若い人の間に
「まず簡潔に結論を述べて、それを説明していく」という
プレゼンテーション型の会話が増えているようです。
それは会話のおもしろさを殺してしまうよ、と。
日本語学者の金田一秀穂さんは、
ことばを仕事にしている6人の表現者たちと、
自由な会話そのものをたのしんで、
それを授業にします。
動画で配信中の「ほぼ日の學校」の授業
一部を読みものでご覧ください。

>金田一秀穂さんプロフィール

金田一秀穂(きんだいちひでほ)

日本語学者。
1953年、国語学者金田一春彦の次男として東京で生まれる。
祖父は京助。 東京外国語大学大学院修了。
中国大連外語学院、
米イェール大学・コロンビア大学などで教鞭を執る。
現在は杏林大学外国語学部教授。

  • おもしろい講義に台本はない。

    金田一
    えーっと、何の話をするかっていうと、
    実を言うとですね、
    意図的に考えてこなかったんです、今回。
    ぼくはいろんな講演会や大学で教えたりしてますから、
    しゃべることに慣れてるというか、
    なにかしら話すことはあるんですよ、古典落語的にね。
    「1時間やって」と言われたら「はいよ」と、
    1時間ずーっとできるんですよ。
    でも今日は、それはやめる。
    「ほぼ日」で話すということは、
    ちょっと違うんだろうなと思ってて。
    ぼくは大学でおもしろい講義というのを
    受けたことが数回ありますよ。
    ほんとに数回。
    それはどういう講義だったかと言うと、
    こっちが頭が良くなるような講義。
    聞いていて「頭が活性化される」。
    そういう講義がいいなと。
    そういう講義って滅多にないんですね。
    でも、たまにあるでしょ。
    同じ先生でも、
    いつもいつもそうなるわけでもない。
    何人かそういう人たちの講義があって、
    ぼくも大学の教師になった時に、
    ああいう講義ができるといいなぁ
    と思いながら、でも、できない。
    それで‥‥、ぼくは人の顔を覚えるのが
    ぜんぜんできない人間なんです。
    糸井さんの顔はさすがにわかるんですけど、
    糸井さんの秘書の倉持さんの顔も
    ぜんぜん覚えられないんですよ。
    一同
    (笑)
    金田一
    お会いしたの、3回目ですか?
    2回目ですか?
    先ほどお会いしたんですけど、
    ぼくはぜんぜんわからないんですよ。
    ダメなんです。
    学生にもそう言うんです。
    「ぼくは教師として失格なんだ」と、
    「学生の顔が覚えられないんだ」と言ったら、
    「へぇー」とか言って。
    ある時、学生が訊くんですよ。
    「先生は学生の顔が覚えられない。
    名前も覚えられない。
    なのにどうして90分の講義ができるんだ」
    と言うんですよ。
    「‥‥え、でもできるよ」と言って。
    要するに、
    「台本があって、それを覚えてるんじゃないか」
    と学生は思ってるらしいんですよ。
    まず「それは違うよ」と言って、
    「ぼくは台本作らないし、
    多少はあるのかもしれないけど、
    ほとんどないんだよ」と言って。
    「そうじゃないとつまんないじゃないか」
    という話をしたら、
    どうも学生はそうは思っていない。
    学生は、
    まるで台本を読むみたいに講義をしている、
    スピーチをしている、あいさつをしていると、
    そう思っているのだろうか。
    だとしたら、これはすいぶん違うぞと。
    「そうじゃない」ということを
    教えないといけないなと思ったんです。

    作文の書き方。

    金田一
    ぼく作文を教えているんですけど、
    学生に作文を書かせます。
    もう、近頃は自動翻訳機ができたでしょ。
    英語の自動翻訳機ができた時に、
    「もう外国語を勉強する必要はないんじゃないか」
    という話を大学でしたんですね。
    要するに、それはもう
    ほんやくコンニャク(ドラえもんのひみつ道具)
    なんだから、
    「ほんやくコンニャクができちゃったら、
    今まで英語の勉強を散々してたのは、
    全部ムダだったんだよ。どう思う?」と。
    それについて意見文を書きなさいと言ったら、
    学生が30人いて、そのうちの27人ぐらいが、
    「外国語学習は必要です」と、
    まず最初に書いてくるんですよ。
    すごくよくわかるんですよ。
    たぶんそうですよ。
    だって、ぼくが題材を出すんだもん。
    一同
    (笑)
    金田一
    鶴見俊輔さんという、
    すごく賢い哲学者が言っていたことで、
    教師が「あなたの意見を書きなさい」と言ったら、
    学生は自分の意見なんか絶対書かない。
    できる子は、
    「教師がどう考えてるか」を書くんだと。
    だから、ぼくがどう考えているかを一所懸命考えて、
    それで書くわけですよ。
    それで、「外国語学習は必要です」。
    もう最初から決まってるんですよ、たぶん。
    「その理由は3つあります」とか言ってね。
    「1つ目‥‥2つ目‥‥3つ目‥‥、
    以上によって必要です」
    と言って、作文を出してくるわけ。
    もう腹が立ってね。
    一同
    (笑)
    金田一
    そういうふうに書けって
    言われてるんだと思うんですよ。
    たぶん高校の時に意見文だとか、
    小論文というのがあるでしょ、
    そうやって書くものなんですかねぇ‥‥。
    どうもそうらしい、高校の先生に訊くと。
    「その書き方、違うんだよ」と言うと、
    「でも‥‥」ってみんなが言うから、
    どういうことなのかなと思ったんです。

    言葉は「A=B」なのか?

    金田一
    1週間前に考えたんですよ。
    考えたんです、それでね‥‥
    人が何か言いたいことがあって、
    それを言葉に変えるわけですよ。
    そうすると聞いてる人が、これを受け取って、
    この言葉の言いたかったことを解釈するわけですよ。
    Aという意図されたものがあって、
    それが言葉になって、Bというものがある。
    「A=B」
    自分の意図したものが、
    完全に相手に伝われば、これは完璧。
    というのが、
    今までの考え方だったらしいんですね。

    金田一
    たとえば、
    「ほぼ日どこですか?」という言葉は、
    ほぼ日わかんないぞという気持ちがあって、
    「ほぼ日どこですか?」という言葉がある。
    ああ、この人は「ほぼ日どこですか?」
    と聞いてるなとわかる。
    それはもう完璧なんだけど、
    でもこれは「A=B」で、
    おもしろくもなんともないんですよ。
    語学で教えてますけど、
    「郵便局はどこですか?」
    「何とかの手前です」
    みたいなそういう会話。
    ぼくらこんなふうにしゃべってない。
    おもしろいものというのは、
    「Aだぞ」と思ってるんだけど、
    それを「C」に受け取っちゃう。
    「A」と「C」が違うぞというのがおもしろい。

    このままだと世界から置いていかれる

    金田一
    しかもこれは‥‥
    うまく整理ついてない、ごめんね‥‥
    発信者が言ったことを、
    他人が「C」に解釈するけど、
    「C」は他人ではなくて、
    一番最初の発信者の気持ちでもあるわけです。
    発信された言葉があって、
    その言葉について、ぼくは解釈するわけですよ。
    そうすると「あれ?」と思ってるわけです。
    それで「あ、俺こんなこと考えてた」
    みたいな話になるはずなんです。
    それがおもしろいはずなんですよ。
    それで「あっ!」と 発信者に戻って来て、
    「じゃあ、こう言ってみたらいいのかもしれない」
    と、いろいろぐるぐる言葉がやり取りされてる。
    それをぜんぜん関係ない人が聞いてて、
    「ありゃ、おもしろい」みたいな話になってくる。
    そういうことなんだろうなと思うんですね。
    だけど、どうもね、
    これ「A=B」を目指してる。
    そのへんがなんか違うんだよなぁ‥‥
    という気がするんです。
    例えば、サーフィンの五十嵐くんが、
    こういう技をしたいと思うわけでしょ。

    ※五十嵐カノア
    プロサーファー、東京五輪銀メダリスト。
    くるんと回ってみる。
    見てる連中は「うわ、すごい!」と言って、
    AとBが一致するかと言うと、
    たぶん五十嵐くんは、
    一致させたらおもしろくないから、
    なんかぜんぜん違うものを考えるわけですよ。
    そうすると、「A=B」ではなく
    これがぶわっとふくらんでくる。
    そこがおもしろいんだと思うんですよ。
    すべてについて、それが言えるんじゃないかなぁ。
    自分がこのような動作をしたら、
    どのように受け取られるかというのを、
    かなりプロはわかってるはずですよね。
    お茶の先生とかね、
    立ち振る舞いみたいなものは、
    「こういう印象を与えるはずだ」というのを、
    たぶん発信者は考えて、
    それを意図してやってるんだけど、
    でも、それを見てる見物の人は、
    「あらー、すごい」と言って、
    もっともっとそれを膨らますことができる。
    俳句がそうですよね。
    俳句は、受け取り手が
    言葉をいくらでも解釈できちゃう。
    詩人の大岡信さんが、谷川俊太郎さんの詩を読んで、
    「谷川さんは言葉の向こう側に消えようとしてるんだ」
    と言うんですよ。
    「すごい‥‥、そうだよ!」って思うんですね。
    言葉があるんだけど、
    言葉の向こうに彼は行っちゃう。
    ぼくらはどうしたって、この言葉があると、
    「A」や「B」を考えるんだけど、そうじゃない。
    谷川さんはたぶん、
    「C」のところを考えてるんですよね。
    これだけのことを考えてる。
    そうするとなんか
    おもしろいことができるんじゃないかなと、
    いまなんとなく、そういうことを考えてます。

    金田一秀穂さんの授業のすべては、
    「ほぼ日の學校」で映像でご覧いただけます。


    「ほぼ日の學校」では、ふだんの生活では出会えないような
    あの人この人の、飾らない本音のお話を聞いていただけます。
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