NHK交響楽団の正指揮者であり、
2025年の「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」など
NHK大河ドラマのオープニングテーマを
これまでに7回指揮した下野竜也さん。
ポピュラー音楽とクラシックの垣根を超えた活動と
親しみやすいキャラクターでも人気の指揮者です。
指揮者という仕事について
じっくりお話を聞かせてもらいました。
「指揮者はオーケストラのなかで
いなくてもいい人」
と謙遜しつつ、
指揮者の仕事の醍醐味を話してくれました。
©Shin Yamagishi
下野 竜也（しもの・たつや）
1969年鹿児島生まれ。
鹿児島大学教育学部音楽科を経て
桐朋学園大学音楽学部附属指揮教室で学ぶ。
1996年にはイタリア・シエナのキジアーナ音楽院で
オーケストラ指揮のディプロマを取得。
1997年大阪フィル初代指揮研究員として、
朝比奈隆氏をはじめ数多くの巨匠の下で研鑽を積む。
1999年文化庁派遣芸術家在外研修員に選ばれ、
ウィーン国立演劇音楽大学に留学。
2000年東京国際音楽コンクール＜指揮＞優勝と齋藤秀雄賞受賞、
2001年ブザンソン国際指揮者コンクールの優勝で一躍脚光を浴びた。
2023年10月よりNHK交響楽団正指揮者。
東京藝術大学音楽学部指揮科客員教授、
洗足学園音楽大学客員教授、
東京音楽大学吹奏楽アカデミー特任教授として
後進の指導にもあたる。
インタビュー、ライティング／小田慶子
- ──
- ここで“マエストロ・シモーノ”と
クラシックファンに愛される下野さんにそもそも
「指揮者とは何をする職業なのか」ということを
教えていただきたいです。
音楽に詳しくない人は
指揮者は何をしているのか知らないと思いまして。
- 下野
- わかりました。
何でも聞いてください。
歴史をさかのぼると、指揮者という音楽家は、
あらゆる音楽家の中で一番後に発生した職業なんです。 - たとえば、ポピュラー音楽のシンガーソングライターは
自分で歌詞を書いて曲を作って自分で歌う、
これが基本じゃないですか。 - 17世紀ごろのヨーロッパで
本格的な宮廷音楽が生まれたときの
作曲家も、自分で曲を書いて、
ピアノを弾いたりバイオリンを弾いたりして
自分たちで演奏する。
それが前提だったわけです。
- ──
- まだ指揮者はいなかったんですね。
- 下野
- その後、作曲者は曲を提供するだけで、
第三者が演奏するという形になってきて、
演奏する人数も増えていくわけですよね。
最初の頃は多くても10人ぐらいのグループだったのが、
オーケストラとして発展していく。
そうなると演奏者の意見をまとめるのが大変になる。
みんなで音楽を奏でるときに
まずディスカッションしなければいけないものはテンポ。
演奏の速さをそろえなきゃいけないわけです。 - フランスのルイ14世のお抱えの一人に
作曲家のリュリという人がいて、
宮殿で自分の音楽を演奏するときに大きくて重い杖を
床でドンドンと鳴らしながらテンポを示していたそうです。
しかし、演奏中に誤って杖で自分の足を突いてしまい、
そのケガが元で亡くなった。
そういう有名な話があるんですけど、
やはり、音楽のテンポをそろえていくことが
必要だったわけです。
専用の人が必要だということになって、
それが指揮者の始まりと言われています。
- ──
- 指揮者のはじまりは
演奏者と兼ねていたんですね。
- 下野
- どの国でいつから指揮者が生まれたかは
厳密にはわからないけれど、
18世紀末から19世紀初頭、ベートーヴェンの時代には、
ピアノを弾きながら合図を出したり、
バイオリンの弓を振りかざしたり、
楽譜を丸めたりして
指揮を執ることはあったと言われています。 - そのうちに、ただテンポをそろえるだけではなくて、
ここはもっとこういう感情を込めてほしいとか、
たとえば映画監督や演劇の演出家のような要素が
指揮者に求められるようになってくる。
それが今の指揮者の役割につながっています。
- ──
- あとから演出的な役割が加わっていったと。
- 下野
- 指揮者って自分では音を出さないわけですよね。
演奏でも合唱でも、
指揮をする人の手から音が出るわけではない。
だから、指揮者はオーケストラで
最後に現れた職業で、
かつ「何をしているの？」と
いまだに言われる音楽家です。
- ──
- では、もし「指揮者がいなくてもオーケストラは
演奏できるのでは」と聞かれたら？
- 下野
- できます（笑）。
良いオーケストラほど指揮者はいないほうがいい。
ただ、われわれは
「指揮者がいたほうがベター」という状態を
目指さなきゃいけないわけです。
演奏者から見て、指揮者が示す方向に行けば面白いとか、
そういう曲の解釈、考え方もあるのかという
知的好奇心をくすぐられるようにする。 - それによってオーケストラに
化学反応を起こすことができるか。
- ──
- 指揮者がいることで、
化学反応を起こせるか、ですね。
- 下野
- そのレベルにまで達すれば、
指揮者がいる意味を認めてもらえるけれど、
われわれ指揮者も人間ですから、
ディレクションがうまくいかず、
「今の演奏、自分はいなくてよかったな」と思うことも
あります。
私なんてその試行錯誤で何十年も指揮者を
やっているようなもんですけど、
演奏のレベルだけ考えれば、
今のオーケストラのレベルはとても高いので、
究極の話、指揮者はいなくてもいいと思います。
- ──
- クラシックは指揮者が絶対的な主導権を持っていて、
演奏者はそれに従うイメージがありました。
野球やサッカーなどのスポーツでいうと
選手を束ねる監督のようなイメージです。
- 下野
- 一昔前は指揮者が絶対的な主導権を
持っていることもありましたが、
いまは指揮者と演奏者は対等な関係で、
むしろ演奏者のほうが
音楽性で上位にいることもあります。 - 野球やサッカーの監督と指揮者は
全体を束ねるという意味だと同じかもしれませんが、
決定的な違いは
監督は選手を経験した人がなっていること。
指揮者は
プロの演奏者から指揮者になるわけではなく
指揮者を目指す人は最初から指揮者になるんです。 - だから野球の場合は監督からバントのサインが出たら
選手はバントすると思います。
指揮者の場合は指揮者が演奏者に
サインを出しても
「えっ？なんで？」となるかもしれない（笑）。
特に若手の指揮者がベテランの演奏者に指示を出すのは
たいへんかもしれません。
そこにはなぜそのサインを出すのかという、
コミュニケーションが大事になってきます。
- ──
- たしかに若手指揮者はベテランの演奏者に指示をするのは
勇気が入りますね。
- 下野
- そうですよね。そこは話し合う必要があって
お互いが納得して進めることが大切になります。 - 私の指揮を見た人から
「（演奏に合わせて）踊っているの？」と
質問されるのですが
たしかに踊っているのかもしれない（笑）。
演奏の流れを壊さないで、奏でられる音楽に乗る。
逆に、指揮者が演奏の邪魔になってしまうことも‥‥。
オーケストラだけで十分、いい空気が流れているのに、
指揮者の余計な動きでそれを止めてしまったり、
または変に転ばせてしまったりということもある。 - いまだにこうすればいいという決定打の答えが
見つかっていない不思議な職業だなと思います。
- ──
- コンサートでは
「演奏する曲の選定」や「曲の解釈をする」
という作業がありますよね。
- 下野
- 曲目は指揮者の一存で決めるわけではありません。
各オーケストラのプログラム担当の人がいますし、
例えばNHK交響楽団なら定期演奏会があるので、
年間でプログラムが偏らないように
コーディネートする人がいる。
ベートーヴェンなどドイツ語圏のものだけではなく、
フランスの楽曲、イタリアの楽曲、
そして日本の作曲家が作った曲などでバランスを取ります。
それで曲目が決まり、
指揮者は俳優さんが台本を読むように、
どんな演奏が適切かということを考え、
楽譜を読み込んでそれを体に入れて、
オーケストラとの稽古に臨みます。 - 稽古といっても、
プロのオーケストラは演奏の用意をしっかりしてきます。
稽古は「どんな表現をしていくか」を
みんなで討論していく場です。
- ──
- たとえば稽古でコンサートマスター
（第1バイオリン首席奏者）が
指揮者と違う意見を出し、
そちらの意見が通るということもありえますか？
- 下野
- ぜんぜんありますよ（笑）。
オーケストラも人間の集団ですから、
指揮者の示したテンポを新鮮だと思う人もいるし、
変なテンポだなと思う人もいる。 - だけど、稽古の時間は限られているので、
指揮者はどういう音楽にしたいかを熟考してきて、
それをオーケストラに端的に示さなければなりません。
身振り手振り、必要があれば言葉で述べて、
そうすると、
オーケストラからも質問や意見が出てくるので話し合う。
そのセッションがあって初めて、
コンサートで演奏できるものになります。 - 本番でいいものを生み出すためには、
その前の仕込みをきちんとしていなければならないので、
指揮者の仕事は、
演奏会本番よりもその前の段階がとっても重要。
本番に至るまでの準備とリハーサルの在り方が
問われますね。
（明日につづきます）
2025-06-27-FRI
