
数々の有名な建造物を設計してきた隈研吾さんが、
「ポストコロナ時代」を見据えた
新たなプロジェクトに挑んでいます。
キーワードは「コミュニティ」だったり、
小さなつながりを意識しているようです。
大きな箱の建築はなくなるの?
動画で配信中の「ほぼ日の學校」の授業の
一部を読みものでご覧ください。
隈研吾(くまけんご)
建築家。東京大学名誉教授。
1954年生。東京大学大学院建築学専攻修了。
1990年隈研吾建築都市設計事務所設立。
東京大学教授を経て、
現在、東京大学特別教授・名誉教授。
1964年東京オリンピック時に見た
丹下健三の代々木屋内競技場に衝撃を受け、
幼少期より建築家を目指す。
大学では、原広司、内田祥哉に師事し、
大学院時代に、アフリカのサハラ砂漠を横断し、
集落の調査を行い、集落の美と力にめざめる。
コロンビア大学客員研究員を経て、
1990年、隈研吾建築都市設計事務所を設立。
これまで20か国を超す国々で建築を設計し、
(日本建築学会賞、フィンランドより国際木の建築賞、
イタリアより国際石の建築賞、他)、
国内外で様々な賞を受けている。
その土地の環境、文化に溶け込む建築を目指し、
ヒューマンスケールのやさしく、
やわらかなデザインを提案している。
また、コンクリートや鉄に代わる
新しい素材の探求を通じて、
工業化社会の後の建築のあり方を追求している。
-
集中モデル・超高層から、そろそろ折り返す時。
- ──
- 今日は建築家の隈研吾さんに
お越しいただきました。 - 隈さんが、人知れず、目立たないながらも、
昔からずっと、挑戦的にやってこられた
一連の実験的なお仕事があります。
今日はそのあたりを
うかがっていこうかな、と思います。 - 隈さんが最近おっしゃっている
大きなテーマとして
「オオバコモデルよ、さようなら」
というものがあります。 - まず「オオバコモデル」とは
どういうことなんだろう、という
あたりからお話をうかがえますか?
- 隈
- わかりました。
コロナが象徴的に、オオバコモデルの問題を
浮き彫りにしたと思うんです。 - 人類の建築都市史というのは、ひと言でいえば
「集中へ」というものでした。 - 狩猟採集の野原をさまよっていた頃から
やがて農業が始まります。
そうすると定住も始まり、
そこでは、さらに人が集中した方が効率が上がる。 - 集中するとなると、都市ができて
建築も大きくなります。
都市も大きくなり、
足りなくなって、高くする。
最終的には超高層ビルにいきつく。 - 「狩猟採集から超高層ビルへ」という
ひとつの一方向の坂道みたいなのを
ずっと登ってきたのだと思います。 - それが人間に、身体的にも精神的にも
すごいストレスを与えていて、
そこから折り返すきっかけが、
ある種コロナになったと、ぼくは思っています。 - 限界だったという気がするんですよね。
超高層の中で詰め込まれて働いて、
それがエリートだというのはフィクションにすぎない。 - 実際に仕事をするには、
そんなに詰め込まれた状態だと、
かえって集中できなかったり。
みんな、割と精神的にも病んでいますよね。
今、企業の中でも病んでいる人の問題は
すごく大きくなっています。 - どうしてコンピューターがありながら、
みんな詰め込まれて働いていたのかな。
今となってみると、不思議な感じがする。
超高層から折り返さなきゃいけない時に、
ぼくらは来ているような気がする。 - そういうことを、建築家はちゃんと
考えなきゃいけないと思っています。 - そういう意味で、自分の人生を振り返ってみると、
1964年、ぼくが10歳の時の東京オリンピックでは、
東京は、ある種の集中モデルで盛り上がったわけですよ。
「日本も集中モデルに追いつけた!」
という感じですね。 - コンクリートの大きい建物をどんどん作って、
首都高ができて、新幹線ができて。
その象徴として、丹下健三が
代々木の体育館を作ったりして。
※丹下健三
建築家。「世界のタンゲ」とも言われ、日本人建築家として
最も早く、世界でも活躍した一人。
- 小学校4年生のぼくは、
「すげえな!」ってすごく熱狂したわけだけど。
日本では、あれが集中モデルの
ある種のピークだった、と思っています。 - その後、自分は
どんどんひねくれていくわけです。
「ひねくれたぼくの、いろんな試み」
みたいな話ができたらな、と思ってます。
神楽坂のシェアハウスの大家さんになったわけ。
- ──
- 神楽坂にまつわる象徴的な例があります。
これについては、ぜひ詳しくお聞きしたい。 - 隈さんは、若い人のためのシェアハウスの
大家さんをやってらっしゃるんです。 - 建築家として「建てた」というのとは違います。
設計者には、共同設計者として、
奥さまがいらっしゃったり。
内装と家具は息子さんがやられて、
隈さん家族のファミリープロジェクトとして、
あのシェアハウスができ上がってるように思えますね。 - それもユニークだと思うんですが、
大家さんになる、というのは、
どういう経緯だったんですか?
- 隈
- これも、いろいろな事が絡み合っているのだけど、
まず、神楽坂という場所がオオバコモデルの
アンチテーゼになれる場所だと感じたわけです。 - なぜ、神楽坂に住むことを選んだかというと、
路地とか坂道とか一個の区画が小さい。
それに、神楽坂の飲食店は値段が安いんです。 - なんで安いかというと、いろんないきさつがあって。
「戦争で燃えなかった」というのは嘘なんだよね。 - 神楽坂は戦争でほとんど燃えちゃって、
だけど花街だったから、一番早く復興するんです。
一番早く元気になるのは、そっちの方なんですよね。 - そういうわけで、すぐ復興して
昔どおりの細い道のまま建てちゃったから、
逆に、戦前のようなぐちゃぐちゃな区画が残った。
「残った」というか、残ってくれた。 - それで、ぐちゃぐちゃなんだけど、
地主は割と大きくて、おっとりした人が多かったから、
めちゃめちゃ安い家賃で貸していて、
それで家賃が安いから、入ってくる人も、
ものを安く提供できる。 - そういった、ある種のオオバコモデルに対する
アンチテーゼが神楽坂にあったんです。 - そこを自分で選んで住んでいるうちに、
さらに赤城神社さんに関わったりとか、
友だちがいろいろ増えたりしてきて。
神楽坂の可能性みたいなものを
考えるようになりました。 - 何でシェアハウスをしたかいうと、
それは「人間の新しい住み方を提案したい」
とずっと思っていたからなんですよ。
- 隈
- これが「シェア矢来町」です。
テント幕を使っていますから
結構寒いんですよね。

- 普通は、サッシで固めて、
防音とか気密性をカチッとやるところを、
あえてテント幕を使ったことで、
何ともいえない、優しい感じが出ています。
- ──
- これ、入り口はドアじゃないんですね。
- 隈
- ジッパーです。
ここにジッパーがついてて、くーっと上げる。 - 共用部分の廊下があって、
みんな共用で集まって一緒に食べたり、
お酒を飲んだりするところもあります。 - ここは、とても楽しいところで、
時々ぼくも、ここに飲みに行くという
場所になっています。

- 材料は、構造用合板という一番安い合板です。
床も壁も天井も、節だらけの構造用合板で
作っています。 - これが、個室の中。
ここだけは、少しあったかく
過ごせるようになるようになっています。

- 屋上には、こういう菜園があります。

- やっぱり、自分たちで自立して
野菜を育てられるのは
いいんじゃないかな、と思って。 - ここの外の庭には、
サウナを増築したんですよ。
みんなが「欲しい」って言うから。
サウナもブームじゃないですか。 - 隣の敷地との間の、本当に小さな隙間に
テントみたいなサウナを増設して。
これが人気で、頻繁に使われてます。
木製トレーラーハウスの使い勝手。
- 隈
- これは「住箱(じゅうばこ)」という
ぼくらが作った木製のトレーラーハウスです。

- 実際に、神楽坂で1年間、
レストランとして運用しました。
snow peakさんと一緒に作ったんですが、
実験としては、すごくおもしろくて。
※snow peak
アウトドア製品の開発・製造・販売を
展開するアウトドアブランド。
- テーブルが外に飛び出したりするところが、
すごく気に入ってます。
すべて収納できますし、
開くと野原でテーブルになって
ガラスも全部スライドで開くんです。 - 木で作るだけで、普通の鉄とアルミで作られる
いわゆるアメリカのトレーラーハウスとは、
全然違うものになる、ということが
とてもおもしろかった。 - それで、隙間の土地を借りて
1年間「TRAILER(トレイラー)」という
レストランをやりました。 - 中に、こういうカウンターの造作をして、
ぼくらがしょっちゅう通っていた
神楽坂のワインバーでシェフを捕まえて、
ここで1年間やってもらったんです。

- これは車庫証明があればできるんです。
建築基準法がいらない。 - 車庫証明って簡単にとれるじゃないですか。
それと保健所の許可さえあれば、
建築基準法を通ってなくても
短期間なら営業できるんです。 - この木の箱では、短期間だけホテルやる人とか
色々出てきています。 - そういう都市の中での使い方というのも、
実際にいろんなアイディアを実践してみて、
街に変化を与える、ということが、
おもしろいと思います。
- ──
- アメリカあたりで暮らしていると、
トレーラーハウスというのは
家に住めない人がそこで生活してる、
という先入観がありますよね。 - デザインそのものが、ヒッピー文化の頃は
かっこよく見えたところがありますけど。
木にした途端、全然違いますね。
風合いがいい。
- 隈
- やっぱり同じ面積なのに、
なんでこんなに広く感じるのかな、と思いました。
2.4m×6mだから14平米、8畳ぐらいなんだけど、
普通のトレーラーとは、
まったく広さの感覚が違うんです。
木は不思議だなと思いましたね。 - 現在の大きなコンクリートの箱を出た後に、
人間がどういう生活をするのか、という可能性は
自分で試してみるといい。
そうすれば、
おもしろいところも辛いところも、よくわかるから。 - 今回の試みも、ちょっと勉強になりましたね。
たとえば、車庫証明だけでいいけれども、
車検を通さなきゃいけない。 - 車検は3年ごとに来るじゃないですか。
「ほんと失敗した!」と思ったのは、
最初の車検を、厨房がない状態で
通してしまったんです。
だから、次の車検でも、
一度厨房を全部壊さなくちゃいけない。
それで、また車検を通して、
その後、もう一度戻す、という。 - これは、すごく損しました。
だけど、この失敗も勉強のうちですね。 - そうやって、オオバコを出た後の
新しい人間の生活の知恵やノウハウを
これから磨いていったらいいかな、と思います。
隈研吾さんの授業のすべては、
「ほぼ日の學校」で映像でご覧いただけます。
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