1980年代に「不思議、大好き。」の広告制作で
ピラミッドを訪れたこともある糸井重里が、
2024年のいま、エジプト考古学者の
河江肖剰さんにお話をうかがいました。
あれほどのものをなぜ作れた?
スフィンクスの誕生にはどんな謎がある?
現在では調査もすすみ、ドローンやAIを使ったり、
さまざまな分野の専門家が関わったりすることで、
ますます多くのことがわかってきているとか。
いまの忙しない時代に、長い時間を超えて
ゆったりと佇むピラミッドの話は元気が出ます。
さぁ、最新ピラミッド研究の世界へようこそ。

>河江肖剰さんプロフィール

河江肖剰(かわえ・ゆきのり)

エジプト考古学者。
名古屋大学高等研究院准教授。

1972年、兵庫県生れ。
1992年から2008年までカイロ在住。
2003年、エジプトのカイロ・アメリカン大学
エジプト学科卒業。
2012年、名古屋大学で歴史学の博士号を取得。

米国古代エジプト調査協会
(Ancient Egypt Research Associates, Inc.)
調査メンバー。
ピラミッド研究の第一人者
マーク・レーナー博士のチームに加わり、
ギザでの発掘調査に10年以上にわたり従事。
ギザのピラミッド時代の都市遺構である
ヘイト・エル=グラブ遺跡
(通称『ピラミッド・タウン』)の発掘調査を行う。
人文科学と自然科学の融合を目指した
新しいアプローチによって、
ピラミッドの構造を調査する
オープン・イノベーション・プロジェクト
Giza 3D Surveyを推進中。
ギザの三大ピラミッドとスフィンクスならびに
ケントカウエス女王墓、
エジプト最古のピラミッドである
サッカラのネチェリケト王の階段ピラミッド、
アブシールの第5王朝時代のピラミッド群などの
3D計測調査を完遂。

2016年、ナショナルジオグラフィック協会の
エマージング・エクスプローラー(新世代の探求者)
に選出される。
2018年、名古屋大学高等研究院准教授に着任。
同年、イタリア内務省並びに文化省が認定する
国際ジュゼッペ・シャッカ賞を受賞。

アウトリーチ活動として
TBS『世界ふしぎ発見』、NHKスペシャル、
日本テレビ『世界一受けたい授業』などメディアにも
多数出演し、エジプト文明について広めている。

2021年4月より、動画共有サイトのYouTube上に
チャンネル「河江肖剰の古代エジプト」を開設し、
古代エジプトに関する動画を投稿・公開している。

著書に、
『ピラミッド・タウンを発掘する』(新潮社)
『河江肖剰の最新ピラミッド入門』
(日経ナショナルジオグラフィック社)
『ピラミッド 最新科学で古代の謎を解く』
(新潮文庫)などがある。

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(4)北東側の角がボコッと凹んでいる。

糸井
ピラミッドって、平面を重ねてつくってるんですよね?
河江
実は、そこが一番難しいところなんです。
果たして平面を重ねたのか、どうつくったのか。
糸井
あ、そうですか。
河江
はい。ただそれを知るには、
やっぱりデータが必要だと思うんですね。
考古学も科学で、
科学の基本は「観測」や「記録」。
だからピラミッドの謎についても、
我々はまず記録をして、
そこから話をしないといけないと思うんです。
けれどピラミッドって、いままで記録が
ちゃんと取られていなかったんです。
そのため我々は近年、
ドローンなどで3次元計測をおこなって、
それをいわゆる学際的研究
──工学の先生や数学の先生とスクラムを
組むことによって、
ようやくデータを完成させたところなんです。
だからいま、そのデータを使って、
本当の意味での現場検証をはじめている段階ですね。
本当に水平を重ねていったのか、あるいは、
ピラミッドはレイヤー状にもなっていて、
中にコア構造(別の構造体)があるのも
わかってるので、その関係がどうかとか。

糸井
少なくとも、石組みですよね。
柱で持ち上げたりしてるわけじゃ
ないでしょう?
河江
そうですね。傾斜路を用いて
石を運んでいたのは、間違いないです。
糸井
斜めに上げて、つくっている。
にしてもピラミッドの中って、
つくってる人たちは、つくりながら
「あそこだな」とか見えてたわけですよね。
僕はいま、自分にその想像がなかったことに
「あ、ずいぶん損してたかもな」と思ったんです。
河江
そうですね、見えてましたね。
たぶん芸術作品とかもそうだと思うんですけれど、
あまりにも完成度の高いものって、
できあがりだけ見ても、多くの人には
そのプロセスが見えないんだと思います。
糸井
仏像でも、ひとつの木からすべて
掘り出してるかのように見えますけど、
実はそれぞれ別につくったものを足してるわけで。
とはいえ外側が先にできたはずがないですから、
つくっている最中だと、完成した全体像は
頭の中にしかないわけで。
ピラミッドをつくってた数万人の人たちも、
つくってる最中、そういう想像をしながら
「おーい、こっちだこっちだ」って
やってたわけですよね。
‥‥そう思って見たら、また全然違いますね。
河江
ああ、そうですね。
でもやっぱり、そういう途中の跡が
残ってるところが面白いところですね。
たとえば、この映像では北東側の角が見えてますけど、
途中で少しボコッと凹んでますよね。

糸井
はい、凹んでますね。
河江
あそこは我々が最初に調査したところですけれど、
ああいったえぐられているところって、
ピラミッドの内部構造が一部見えるんです。
だから、そこから
「内部はこうなんだろう」と考えられたり。
あるいは2番目のカフラー王のピラミッドであれば、
本来は化粧板が全体をきれいに覆っていたわけです。
だけどいまは上部分にしか残ってない。
そのちょうど境目は、なぜ落ちてないのかを
調べるひとつの手がかりでもあって。
いろいろと重要な場所がありますね。
糸井
化粧板の存在は、ピラミッドをまた
とっても面白くしてますよね。
河江
いや、不思議ですねえ、化粧板は。
糸井
たしかにつくった人は、
そう仕上げたいでしょうね。
河江
だからもともと全部を覆っていたんですけど、
いまは再利用で剥ぎ取られてしまってます。
糸井
ピラミッド建設の年月には、定説があるんですか?
河江
つくるのにかかった年月は、
基本的にそれぞれの王の治世なので、
クフ王であれば26年とか27年。
とはいえ王が変わると年号が変わるので、
新しい年号が書いた記録が見つかれば、
そのまま伸びていくかたちなんです。
だからいまのところ、このピラミッドは
30年かからずにつくられたと考えられるんですね。
糸井
それはものすごく早いですよね。
河江
ただ、我々はもっと早かったと思ってます。
糸井
あ、そうですか。
河江
というのも別の、クフ王の父親の
スネフェルという王のピラミッドも
発見されているんですが、
そこに古代の落書きがあって、
スネフェル王の治世の年数が書かれているんです。
そこの下の方で見つかった落書きと
何段目か上の落書きを見ると、
恐ろしく早いスピードでつくりあげているので。
我々が考えている以上に、もっと早くつくってますね。
糸井
一所懸命だったってことですかね(笑)。
河江
まあシンプルに、つくれたんだと思いますね。
やっぱり一番の問題は組織力だと思います。
結局、組織がしっかりしてないことには
人間の配置ができないと思うので。
糸井
うーん、組織力。
河江
まさに当時、ピラミッド型の組織があった
というのもわかってます。
ギリシャ語で「フィレ」、
古代エジプト語では「サァ」っていう
10人1組、あるいは20人1組のグループがあって。
それが10グループで200人、
さらにそれが5グループあって1000人。
そういう大きな組織体になっていて、
それぞれ監督官がいて組織を動かしていた
記録が見つかっています。
やっぱりそういった組織も、
この時代に生まれたものだと思います。

糸井
その組織のつくり方も、また研究課題になりますね。
河江
そうですね。
まさに組織だけを研究されている先生もいます。
糸井
それはどういうジャンルの学問になるんですか?
河江
「エジプト学」という学問の一分野になってはいますね。
エジプト学の範囲は広くて、
たとえば残された痕跡の落書きを数千年間ぶん集めて、
いろんなことを解明していく
「落書き学」という学問もありますし。
糸井
じゃあそのエジプト学のなかには、
きっと輸送の学問もあるし、
材料をどこから持ってきたみたいな話も
全部つながってて。
河江
そうですね。
交易も、宗教も、経済も、社会も、
ありとあらゆるもの、人間の営みすべてが
ここにはありますから。
だから私はよく学生や子どもたちから
「将来エジプト学をやりたいんですけど、
何を勉強したらいいですか?」
とか聞かれるんですけど、
「なんでもいいよ」って答えているんです。
興味があるものは、なんでも勉強したら関わる。
糸井
やることあるよ、って。
河江
はい。服でも、食べものでも、
自分の興味があるものを勉強していったら、
それがいつか古代につながっていくと思います。

(つづきます)

2024-04-18-THU

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