スポーツ弱者をなくすためにつくられた
「ゆるスポーツ」は教科書にも掲載され、
あらゆる世代のおたのしみの時間になっています。
全盲のお子さんがうまれたことで、
すべてが変わったという澤田さん。
モヤモヤとした気持ちを昇華させ、
毎日「コンセプト」を考え続けることで、
スポーツだけに留まらず、あらゆる分野で、
新たなアイディアを次々とカタチにしています。
その度に、ちょっとずつ
息がしやすくなる人が増えて、
その先に、やさしい世界が広がっていく気がします。
担当は「ほぼ日」下尾(しもー)です。

ほぼ日の學校で、ご覧いただけます。

 

>澤田智洋さんプロフィール

澤田智洋 プロフィール画像

澤田智洋(さわだ・ともひろ)

1981年生まれ。言葉とスポーツと福祉が専門。
映画「ダークナイト・ライジング」の
『伝説が、壮絶に、終わる。』等のコピーを手掛ける。
東京2020パラリンピック閉会式の
コンセプト/企画を担当。
2015年に誰もが楽しめる新しいスポーツを開発する
「世界ゆるスポーツ協会」を設立。
これまで100以上の新しいスポーツを開発し、
30万人以上が体験。
海外からも注目を集めている。

また、2024年元日に発生した能登半島地震を受け、
100万点以上の物資を災害弱者へと届けた「届け.jp」、
障害があっても気軽に着られるファッションブランド
「裏表のない世界」など、
福祉領域におけるビジネスも多数プロデュースしている。
著書に『人生にコンセプトを(ちくまプリマー新書)』
『マイノリティデザイン(ライツ社)』などがある。

HP:https://www.sawadatomohiro.com/

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第4回 世界のホーム化

インタビューを受けている澤田さん

──
こういうことを考えようと思った、
そもそものきっかけみたいな、
自分の人生で起点になったことはありますか。
澤田
起点は、いろいろあるんですけど。
基本的に何て言うんですかね、
すごく傷だらけの人生を歩んできてるんです(笑)。
その傷がきっかけになっています。
大きな傷がふたつあります。
1つ目は、僕は生後3カ月ぐらいから、
いろんな海外を転々としてきました。
でも小学校のときに日本に帰って来て、
いったん英語をぜんぶ忘れちゃって。
また小5からフランスに行ったんです。
2回目のフランスだったんですが、
最初はパリの日本人学校に通ったんですけど、
日本の学習指導要領に沿って進むから、
日本の学校と同じことをやってるんですよね。
ちょっと勿体無いなと思っちゃって。
せっかく海外にいるから、フランス語もいいんだけど、
英語をもうちょっと勉強したいなと。
ちょっと僕、小学校のとき
クールキャラぶっていたので、
アウェイであればあるほどいいと思っていて。
パリのイギリス人学校というマニアックな学校を
見つけて問い合わせてみたんです。
日本人からの問い合わせ自体が初めてで、
「間違ってないですか。」と聞かれましたが、
日本人を受け入れたことがない同級生たちの中で
意気揚々と経験を積もうと思いました。
でも意思の疎通が全くはかれないと、
いつまでもケアしてくれる子はいなくて、
英語もしゃべれなかったから、
中学1年生の1年間は
学校で一言も喋らなかったんですよ。
──
ええーっ。
澤田
あ、転校したときに「ハロー」ってだけ言いました。
それがひとつ目の傷で、1年間、
透明人間を味わうというのは、なかなかに地獄でした。
しかも多感な時期だったから。
そのときに1回人生が終わったと思って。
自分が存在しなくてもいい世界っていうものを
イヤというほど味わいました。
この教室に僕はいなくてもいい。
誰も目を合わせてくれない。
でも、僕みたいな人って
世界にいっぱいいるんだろうなと思ったんですよ。
であるならば、この経験、
透明人間経験とか孤独な経験を
味わった人にしかできない何かがあるんじゃないのか
ということは漠然とそのときから思っていました。
──
中1の頭の中で、すっごく考えていたんですね。
澤田
そうです、そうです。
そして、ふたつ目の傷は、
僕が32歳のときに息子が生まれたんですね。
彼には障害が3つありまして。
ひとつ目が視覚障害で、全盲なんですけどね。
ふたつ目は知的障害がある。
みっつ目はASDっていうんですけど、
かつて自閉症って呼ばれてたものです。
それもすごくショックでした。
──
生まれてすぐにわかったんですか。
澤田
それが視覚障害には、
いろんな種類があって、眼球そのものがない、
または極端に小さい場合などは、
生まれてすぐわかるんですけど、
息子の場合は、パッと見、
眼球の形状自体は普通なので、
気づかなかったんですよね。
生後3カ月ぐらい経っても、
なんか目が合わないなというのが気になりだした頃、
目がものすごく充血してきたときがあって、
近所の眼科に駆け込んだら、
「すぐに大きい病院に行ってください。
ちょっと危ないかもしれません」と言われました。
何が危ないのかもわからないまま行ったら、
実は「見えていないし、これからも見えません」と。
3カ月間は健常児だと思って育てていたら、
ある日突然、視覚障害者だったことがわかりました。
それだけでもショッキングだったんですけど、
徐々に自閉症と知的障害もあることがわかって、
さらに追い打ちをかけられました。
視覚障害者ってかなりマイナーな存在で、
たとえば視覚障害のある子どもは、
視覚障害児っていうんですけど、
割合的には日本の子どもの0.04%と言われてます。
1万人、日本の0歳から17歳ぐらいの子がいたら、
4人が視覚障害があるという割合です。
そしてそれに加えて、
知的障害やASDなどの複数の障害を持っている子を
重複障害っていうんですけど、それは統計がないんですよ。
──
ええー。
澤田
僕が見た限りではデータは見当たらなくて。
おそらくは10万人か20万人にひとりとか、
レアキャラなんですよね。
息子を育ててみてわかったのが、
この社会は「息子最適」には作られていない。
たとえば目が見えないと、
信号を渡ることも、
自動販売機でジュースを買うのもむずかしい。
毎日がロシアンルーレット状態。
何があるかわからない。
お茶が飲みたかったのに、
おしるこが出て来たなんてことは、あるあるなんです。
あとは就職の選択肢も、
3つ障害があると、かなり狭められます。
そういう経験を経るうちに、
先ほどの透明人間期の傷と相まって、
孤独な状態にいる人や障害のある人も含めて、
スポーツにたとえると、この世界をホームじゃなくて
アウェイに感じている人が実はいっぱいいる。
そういう人たちが、
この世界をホームに感じられるような世界にしたい
と思ったんですよ。
僕は何もしなくても、この世界をホームだと感じる。
僕は健常者で、男性で、日本人として日本に住んでいて、
シスジェンダーでヘテロセクシュアルで、
性的にもマジョリティだから。
僕みたいなド・マジョリティ人間にとっては、
この世界は、すごくホームグラウンドなんです。
こんな僕ができることがあるんだとしたら、
僕もぜんぜんひとりの人間でしかないから、
できることは限られているんだけれど、
オセロみたいに、アウェイを
ホームに変えていけるんだったら変えていきたい。
つまり僕がやっていることは「世界のホーム化」です。

インタビューを受けている澤田さん

(つづきます)

2026-09-01-TUE

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  • お知らせ

    WHITE LETTER

    全盲のお子さんと一緒に
    澤田さんがはじめた「ホワイトレター」。
    点字だからこそ伝えられる想い。
    遅いコミュニケーションがもたらす、
    新たな絆が芽生えるなあと思って、
    昨年15歳になった息子に、
    ホワイトレターを送りました。
    照れくさいことだって、
    堂々と言えちゃいます。

    HP:https://www.whiteletter.jp/

    ノールック書道

    ノールック書道!?
    響きからして、とってもおもしろい。
    澤田さんが授業参観のときに目撃した
    盲学校の子どもたちが書いた書。
    そのエネルギーと圧倒的な自由こそ、
    今の社会に必要だと思ったそう。
    視覚に頼らず、身体と感覚だけで
    筆を走らせるなんて、絶対たのしい。

    HP:https://www.nolookcalligraphy.com/