
土楽窯、福森雅武さんの
類まれなとも言われる美しさへの感性は、
白洲正子さんをはじめ
錚々たる人たちに認められてきました。
陶芸はもちろん、生ける花も、
すべて独りで学んできたもの。
そのこころは?
動画で配信中の「ほぼ日の學校」の授業の
一部を読みものでご覧ください。
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朝の散歩の哲学。
今回の教室は三重県伊賀の里山です。
屋号は土楽(どらく)。
ここは、自然ととともに生きる中で、
暮らしに欠かせないものをつくる窯元です。
この土地の土を使った陶器は
昔ながらの製法で作られ熱に強いことで知られています。福森雅武さん、77歳(収録時)。
江戸時代から続く土楽窯7代目です。
16歳で先代当主である父をなくし、
師匠不在のまま、すべてを自分で学び取ってきました。
その美意識や価値観は、どうやって身につけたのでしょうか。朝、床の間に生ける花を摘もうと
散歩に出た福森さんに
同行させてもらいました。- 福森
- 花を取ろうと思って歩いたら、いかんのですよ。
- ほぼ日
- 取ろうと思って歩いたらダメ?
- 福森
- いかん(笑)。
目的はなし。ただ歩く。
向こうから飛び込んできたら、取る。 - こっちから取りに行こうと思ったら
「欲」が入りますからね。 - 座禅も一緒ですよ。
ただ座るんです。 - あ、これはキラン草というんですけど、
「地獄の釜のふた」とも呼ばれている。
これ、今しかないからね。
福森さんが目をつけたのは、
シソ科キラン草属のセイヨウジュウニヒトエ。
道端の野草です。
次に目に飛び込んできたのは、苔。

福森さんが活けるのは、自生するものばかりです。
生まれ育った伊賀の自然を日々感受しながら暮らす。
その姿勢を貫く中で、自ずと学びがあるというのです。客人のもてなしに、とってきた野草を生ける。
客人の糸井重里をもてなすため、
とってきた野草を、福森さんが活けます。
それはほんの30秒ほどの出来事でした。

- 福森
- これだけで行きましょう。
ここで終わり!
- 糸井
- 最初から、そうやって花を横に向けるってのは
イメージにあったんですか?
- 福森
- ないですよ(笑)。
- 掛け花に生けた途端に、
「こっちの方がいいかな」と思って。 - 「こういう風に生けよう」とか
「器はこれにしよう」と思って、
歩いてないんですよ。 - ただ、ただ、歩く。
限られた範囲の中で考えるんじゃなくて、
全部解放されるから、考えられる。 - だから、縦にしても、横にしても、逆さまにしても
いいんじゃないか、と思う。 - 私が思うに、花っていうものは、
「生けた途端に空気が変わるもの」。
それがなかったら、
花じゃないと思ってますから。
- 糸井
- 今って、まず頭に設計図を描いて
それに沿って、ものを作る、というのが
ほとんどじゃないですか。 - この生花を、
今のやり方でやるとすると、
「まず、先にスケッチを描いて、
合った素材を見つけて…」
というふうになるんじゃないですか?
そういうやり方に、みんな慣れてるから。
- 福森
- うん。今の日本人の勉強方法は
全部そういうやり方だからね。 - 狭い範囲で考えていると、
「跳躍」は生まれないですよ。
坐禅と一緒で、ただ座らんといかん。
考えちゃ、いかん。
- 糸井
- この生花の場合だと、
福森さん、何がしたかったんですか?
- 福森
- 字も一緒だけど、
普段の生き方が全部出るんですよ。
福森さん、今度は別の花器に花を活けます。
掛け軸も掛けました。- 糸井
- 立派な苔ですね!

- 福森
- これは、ヒカゲノカズラって言って
お茶の席では、お正月飾りにしたりにするんです。

- 糸井
- 扱いにくいものを乗っけました!
- 福森
- (笑)これで、終わり。

- 糸井
- また、1分でできちゃいました!
おもしろいねえ。 - 今、これを見て、
ぼくは何を感じているんだろう?
- 福森
- 私なんか、何も考えませんよ。
バランスだけは、考えますけどね。
- 糸井
- 「考える」じゃなくて、
「感じる」なんですね。
- 福森
- そうなんです。
人から学ぶことが苦手な福森さんの学び方。
- 糸井
- 一番最初にお聞きしたいのは、
「学ぶ」ということなんです。 - なぜ、福森さんから「学ぶ」について
話を聞きたい、と思ったかというと、
「教える人がいないところで窯元の当主になった」
という、とんでもない話を聞いて。 - つまり、お父さんは陶芸家、
陶工だったんですよね?

- 福森
- 陶工ですね。
- 糸井
- お父さんが福森さんに
仕事を教えたとは思えないんですけど。
- 福森
- 全然、教えてもらってない。
私は親父が呑んでる姿しか見てないんですよ。
- 糸井
- お父さんが亡くなった時に、
「お前が跡を継ぐんだよ」って、
なったわけですよね?
- 福森
- 亡くなった後すぐ継いだ、というわけではなくて、
当主になるまでに、ほんの数年は、
京都で、油絵の先生ところに居候したり、
工芸研究所っていう学校にも行ったんですよ。
- 糸井
- じゃあ当時は、土と縁がなかったんですか?
- 福森
- いや、通ったのは工芸研究所だから、
粘土もあったんですよ。 - だけど、そこで学んだことって、ほとんどない。
高校が陶芸科だったからね。
それまでに、ぼくは全部できてたから。 - 小学4~5年生の頃には、そこそこの茶碗やら、
いろんなもんができてた。 - だから、「人から習う」ってのがダメで。
大体、学校行くのも嫌だったからね。
本当に「人に学ぶ」のが、苦手で。
- 糸井
- 実際に轆轤(ろくろ)を廻すことは、
小学校の時からやってたんですか?
- 福森
- 小学校の高学年になると、
職人さんの横で作ってましたから。
だから、「門前の小僧」でね。
- 糸井
- まさしく!
- 福森
- 何か作るのは、遊びとしておもしろいから、
ちょっとずつ、何かできるようになったら、
もっと面白くなるじゃないですか。
- 糸井
- その小学生の時に
もう、すでに上手だったわけですか?
- 福森
- うん。だから、習う必要がなかったんですよ。
弟子入りする必要もないし。 - ただ、先生がいないわけだから
「自分で」歩かなきゃいけなかった。
「自分で」何かを見つけなきゃならない。
そういうことだけです。
- 糸井
- 当時、自分がどういう気持ちだったか
覚えていますか? - たとえば、いたずらで轆轤を回したり、
お茶碗ができるようになったりした時は…
- 福森
- ワクワクしますよね。
職人さんの弁当によばれたりね。
とにかく楽しい遊びですよね。
- 糸井
- 「いいのができた」っていうのは
子ども心にも、思ってたんですよね?
- 福森
- それはねえ、「いいのができた」っていうか、
「すぅっーとできたな」っていうか(笑)。
「いいのを作ろう!」なんて、そんな気ないですよ。 - 私が一つ作る間に、その隣で
職人さんは10個とか15個作るわけですよね。
それが悔しくてね。
まずは同じぐらい、それから
追い越すぐらいやりたい、という気持ちで。 - 高校は陶芸科だったから、授業があったんだけど
先生ができないから、私が教えたんですよ。
先生は口だけですから(笑)。
- 糸井
- 何が違ったんですか?
そんなに。
- 福森
- 「身につく」という事ですよね。
- 理屈はないんです。
すっと手を持っていったら、できるんですよ。
ぼくの場合、「身につく」んでしょう。
理屈が一切ないから。私は。
「いいものとはなんだろう」、ずっと考え続ける。
- 福森
- 自分で独りで、ものを作るようになってから
「いいもんってなんだろう?」って
疑問が出ますよね。
「いいもんって、何がいいんだろう」って。 - 幸い、私のところには、
骨董とか、発掘した古い焼き物とかがあったから、
いいものに触れてはいたんです。 - だけど、その頃から家には
大人のお客さんが、よく来てましたから。
「これがいいね!」とか言われても
何がいいか分かんなかった。
子どもというか、16歳ぐらいでは、
まだ、わかんないでしょう。 - 全然わからないから、それを自分一人でまた考える。
考えるんですけど、わかんないんですよ、そんなの。
だけど「考え続ける」。
それしかないですね。 - そうすると、
「ふわっ」とわかってくる。
いいものって、肌で感じるようになる。 - 20歳前後で作ってた、お茶道具があるんですけど、
今でも、たまに見ることがあって
「ませた生意気なもん作ってるな」と思いますよ。
ませたもんを作ってました。 - だから、20歳代で、
まず裏千家で高く評価してもらって、
取り上げられたんですけどね。
- 糸井
- 福森さんの作ったものを「いいもんだ」って
人が認めたわけですよね。
- 福森
- その頃は「それが、なんでいいのか」
よくわかってなくて、
それじゃ、もうひとつ深い所へ行けないから、
もう、ある時期なんて、
「お茶道具やめる」って思ってね。
- 糸井
- お茶をやらないと、
その「いいもん」っていうのは、わかんないですか?
- 福森
- ぼくは、お茶をやることで
利休さんに触れたかったんです。
最終的には、利休の心に触れたかった。
- 糸井
- あの、茶人の千利休。
やっと出てきましたね。先生っぽい人が(笑)。
利休を発見したのは、いつですか?
- 福森
- 発見したのはね、20歳そこそこね。
- それまでは、焼き物やってても、
利休の存在は知らなかった。 - 京都にいる時代に、
お能の大鼓の先生で小野金七という人がいて、
そこで居候みたいなことをしてたんです。 - そこで、いろんな話が聞けるわけですよ。
たまに、祇園で遊ぶとかね(笑)。
19歳くらいから。
たまにか、ちょいちょいか(笑)。
一緒に遊びにも連れていってくれたんですよ。
先生と私は、年齢も親子ほど違ってたんですけどね。
- 糸井
- 可愛かったんでしょうね。
- 福森
- なんか知らんけど、実に可愛がってもらって。
福森雅武さんの授業のすべては、
「ほぼ日の學校」で映像でご覧いただけます。
「ほぼ日の學校」では、ふだんの生活では出会えないような
あの人この人の、飾らない本音のお話を聞いていただけます。
授業(動画)の視聴はスマートフォンアプリ
もしくはWEBサイトから。
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