江戸の循環社会やバイオエコノミー、
サーキュラーエコノミーなどなど、
ちょっと聞いただけだと
難しそうなテーマをベースにしている
映画『せかいのおきく』。
でも、阪本順治監督は
「う○こなら、やれる」と言ったそう。
痛快だなあと思ったんですが、
その真意から、
阪本順治監督の「映画監督論」まで、
たっぷりうかがいました。
担当は「ほぼ日」の奥野です。

>阪本順治監督のプロフィール

阪本順治(さかもとじゅんじ)

1958年、大阪府出身。大学在学中より石井聰亙(現:岳龍)監督の現場にスタッフとして参加。 89年、赤井英和主演『どついたるねん』で監督デビューし、ブルーリボン賞作品賞など数々の映画賞を受賞。藤山直美主演『顔』(00)では、日本アカデミー賞最優秀監督賞、キネマ旬報日本映画ベスト・テン1位など主要映画賞を総なめにした。

【その他の監督作】 KT』(02)、『亡国のイージス』(05)、『魂萌え!』(07)、『闇の子供たち』(08)、『座頭市 THE LAST』(10)、『大鹿村騒動記』(11)、『北のカナリアたち』(12)、『人類資金』(13)、『団地』(16)、『エルネスト』(17)、『半世界』(19)、『一度も撃ってません』(20)、『弟とアンドロイドと僕』(22)、『冬薔薇(ふゆそうび)』(22

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第4回 映画監督になるって決めた。

──
辰吉𠀋一郎さんのドキュメンタリー
『ジョーのあした』の最後のほうで、
監督は
「なんでボクサーになったんですか」
って、辰吉さんに聞いてますけど。
阪本
うん。
──
ぼくも、それと同じ質問をしますが、
監督は、そもそもなんで、
映画監督になろうと思ったんですか。
阪本
大きな要因が3つ、あるんだよね。
まずひとつめは、
俺、大阪の堺の商店街の生まれで、
家の真ん前が東映の映画館だった。
映画館の入り口が、
もうね、その窓くらいのところで。
──
めっちゃ近いですね。
阪本
そこから右へ50メートル行くと
こんどは東宝の映画館。
で、その裏に、昔の日活映画館。
──
そこらじゅうに映画館!
阪本
そういう環境で育ったということが
まず、ひとつです。
ちっちゃいころは、近所のよしみで、
タダで入れてもらったんです。
映写室とかにも、出入りしてました。
──
『ニュー・シネマ・パラダイス』だ。
それは興味出ちゃいますね、映画に。
阪本
くわえて家が代々「仏師」なんです。
仏像の彫刻師ね。
たとえばね、うちのじいさんに、
木っ端、木の塊を渡したら、
すごい鳥とかになって返ってくるわけ。
──
おおー。
それ、子どもにしてみたら魔法ですね。
阪本
俺も、ちっちゃいころから、
彫刻刀の扱いを教えてもらっていた。
ただの木の塊が、自分の手のひらで
別の何かに生まれ変わっていく、
そのおもしろさを知ったというのが、
もうひとつ。
──
ものをつくるのが、おもしろかった。
阪本
さらにもうひとつは、じいさんの弟、
つまり大叔父が刑事だったんだけど、
小学5年生のときに、
おまえ、何かをつくるのが好きなら、
8ミリのカメラを貸してやろうって。
フィルムもちゃんと、つけてくれて。
──
刑事さんから「8ミリのカメラ」を。
どういうものを撮ったんですか?
阪本
はじめて撮ったのが、
家の近所の孤児院に慰問にいらした、
今の上皇と上皇后。
つまり、平成の天皇と皇后、両陛下。
──
なんと!
阪本
美智子さまが施設から車で出てきて、
窓を開けて、手を振ってる。
それを俺は、まだ子どもだったから、
ロープをぴゅんっとかいくぐって、
間近で、美智子さまを撮ったんです。
──
おおー。
阪本
ピントも露出も自動じゃなかったし、
ちゃんと撮れてるか
ぜんぜんわかんなかったんだけど、
カメラ貸してくれた大叔父が、
現像するお金も出してくれたんです。
で、映写機も家に持ってきてくれて、
ふすまに写してみたら、
ピントがね、バッチリ合ってんのよ。
──
すごい。
阪本
だから、俺が最初に撮った被写体は、
美智子さまなんです。

──
自分ちのまわりが映画館で、
自分の手で
ものが変化してくよろこびを知って、
8ミリカメラを貸してもらって。
そんな小学生が、大人になって、
本当に映画監督になったわけですか。
何だか、感動しますね‥‥!
阪本
映画というものは
こうやってつくるんだという原点は、
小学校時代に知った気がします。
で、さらにあと押ししてくれたのが、
中学のときの先生。
その先生、すごく映画が好きな人で、
映研をつくったんですよ。
──
映研‥‥というと映画研究会ですか。
中学で?
阪本
そう。高校でも大学でもなく中学で。
当然、入りますよね。
そこで運動会の記録映画を撮ろうと。
自転車に乗って、運動会を撮った。
先生が編集のいろはを教えてくれて。
小学生のときは、
3分、撮りっぱなしだったんだけど、
こんどは切って貼って音楽をつけて、
そこにナレーションを入れたりして。
──
ええ。
阪本
高校では、8ミリ映画のブームがきた。
NHKなんかでも、
「学生8ミリ映画コンテスト」とか
はじめた時代かな。
うちの高校には10クラスあったけど、
文化祭の演し物は、
そのうち7クラスが自主映画でした。
──
そんな時代ですか。
阪本
もうね、街んなか、そこらじゅうに
うちの高校のロケ隊ばっかり。
──
ははは、みんなで撮りまくって。
阪本
担任の先生から1万円をもらって、
フィルムを何本か買って、
誰かの家にあった8ミリカメラで、
慣れてる俺が、カメラマンやって。
脚本も俺が書いたんだけど、
けっこうすごいよ、そのフィルム。
高校の校内が舞台なんだけど、
校舎バックで
タイトルがふわっと浮かんでくる。
役者の名前も、消えては浮かぶ。
──
え、そんなことができたんですか。
当時の機械で?
阪本
いや、まずは校舎を撮るんですよ。
そしたらフィルムをガーと戻して、
おなじところに、
黒地に白で書いたタイトルを撮る。
そうすると、重なって映る。
どれくらいフィルムを巻き戻すか、
そこは計算が要るんだよね。
20秒ぶん戻して5秒撮る‥‥とか。
──
つまり、多重露光的なことですか。
1枚のフィルムに2回、録画する。
そんなテクを知っていたんですか。
当時の高校生って。
阪本
うん。この手法は、
宮川一夫さんもやってたんだよね。
──
あの、有名なカメラマンの。
阪本
そう。宮川さんも、
オーバーラップさせて撮るときは、
現場でフィルムを戻してた。
つまり当時は、
一回こっきりしかできないことを
やってたんだよ、プロも。
戦前からある古典的な手法だけど、
雑誌か何かに載ってたんだな。
当時は、8ミリ映画ブームだから。
──
じゃ、阪本少年は、それを読んで。
阪本
当時は『小型映画』って専門誌もあって、
8ミリのアマチュア向けに、
いろんなテクニックが書いてあってね。
で、ぼくが高校3年くらいになったとき、
その『小型映画』って雑誌に、
石井聰亙さんやら、
大森一樹さんやら、
長崎俊一さんやら、
そういう人たちが載るようになったわけ。
──
ええ、ええ。
阪本
学生、8ミリ、劇映画、自主映画ブーム。
そんな空気の中、俺は17歳のときに
将来は映画監督になるって決めたんです。
──
はー‥‥17歳で。
そもそも、どういう生徒だったんですか。
たとえば学校生活の場面では。
阪本
まあ、問題児だったと思います。ずっと。
学校の勉強はキライだわ、
家出はするわ、親は泣かせるわ‥‥でね。
──
そうなんですか。映画は好きだけど。
阪本
まあ、悪さなんかはしなかったけど、
親とも友だちとも
うまく距離感を測れない子どもで、
学校に行きたくないから、
最初は仮病を使ってサボってたんだけど、
そのうち仮病が使えなくなると、
水虫の薬をむりやり飲んで、
本当に腹をくだして、休んでたりしたよ。

──
激しすぎないですか(笑)。
それは大丈夫‥‥なわけがないですよね。
そんなものを飲んだら。
阪本
大丈夫じゃない(笑)。
ちゃーんと予定どおりに腹を下したんで。
──
でも、致命傷には至らなかったんですね。
運よく‥‥と言いますか。
阪本
だから次は、ケガするしかないと思って、
家の階段の上から転げて、
骨にヒビいって、そのときは休めました。
──
はあ‥‥(笑)。
阪本
でも、骨折が治ったらまた学校だ‥‥と。
そこで今度は、家にあった文鎮で、
自分の頭をガンガン叩きはじめたんだよ。
利き手の右手で叩くと手加減しちゃうんで、
まず左の肘を文鎮でバコーンと打って、
左手をシビれさせた状態で文鎮を持って、
「これは他人の手や!」って状態にして、
「ガーン! ガーン!」って。
──
ひゃー‥‥。
阪本
えんえん殴り続けて、最後は吐いたんだよ。
──
えええ?
阪本
病院に行ったら、頭蓋骨にヒビ入ってた。
──
とんでもないです‥‥。
阪本
そんなヤツ、ダメでしょ?
このままいったら、何するかわかんない。
でも、死ぬ勇気はない。
──
そこまでやってるけど、死ぬ勇気はない。
阪本
ない。それで、映画監督になるって決めた。
──
飛躍がすごい(笑)。
いや、ご本人的には、
ちゃんと筋が通ってるのかもしれませんが。
阪本
ただ、当時でも「映画監督」だなんて、
誰でもなれるもんじゃないわけ。
だからなるって決めちゃえばいいやと。
──
というと?
阪本
なりたい、なんて願うから、挫折する。
なるんだって決めたら、
ギリギリ死ぬ寸前に
映画監督になっても挫折はないでしょ。
だって、「なった」んだから。
──
その発想ですか。
阪本
そこからですね。
まずは技術を体得しなきゃなと思って、
カメラの教科書を買って勉強はじめた。
──
おお。
阪本
カメラのフィルムの装填のやりかたが
写真で図解されてるわけだけど、
カメラは持ってないから、エア装填。
ようするに、図解のとおりに、
こうして、こうして、
ここに引っ掛けて‥‥とかやり続けて。
──
つまり、手元にカメラもないのに、
フィルムの装填を練習してたんですか。
阪本
そう。

(つづきます)

2023-04-27-THU

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  • せかいのおきく

    脚本・監督:阪本順治
    出演:黒木華、寛一郎、池松壮亮、
    眞木蔵人、佐藤浩市、石橋蓮司
    2023年4月28日(金)よりGW全国公開
    配給:東京テアトル/U-NEXT/リトルモア
    ©2023 FANTASIA
    http://sekainookiku.jp /

    せかいのおきくのきおく。 阪本順治監督最新作の現場取材日記

    せかいのおきくは、こうしてうまれた。 バイオエコノミー監修藤島義之さん編