
10年以上にわたって、「命と家族」をテーマに
ドキュメンタリー映画を製作している豪田トモ監督。
商業映画とはことなる独特の魅力と学びが、
ドキュメンタリーにはある。
個人的な悩みを出発点に、問題と徹底的に向き合い、
過去の自分とも対峙しながら一本を完成させる豪田監督に、
自身が考える
「ドキュメンタリー映画のおもしろさとは何か」
について話していただきました。
動画で配信中の「ほぼ日の學校」の授業の
一部を読みものでご覧ください。
豪田トモ(ごうだとも)
映画監督。
1973年東京都出身。中央大学法学部卒。
6年間のサラリーマン生活の後、
映画監督になるという夢を叶えるべく、
29歳でカナダへ渡り、4年間、映画製作の修行をする。
在カナダ時に制作した短編映画は、
数々の映画祭にて入選。
「命と家族」をテーマとしたドキュメンタリー映画
『うまれる』(2010年/ナレーション:つるの剛士)、
『ずっと、いっしょ』(2014年/樹木希林)、
『ママをやめてもいいですか!?』
(2020年/大泉洋)は、
累計100万人を動員。
2022年7月、映画『こどもかいぎ』
(ナレーション:糸井重里)を公開予定。
2019年、
小説『オネエ産婦人科』(サンマーク出版)を刊行。
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親との関係性を見つめ直す。
ぼくが最初につくったのは『うまれる』
という映画で、出産をテーマにしたものです。どちらかというと、出産というテーマに対しては、
女性のほうが関心があることが多いようです。
ですから、
「なんで、男のぼくが
出産をテーマにした映画をつくったのか?」
ということは、非常によく聞かれます。ぼくが、その『うまれる』という
出産のドキュメンタリーをつくった頃は、
ぼく自身は家族を持つことにも
あまり関心がなかったし、
出産も見たことはないし、立ち会ったこともない。
まったく興味もなかったんです。
当時は「父親になりたい」とも思っていなかった。そんな状態だったんですけど、
『うまれる』という映画をつくり始めたんです。
では、「なぜか」というと、
もともと、ぼくと親の関係が、
あまりよくなかったことに理由があります。小さい頃から、ぼくには
親に愛してもらった記憶があんまりなくて‥‥。
それは兄弟との関係など
いろいろな事情があるのですが、
仲が悪いまま大人になって、
人生を過ごしてきた感覚があります。自分で家族をもってからも、
映画制作の勉強のために渡った
バンクーバーから帰ってきた頃に
最初の奥さんとうまくいかなくなって、
離婚してしまいました。最初の奥さんとは、
ずっと添い遂げるつもりで結婚したのに、
「なんでこうなっちゃったんだろう?」
と思って、悲しい気持ちでいる中で、
やっぱり、ぼくは「幸せになりたい」と思ったんです。「幸せになるためには、どうしたらいいんだろう?」
と、いろいろ考えました。「お金があれば、幸せになれるんだろうか?」
「良い友だちがいたら、幸せになれるんだろうか?」
「好きな仕事をしたら、幸せになれるんだろうか?」だけど、どんな答えも、しっくりこない。
自分の答えが導き出せなかったんです。そんな中で、もしかしたら、
「大きな答えになるんじゃないだろうか?」
と思ったのが「家族」というものでした。ぼくは、ずっと親との仲が悪かったので、
親との関係を改善することができたら‥‥
もしかしたら
良いパートナーに恵まれるかもしれないし、
良いお友だちにも恵まれるかもしれない。その時、そういうものが全部、
「つながってるんじゃないかな」と思ったんです。
でも、もちろん「親との関係を改善したい」と思っても
どうしていいかわかりませんでした。それで、「命」と「家族」の原点である
「出産」というものに向き合ってみよう、と思って
『うまれる』という映画をつくり始めたんです。命と家族の原点に向かい合う。
『うまれる』では、
合計10回の出産に立ち会い撮影をさせてもらって、
いろんな生まれる形を見ることができました。経膣分娩もあれば、
いわゆる自然分娩と言われるもの、
それから帝王切開も麻酔分娩も撮影しました。
大きな病院でも、小さな病院でも、
助産院でも、自宅出産も撮影しました。本当に、「いろんな形で命が生まれてくる」
というのを撮影していると、
「命が生まれるのって、こんなにすごいんだな」
と感動しました。それと同時に、
「俺もこうやって生まれてきたんだな。
俺もこうやって育ててもらったんだな」
というふうに、やっと心の中で思うことができたんです。自分が「今ここにいる」のは、
親が生んで育ててくれたおかげ、というのは
自分でわかっているつもりではいました。
でも頭ではわかってるんですけど、
当たり前すぎて、心でちゃんと
感じきれてなかったんですね。それが目の前で、いやが応にも
生まれてくる存在の姿を見ることで、
「参りました」というか 「降参」というか 。
親に対して、もう、
無条件で感謝の気持ちが出てきたんです。そういった心境の変化があって、
それまでは、会えばケンカばかりだった親に対して、
「生んでくれてありがとう。」
ということを言ってみよう、と思いました。「生んでくれてありがとう」って、
みなさん、親に言ったことありますか?
なかなか、ないんじゃないでしょうか。
これね、ぜひ皆さんにも経験してほしいです。親は、ぼくが言ったことが、
たぶんうれしかったんだと思うんです。そこから、お互いに、少しずつ少しずつ
歩み寄るような感じになって、
「あれ?そういえば、今日ケンカしないで帰ってきたな」
ということが、続くようになりました。「新しい親子関係をはじめよう」
そうして『うまれる』という映画が完成しました。
完成披露上映の後に、
出てくれた人や、
スタッフなどの関係者を40~50人呼んで、
ちょっとしたパーティーを開催しました。登場人物の方たちに、舞台の上で
かんたんなスピーチをしていただいたり、
スタッフが出てきて挨拶したり、
そういう機会があったんです。その時に、「俺にも一言、言わせろ」と
手を挙げたおじさんがいたんです。
それ、ぼくの親父だったんですよ。ぼくの親父は、
「THE サラリーマン」な人なんです。
髪の毛は七三分けで、眼鏡もバシッとかけていて、
シャツは必ずズボンにインするんですよ。
シャツをズボンから出すなんて、考えられない。
必ずジャケットも着る、と
そういうタイプの人なんです。
いわゆる堅物です。そんな親父が、いきなり
手を挙げて、「俺にも一言、言わせろ」と言って、
舞台に向かって歩いていくんですよ。
なんと、後ろから見たら千鳥足なんです。ぼく、この映画完成披露までに
18年かかっているんですよ。
初めて、自分の夢をかけて制作して、
いろんな人たちの支援によって、
ようやく完成した映画の完成披露会です。そこで、自分の親父が酔っ払って手を挙げて、
舞台に向かって歩いてるんですよね。
もう、その後ろ姿がほんとうに衝撃的で(笑)。
「この親父、一体何を言うんだ!俺のハレの日に!」
と思いながら、見てました。そしたら、親父が
「誇らしい息子を持ちました。
みなさん、今まで支えてくれてありがとう。」
と言って、帰っていったんです。それを見たら、泣けてきてしまって。
今までいろいろあったけど、
ぼくは「このために映画をつくってきたのかな」
と思うぐらい、すごく心動かされました。今まで親に対して、すごい恨みもあったし、
ずっと「親父みたいにはなりたくない」
というふうに思ってたけど。
ぼくの口からこう言うのは、
ちょっと申し訳ないんですが、
「親父のことは許そう」と思ったんです。「水に流して、新しい親子関係をはじめよう」
というふうに思えて。それって、ぼくにとっては、
過去を変える作業だったんです。捉え方を変えると、過去は変えられる。
「過去は変えられない」って
よく言うじゃないですか。
でも、ぼくは
「過去に対する捉え方を変えると、
過去は変えられる」ということが、わかったんです。
過去のことを考えると、
「ぼくは愛情の言葉をかけてもらえなかった」し、
「親に信頼されたこともなかった」
と思ってきました。でも、もしかしたら、ちゃんと親は
愛情表現をしてくれていたのかもしれない。
ああいう状態で生んで、
こうやって育ててくれたんだから。
愛情がなかったわけじゃない。そういうふうに、
ぼくの中でも捉え直すことができました。よく考えたら、親がぼくを生んだ時、26歳だったんです。
「26歳で親になるって、すごく大変だよな」
というふうに思えるようになったし、
いろんな子育てを見て、
子育てがいかに大変かってことも
わかってきました。ぼくには、4つ下に弟がいるんですけど、
すこし手のかかる弟だったんです。
親は、ずっと弟のことを
見続けなきゃいけない状態でした。だから、手がかからない長男のぼくを、
放っておくような状態だったことも、
「しょうがないかな」と
考えたりするようになったんです。捉え直しとは、アングルを変えること。
この、自分がやった「過去の捉え直し」というのは、
いわば、ぼくが普段カメラを持ってやっている
「アングルを変える」という作業だったんです。アングルを変えると、
正面から見ると普通なものが、
ちょっと横から見ると、きれいに見えたり、
後ろにある花が入ったり、光が差したり‥‥。
アングルを少し変えるだけで、
映像っていろいろ変わるんですよね。人生も同じで、
「捉え方を変える=アングルを変える」ことで、
大きく変えることができる。それで、ぼくは親に対する感情や考え方というのが
まったく変わりました。
それは、ぼくが「生んでくれてありがとう」
と言ったことが、きっかけだったかもしれません。そして、その後
「親が自分に対して愛情らしきものをかけてくれた」
ということが実感できるようになって、
「ぼくは、愛されたんだ」と思えるようになった。過去を変えると、
未来も変えることができるんですよね。親との関係がそんな状態だったから、
家庭なんか持ちたくないし、
父親にもなりたくない、と思ってた。
結婚もしたけど、一回失敗したから
もう二度とするもんじゃない、と思ってました。それが、親との関係が良くなり、
撮影で、いろんな幸せな子育てや、
大変な子育ても見ていくことで、
「なんか家族っていいよね」って
急に思えるようになってきて。「父親にもなってみたいな」というふうに
思えるようになったんです。悩みを突きつめて、映画をつくる。
『うまれる』をどういう経緯でつくったか、
という話をしてきましたが、
それは、
出産というものを「変えたい」と思ったわけでもなく、
社会問題として捉えたわけでもありませんでした。
ただ、自分が幸せになりたいから、
出産という原点に立ち戻ってみた、ということです。いつも、自分の悩みを突きつめていって、
それを拡大鏡で拡大して見ていくうちに、
「こういう社会問題もあるんだな」というのが
だんだん、だんだん、見えてくるんです。結局、ドキュメンタリーを公開する頃には
社会問題的なものを取り上げたように見える映画が
できあがるんです。最初の『うまれる』もそうだし、
次に作った映画『ずっと、いっしょ。』も、そうです。映画を公開して、10日後に娘が生まれてきて
「わっ、うれしい!やっとぼくも父親になれるんだ」
と思いました。ぼくは、『うまれる』を撮りながら
いろんな子育てを見てきたから、
「父親って、こうやってればいいんじゃないかな?」
というものが自分の中にあったんです。でも実際は、それが全然通用しなくて、
「あれ? 父親ってどうやってなったらいいんだろう?」
「夫ってどうしたらいいんだろう?
「家族はどうやってつくったらいいの?」
という問題が、急に自分にのしかかってきて。そこのテーマを突きつめたいな、と思って
つくったのが、ぼくの次の映画、
『ずっと、いっしょ。』です。そして、3本目の映画は、
『ママをやめてもいいですか!?』
という子育ての映画です。それも、自分が子育てに悩んで
「周りの人たちは、どんな子育てをしてるんだろう?」
ということを突きつめていったら、
「産後うつ」とかそういう問題が出てきて‥‥。
そういうのも取り上げつつ、
パートナーシップも取り上げつつ、という、
そういう映画になりました。7月には『こどもかいぎ』が公開されました。
ぼくは、小さい頃から、
人と対話をすることや、人の話を聞くこと、
人に自分の気持ちを適切に伝えることが、
すごく苦手でした。
苦手なまま、大人になっちゃったもんだから
自分の娘とも、うまく会話ができない。この映画をつくろうと思ったのは、
娘がちょうど5歳ぐらいの頃です。「どんなふうにして愛する子どもと
心を通わせたらいいんだろう?」
と思って、
自分なりにいろんなことをやってみました。いろんな質問をしてみる、
いろんな場を作ってみる、
自分から話しかけてみる、とか。そういう中で、「子どもと対話をする」、
「話をする」ということを、
突きつめたいなと思うようになりました。子どもが対話をする保育園を撮影した
『こどもかいぎ』という映画をつくった
最初のきっかけは、
ぼくの中にあった、自分のちっぽけな悩みでした。
それが、どんどん大きくなっていって‥‥。それで今回も、社会問題を扱ったような
映画になりました。振り返ってみると、ぼくはドキュメンタリー映画を
ちょっと変わった方法で、
つくっているのかもしれません。
豪田トモさんの授業のすべては、
「ほぼ日の學校」で映像でご覧いただけます。
「ほぼ日の學校」では、ふだんの生活では出会えないような
あの人この人の、飾らない本音のお話を聞いていただけます。
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もしくはWEBサイトから。
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