来年2026年版のホワイトボードカレンダー、
月の数字を描いてくださった
版画家の若木くるみさんに話を聞きました。
川崎の岡本太郎美術館で
若木さんの版画作品に出会って
すごくかわいい作品だなあと思ったんです。
そこで、すぐにお仕事をお願いし、
素敵な作品もあがってきて、
あらためてインタビューしに行ったら‥‥。
若木さん、
後頭部を剃り上げてそこに人面を描き、
300キロや500キロの超長距離マラソンに
出場して完走する、
みたいなことをしている人だったんですよ。
意味がわからない? でしょうね。
でも、読んだらわかります。
びっくりしたまま、おとどけします。
担当は「ほぼ日」奥野です。

>若木くるみ

若木くるみ(わかきくるみ)

1985年、北海道生まれ。京都市立芸術大学1年生時、ニューヨークシティマラソンを初完走。卒業後は大学院に当然進む予定が不合格に。フリーターになった鬱憤をサロマ湖100kmマラソンにぶつけ走破する。ほとんどビリだったにもかかわらず、競技人口の少なさゆえ年代別2位に輝き、マラソン歴を引っ提げて岡本太郎賞に応募したところ根性を買われ奇跡の入選。その勢いのまま大賞受賞を果たす。近年版画の楽しさに目覚め、身の回りの日用品を手当たり次第刷りとる版画魔として活動中。大学院を落とされた時は死んだと思った。ほぼ日で仕事をする未来があるとあの時知っていたかった。変な経歴づくりのためだけに走ってきたが、2025年ほぼ日によって自身の経歴の頂点に達した。この人生に悔いなし。カレンダー買ってください。
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第1回  後頭部を剃り上げて 人の顔を描いて走る人でした

──
川崎の岡本太郎美術館へ行ったとき、
ふいに、
若木さんの版画と出会ったんです。
ひと目見て「かわいい!」と思って、
次のホワイトボードカレンダーの
月の数字にどうかと、
その場でチームにLINEしたんですよ。
若木
わあ、ありがとうございます!
──
そのときにぼくが見たのは、
なんとなく歳時記っぽいっていうのか、
スキーをやってる人だったり、
雪だるまを転がしてる人だったり‥‥。
若木
あ、4コマ版画ですね。

──
そうです! それです。
「めちゃくちゃかわいいな」と思って。
若木
うれしいです。
──
それで、家に帰って
ご本人についていろいろ調べていたら、
なにやら後頭部を剃り上げて、
そこに人面を描いてたりとかしていて。
若木
ねえ。よくもまあ、
そこで思い止まらないでくださって。
──
そもそも、どっちが「先」なんですか。
あの何ともかわいらしい版画と、
あのギョギョッとする後頭部の人面と。

若木
もう完全に「後頭部」のほうが先です。
あれでなぜか、
岡本太郎賞を受賞してしまったんです。
──
えええ、版画で獲ったんじゃないの!?
版画で獲ったんだと思ってた。
若木
ちがうんです。
ただ、作品が作品なので
誰からも期待されないままやってきて、
長い時間が経ったのですが‥‥
5年ほど前のコロナのときくらいから、
版画に熱中しはじめまして。
──
なんと‥‥そうだったんですか‥‥。
後頭部の人面のほうが先で、
版画は、けっこう最近はじめたんだ。
若木
なかったことにしないでください。
今回の話。
──
いやいや(笑)、それはないですけど、
もう作品もできあがってるわけだし。
でもそうだったんですか‥‥衝撃です。
若木
それまではずっと、
後頭部など身体を使う表現をやってて、
でもコロナで
そういったタイプのアートイベントが
ぜんぶなくなってしまって。
家のなかでできる版画に回帰した結果、
「あ、断然こっちの方が好き!」って。
──
回帰ということは、じゃ、以前には?
若木
大学のときにやってただけなんですが、
あらためてやってみたら、
なんだか、おもしろかったんです。
それに、やっぱり苦しかったんですよ。
パフォーマンスって。
──
そうなんですか。美大で版画。
若木
はい。木版を専攻してたんですけど、
何ていうのかな‥‥
当時は「もっと刺激的な表現」に
魅力を感じていたというか、
このまま版画やってていいわけない、
なんて思っちゃっていて。

──
木版の学生だったころに。
若木
そうですね。自信もなかったですし。
版画ってとにかく時間がかかるので、
そのことに耐えられなくなって、
自分自身を素材として、
マラソン大会に出たりしてたんです。
──
えっと(笑)、ごめんなさい、
あのー、マラソン大会というものには、
いかなる人でも出られますよね?
若木
ええ、そうなんですけど、
えーと、わたしの通っていた学校では、
毎月1回、
作品を提出しないといけなくて、
わたしは毎回毎回、
もう何でもないようなものを
前日とかにつくりはじめて、
何とかでっち上げるみたいなことで
ごまかしてきたんですが、
あるときに
マラソン大会に出ることが決まって、
あ、これを作品にできたら、
1回ぶんパスできるじゃないか‥‥と。
──
「作品の提出」を。
若木
そうです。身体はもうあるし。
──
身体はある(笑)。なるほど。
若木
そしてそれが、
人並み以上に頑丈なのもわかってる。
で、「何をしよう?」と思ったとき、
髪の毛をぜんぶ剃って、
後頭部に顔を描いて走ったんですよ。

──
話の展開が急すぎて(笑)。
若木
仮装で走るのは禁止されていたので、
背中の側なら
運営スタッフの人たちも
チェックできないだろうなと思って。
身体の正面で何かやったら、
絶対にバレちゃうなと思ったんです。
──
たしかに。背後なら盲点だろうと。
折り返し地点さえシレッと抜けたら。
若木
そう。で、後頭部に人の顔を描いて、
肌色のピタピタ全身タイツを着て、
背中の側に男の人の裸体を描いて、
剃った自分の髪の毛を
ストッキングに入れて、
おちんちんにして‥‥
それをおしりにつけて走ったんです。
──
‥‥それは、怒られたりとかは‥‥。
若木
大丈夫でした。気づかれなかったので。
まわりを走っている人たちの
ちょっとした退屈しのぎになるかなと。
実際、並走してくれる人がいたり、
みなさんあたたかく接してくれました。
それより前に、
はじめてマラソン大会に出たとき、
人間の後頭部で
道路が埋め尽くされていたんです。
それが「異様な光景」として、
わたしの記憶に残っていたんですけど。
──
ええ。
若木
あの無数の後頭部のなかにひとつだけ
「笑顔」があったら、
他の参加者を楽しませられるかなあと、
そんな軽い気持ちではじめたことでした。
でもそれが、あんなに長続きするとは
思ってもみませんでしたが。
──
長続き‥‥って何年やってたんですか。
若木
10年はやってたんじゃないかな。
もっとかな。
──
10‥‥。その間、版画のハの字も?
若木
ない。

──
でも、その「後頭部人面マラソン」を
「作品です」と言って
大学から単位をもらうからには、
何か記録に残して発表してたんですか。
若木
はい。写真や映像にして学内展示したら、
一部の学生の間で
「版画にヘンなのがいる」って(笑)。
──
そうだ。「専攻は木版」だった。
若木
そしたら知り合いが
「こんどギャラリーでやってみない?」
って言ってくれて、
で、そのギャラリーの展示を見た人が、
「岡本太郎賞に出してみないか」って。
──
えええ、それで受賞!?
若木
はい。だから、
本当に運がいいだけの人の話なんです。
──
具体的にどんな作品を出したんですか。
岡本太郎賞には。
若木
大きなキャンバスにお札を描いて、
真ん中がくり抜かれていて、
そこに、髪の毛を剃った状態の
わたしの後頭部をはめて‥‥。
──
あっ、なんかネットで見たかも。それ。
若木
希望するお客さんに、
その後頭部に顔を描いてもらうんです。
で、わたしは、描かれながら、
筆先が後頭部に触れる感触をたどって、
手元の手摺りのお札に
同時に顔を描き出していく‥‥という。
──
「いま右目かな」と思ったら右目を、
「おヒゲかな」と思ったらおヒゲを。
若木
で、それで岡本太郎賞を獲ったために、
引っ込みがつかなくなって、
体力もあったので、
マラソンと美術を組み合わせた活動を
しばらくの間やっていました。
一時は、日本代表を目指すくらいまで
がんばっていたんです。
──
日本代表!?
後頭部に人面を描いて走る競技種目が、
あるっていうんですか!?
若木
いえいえ、わたしが出場していたのが、
「超長距離マラソン」だったんです。
333キロとか、500キロとかの。
──
ごっ‥‥500!? 
若木
生命を削る系のマラソンだったんですよ。
そうすると、もうぜんぜん
美術なんかやってる時間がないというか。

第12回 岡本太郎現代芸術賞 岡本太郎賞 受賞作品《面》 展示風景 第12回 岡本太郎現代芸術賞 岡本太郎賞 受賞作品《面》 展示風景

(つづきます)

2025-12-16-TUE

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  • 若木くるみさんに「月の数字」を描き下ろしていただいた
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