土楽窯、福森雅武さんの
類まれなとも言われる美しさへの感性は、
白洲正子さんをはじめ
錚々たる人たちに認められてきました。
陶芸はもちろん、生ける花も、
すべて独りで学んできたもの。
そのこころは?
動画で配信中の「ほぼ日の學校」の授業
一部を読みものでご覧ください。

>福森雅武さんプロフィール

福森雅武(ふくもりまさたけ)

昭和19年生まれ。陶工。
三重県伊賀市丸柱に江戸から続く伊賀焼の窯元
「土楽」に生まれ、25歳のときに七代当主となる。
自身の作品をつくりながら工房を率いてきたが、
四女の道歩さんに当主を譲り、
現在はいち陶工として作陶を続けている。
日常の器から、酒器、花入、茶器、
陶仏などの芸術的作品まで幅広く手がけている。

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土楽窯公式サイト

  • 朝の散歩の哲学。

    今回の教室は三重県伊賀の里山です。
    屋号は土楽(どらく)。
    ここは、自然ととともに生きる中で、
    暮らしに欠かせないものをつくる窯元です。
    この土地の土を使った陶器は
    昔ながらの製法で作られ熱に強いことで知られています。

    福森雅武さん、77歳(収録時)。
    江戸時代から続く土楽窯7代目です。
    16歳で先代当主である父をなくし、
    師匠不在のまま、すべてを自分で学び取ってきました。
    その美意識や価値観は、どうやって身につけたのでしょうか。

    朝、床の間に生ける花を摘もうと
    散歩に出た福森さんに
    同行させてもらいました。

     

    福森
    花を取ろうと思って歩いたら、いかんのですよ。
    ほぼ日
    取ろうと思って歩いたらダメ?
    福森
    いかん(笑)。
    目的はなし。ただ歩く。
    向こうから飛び込んできたら、取る。
    こっちから取りに行こうと思ったら
    「欲」が入りますからね。
    座禅も一緒ですよ。
    ただ座るんです。
    あ、これはキラン草というんですけど、
    「地獄の釜のふた」とも呼ばれている。
    これ、今しかないからね。

    福森さんが目をつけたのは、
    シソ科キラン草属のセイヨウジュウニヒトエ。
    道端の野草です。

    次に目に飛び込んできたのは、苔。

    福森さんが活けるのは、自生するものばかりです。
    生まれ育った伊賀の自然を日々感受しながら暮らす。
    その姿勢を貫く中で、自ずと学びがあるというのです。

    客人のもてなしに、とってきた野草を生ける。

    客人の糸井重里をもてなすため、
    とってきた野草を、福森さんが活けます。
    それはほんの30秒ほどの出来事でした。

    福森
    これだけで行きましょう。
    ここで終わり!
    糸井
    最初から、そうやって花を横に向けるってのは
    イメージにあったんですか?
    福森
    ないですよ(笑)。
    掛け花に生けた途端に、
    「こっちの方がいいかな」と思って。
    「こういう風に生けよう」とか
    「器はこれにしよう」と思って、
    歩いてないんですよ。
    ただ、ただ、歩く。
    限られた範囲の中で考えるんじゃなくて、
    全部解放されるから、考えられる。
    だから、縦にしても、横にしても、逆さまにしても
    いいんじゃないか、と思う。
    私が思うに、花っていうものは、
    「生けた途端に空気が変わるもの」。
    それがなかったら、
    花じゃないと思ってますから。
    糸井
    今って、まず頭に設計図を描いて
    それに沿って、ものを作る、というのが
    ほとんどじゃないですか。
    この生花を、
    今のやり方でやるとすると、
    「まず、先にスケッチを描いて、
    合った素材を見つけて…」
    というふうになるんじゃないですか?
    そういうやり方に、みんな慣れてるから。
    福森
    うん。今の日本人の勉強方法は
    全部そういうやり方だからね。
    狭い範囲で考えていると、
    「跳躍」は生まれないですよ。
    坐禅と一緒で、ただ座らんといかん。
    考えちゃ、いかん。
    糸井
    この生花の場合だと、
    福森さん、何がしたかったんですか?
    福森
    字も一緒だけど、
    普段の生き方が全部出るんですよ。

    福森さん、今度は別の花器に花を活けます。
    掛け軸も掛けました。

    糸井
    立派な苔ですね!

    福森
    これは、ヒカゲノカズラって言って
    お茶の席では、お正月飾りにしたりにするんです。

    糸井
    扱いにくいものを乗っけました!
    福森
    (笑)これで、終わり。

    糸井
    また、1分でできちゃいました!
    おもしろいねえ。
    今、これを見て、
    ぼくは何を感じているんだろう?
    福森
    私なんか、何も考えませんよ。
    バランスだけは、考えますけどね。
    糸井
    「考える」じゃなくて、
    「感じる」なんですね。
    福森
    そうなんです。

    人から学ぶことが苦手な福森さんの学び方。

    糸井
    一番最初にお聞きしたいのは、
    「学ぶ」ということなんです。
    なぜ、福森さんから「学ぶ」について
    話を聞きたい、と思ったかというと、
    「教える人がいないところで窯元の当主になった」
    という、とんでもない話を聞いて。
    つまり、お父さんは陶芸家、
    陶工だったんですよね?

    福森
    陶工ですね。
    糸井
    お父さんが福森さんに
    仕事を教えたとは思えないんですけど。
    福森
    全然、教えてもらってない。
    私は親父が呑んでる姿しか見てないんですよ。
    糸井
    お父さんが亡くなった時に、
    「お前が跡を継ぐんだよ」って、
    なったわけですよね?
    福森
    亡くなった後すぐ継いだ、というわけではなくて、
    当主になるまでに、ほんの数年は、
    京都で、油絵の先生ところに居候したり、
    工芸研究所っていう学校にも行ったんですよ。
    糸井
    じゃあ当時は、土と縁がなかったんですか?
    福森
    いや、通ったのは工芸研究所だから、
    粘土もあったんですよ。
    だけど、そこで学んだことって、ほとんどない。
    高校が陶芸科だったからね。
    それまでに、ぼくは全部できてたから。
    小学4~5年生の頃には、そこそこの茶碗やら、
    いろんなもんができてた。
    だから、「人から習う」ってのがダメで。
    大体、学校行くのも嫌だったからね。
    本当に「人に学ぶ」のが、苦手で。
    糸井
    実際に轆轤(ろくろ)を廻すことは、
    小学校の時からやってたんですか?
    福森
    小学校の高学年になると、
    職人さんの横で作ってましたから。
    だから、「門前の小僧」でね。
    糸井
    まさしく!
    福森
    何か作るのは、遊びとしておもしろいから、
    ちょっとずつ、何かできるようになったら、
    もっと面白くなるじゃないですか。
    糸井
    その小学生の時に
    もう、すでに上手だったわけですか?
    福森
    うん。だから、習う必要がなかったんですよ。
    弟子入りする必要もないし。
    ただ、先生がいないわけだから
    「自分で」歩かなきゃいけなかった。
    「自分で」何かを見つけなきゃならない。
    そういうことだけです。
    糸井
    当時、自分がどういう気持ちだったか
    覚えていますか?
    たとえば、いたずらで轆轤を回したり、
    お茶碗ができるようになったりした時は…
    福森
    ワクワクしますよね。
    職人さんの弁当によばれたりね。
    とにかく楽しい遊びですよね。
    糸井
    「いいのができた」っていうのは
    子ども心にも、思ってたんですよね?
    福森
    それはねえ、「いいのができた」っていうか、
    「すぅっーとできたな」っていうか(笑)。
    「いいのを作ろう!」なんて、そんな気ないですよ。
    私が一つ作る間に、その隣で
    職人さんは10個とか15個作るわけですよね。
    それが悔しくてね。
    まずは同じぐらい、それから
    追い越すぐらいやりたい、という気持ちで。
    高校は陶芸科だったから、授業があったんだけど
    先生ができないから、私が教えたんですよ。
    先生は口だけですから(笑)。
    糸井
    何が違ったんですか?
    そんなに。
    福森
    「身につく」という事ですよね。
    理屈はないんです。
    すっと手を持っていったら、できるんですよ。
    ぼくの場合、「身につく」んでしょう。
    理屈が一切ないから。私は。

    「いいものとはなんだろう」、ずっと考え続ける。

    福森
    自分で独りで、ものを作るようになってから
    「いいもんってなんだろう?」って
    疑問が出ますよね。
    「いいもんって、何がいいんだろう」って。
    幸い、私のところには、
    骨董とか、発掘した古い焼き物とかがあったから、
    いいものに触れてはいたんです。
    だけど、その頃から家には
    大人のお客さんが、よく来てましたから。
    「これがいいね!」とか言われても
    何がいいか分かんなかった。
    子どもというか、16歳ぐらいでは、
    まだ、わかんないでしょう。
    全然わからないから、それを自分一人でまた考える。
    考えるんですけど、わかんないんですよ、そんなの。
    だけど「考え続ける」。
    それしかないですね。
    そうすると、
    「ふわっ」とわかってくる。
    いいものって、肌で感じるようになる。
    20歳前後で作ってた、お茶道具があるんですけど、
    今でも、たまに見ることがあって
    「ませた生意気なもん作ってるな」と思いますよ。
    ませたもんを作ってました。
    だから、20歳代で、
    まず裏千家で高く評価してもらって、
    取り上げられたんですけどね。
    糸井
    福森さんの作ったものを「いいもんだ」って
    人が認めたわけですよね。
    福森
    その頃は「それが、なんでいいのか」
    よくわかってなくて、
    それじゃ、もうひとつ深い所へ行けないから、
    もう、ある時期なんて、
    「お茶道具やめる」って思ってね。
    糸井
    お茶をやらないと、
    その「いいもん」っていうのは、わかんないですか?
    福森
    ぼくは、お茶をやることで
    利休さんに触れたかったんです。
    最終的には、利休の心に触れたかった。
    糸井
    あの、茶人の千利休。
    やっと出てきましたね。先生っぽい人が(笑)。
    利休を発見したのは、いつですか?
    福森
    発見したのはね、20歳そこそこね。
    それまでは、焼き物やってても、
    利休の存在は知らなかった。
    京都にいる時代に、
    お能の大鼓の先生で小野金七という人がいて、
    そこで居候みたいなことをしてたんです。
    そこで、いろんな話が聞けるわけですよ。
    たまに、祇園で遊ぶとかね(笑)。
    19歳くらいから。
    たまにか、ちょいちょいか(笑)。
    一緒に遊びにも連れていってくれたんですよ。
    先生と私は、年齢も親子ほど違ってたんですけどね。
    糸井
    可愛かったんでしょうね。
    福森
    なんか知らんけど、実に可愛がってもらって。

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