間で意識しているんですね。
菊池
例年ですと、日本に帰っているのは
2週間から3週間ぐらいですね。
King of the Hillを作ったので、
今後はもう少し増えてくると思います。
それまでは本当に、練習する場所がなかったので。
ちょうど帰ってくる時期が
雪が降るタイミングというのもありますし、
プロアマ協定で、高校生と一緒に
練習しちゃいけないというルールもあって、
母校も借りられず、河川敷で走ったりしてました。
糸井
ああ、高校での練習もダメなんだ。
アメリカにいるのとは、ひどい差ですね。
菊池
自宅の近くでトレーニング場を借りて
トレーニングすることもありましたが、
十分とは言えない環境でした。
岩手が好きで、毎年帰ってきたい気持ちはあっても、
日本に練習する場所がないなと感じていたんです。
日本での練習場を作れたらいいなとは
ずっと思っていたのですが、
それを実行に移すことにしたのは
ブルージェイズに所属していた2022年に
中継ぎピッチャーへの転向を命じられて、
すごく悔しい思いをしたからなんですよ。
糸井
中継ぎへの転向がそうとう悔しかったんだ。
菊池
「あ、このままだと野球できなくなるな」
って思ったんですよ。
それがいまから2年前で、31歳でした。
年齢が進むにつれて、
チャンスの数は必ず減っていくんですよね。
メジャーでは、どんどん若手が出てきますから。
そこで、すぐに信頼できる仲間に連絡して、
練習場を作ることを決めて、
この2年間で一気に話を進めたんです。
糸井
さっき、施設を案内いただいたときに、
世間がオフシーズンだと思ってる時間こそが、
選手にとってのシーズンだって
おっしゃっていましたよね。
菊池さんのその考えからすると、
日本で練習ができない期間が
2週間もできたらダメだってことですよね。
菊池
1日も無駄にはできませんね。
我々、野球選手はいつ終わりが来るか
本当にわからない仕事なので、
悔いが残らないようにしたかったんです。
「日本で2週間、十分な練習ができなかったから」
なんて、やめるときに思いたくなくて。
糸井
ぼくは、菊池さんと
直接のお付き合いをしてきたわけじゃないけど、
「悔いが残らないように」ということばは、
何度も思ってきた人のように感じるんですよ。
菊池さんって人はいつも、
「先もあるんだから」っていう意識を
持っているんだなと思って見てました。
プロ野球に入ったばっかりのときに、
大学の勉強道具を持って入団しましたよね。

菊池
ああ、そうですね(笑)。
糸井
おもしろい人だなあと思ったんです。
それもつまり、
野球選手って何が起こるかわからないから、
そのときに「あ、俺はもうダメだ」って
言いたくないっていうことを表現してますよね。
菊池
それは常に思っていますよ。
糸井
常に思ってるんですか。
菊池
メジャーでは実績のある選手であっても、
来年からはクビって、
フェアな目で見られていますよね。
戦力になるか・ならないか、という目です。
それを経験していますし、
未来をずっと見据えているからこそ、
いつ終わるかわからない野球だからこそ、
いま、がんばれるんだって思っています。
糸井
未来の自分があると思って、がんばっている。
そういう人は、
自暴自棄になったりはしないものですか?
菊池
そうはならないですね。
糸井
野球漫画なんかを読んでいると、
みんな感情的になってスランプになったり、
しっかりしろよ! とか言われますけど、
そういう人生はまったくないんですか。
ケガも経験されていますし。
菊池
ぼくの場合は、本当に波がある野球人生で
苦しい時期も長かったので、
なんて言うんでしょう‥‥。
もう、慣れましたね(笑)。
糸井
慣れるものなんですか。
菊池
はい、慣れました。

糸井
ぼくは菊池さんのことを外から見てるから、
いいときも悪いときも、
そんなに自分事にはならないんですよね。
「ああ、いま調子悪いんだな」とか、
「いま、いいんだな」ぐらいにしか見てないんです。
でも、菊池さんの略歴を改めて見ると、
もうダメだって何回も言ってそうな気がするんですよ。
菊池
ああ、そうですよね。
糸井
菊池さんにとって一番、
ピーキーな時期っていつでした?
菊池
それで言ったら、甲子園ですよ。
糸井
ああっ!
あの姿はカッコよかった。

(つづきます)

2025-01-17-FRI

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