みなさま、おひさしぶりです。
2000年(まだ20世紀!)に始まった
「新宿二丁目のほがらかな人々。」。
連載の3シリーズ目「ゴージャスって何よ?」から
2015年の68シリーズ目「結婚って言われても。」まで、
ジョージさん、つねさん、ノリスケさんの3人で、
ほがらかなトークをお届けしてきました。
その後、ジョージさんとは「ほぼ日」で
いろんなお仕事をご一緒してきましたけれど、
最近はめっきり3人での登場がなく、
「どうしているかなぁ」なんて思ってくださったかたも
いらっしゃるかもしれません。
また、あのトークが聞きたいな、と、
「ほぼ日」も思っていたのですけれど、
残念なおしらせをしなければいけなくなりました。
2020年4月23日、木曜日の朝、
ジョージさんのパートナーであるつねさんが、
亡くなりました。
56歳でした。
そのときのこと、そしてつねさんのことを、
この場所でちゃんとおしらせしたいと、
ずっとそばにいたジョージさんが、
文章でお伝えすることになりました。

イラストレーションは、ジョージさん、つねさんと
とても親しかったイラストレーターの
おおたうにさんが担当してくださいました。

なお、「ほぼ日」には、これまでの、
アーカイブも、たーーーーっぷり、残っています。
ほがらかにおしゃべりする3人に、
いつでも、ここで会えますよ。

文=ジョージ
イラストレーション=おおたうに

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その8 やだっ、それだけは絶対にやだっ。

彼はゲイの世界で、
ある時期、一世を風靡した漫画家でした。
叙情的な男と男の恋愛を描かせたら
彼の右に出るものなしと言われた人で、
彼が描く憂いを帯びたやさしい笑顔の髭の男性は、
そういう人が好きな二丁目の人たちにとって、
当時、理想の男性のひとつでもありました。

その作品をボクは知っていたけれど、
知り合ったときには作者が彼だとは気づきませんでした。
彼が何気なく描いた絵を見て、
なんだか「あの人」の絵に似ているよねと言うボクに、
彼は「似てて当然‥‥かもね」って笑い、
それで、そうかと気づいたくらいでした。

人気の影には妬み、嫉みが潜んでいるものです。
目の前にいるときには褒めそやしていた人が、
いないところでは陰口を言う。
当時の二丁目は小さな村のような存在でした。
噂話は一瞬にしてかけめぐり、
秘密を守り続けることは、
運命の人に出会うよりもむつかしかった。
誰のことを信じていいのかわからなくなっちゃう、
そういう人間関係がいやでいやで仕方なくって、
二丁目的なものから逃げたくてしょうがなかったと、
付き合いはじめてしばらくした頃、
彼はボクにそう言いました。

でも地方出身で、
漫画家を目指してひとりで東京にやってきた彼。
運良くすぐデビューができ、
食えるようになった場所はゲイの世界です。
仕事の相手は二丁目にベースをおいた人たちばかり。
漫画の仕事をしたい、けれどもその場所から逃げたい。
そんなジレンマに彼は悩んで、もがいて、
そんなときにボクと出会いました。
それからしばらく、
二丁目関係の仕事を続けていた彼でしたが、
仕事の話をすることはほとんどありませんでした。

彼の死を、今でも活躍している
ゲイ漫画家の彼の友人がSNSで発信し、
それに対する反響があまりに大きいのに驚きました。
彼の急逝のニュースが拡散されるにしたがって
その第一報を報じたボクのブログに
彼の昔の友人からコメントが続々と集まってきました。
「ボクらの」友人でなく
「彼の」友人からのコメントが続々と。

「昔、モデルをさせていただいたことがあります」
「彼の描いた漫画に勇気をもらいました」
「ここ10年、音信不通だったので
どうしてらっしゃるか心配でした」

彼が人気者だった頃の友人たちです。
中でも目立ったのが
「テニスを一緒にしていたものです」という一文。
たしかに彼、
ボクと付き合いはじめた頃はテニスをしてた。
二丁目で「くまさん」と呼ばれる
髭をはやした体の大きな人たちばかりの
テニスチームに入って、
週末、練習試合にうち興じる。
人気のテニスコートを予約するのは大変らしく、
大抵が早朝スタートで、
なぜかそのときだけは寝坊の彼も目を覚ましてました。

見に来てと言われたこともあるけれど、
ボクはいつも
ひとりで行っておいでと送り出していました。
代わりにサンドイッチを作って
ランチボックスに入れて持たせました。
今でもサンドイッチを朝作るのが
習慣みたいになっているけど、
その習慣は多分、このときについたものです。

サンドイッチを多めに作って
ランチボックスに入れないものは
スープと一緒に朝食としてふたりで食べました。
行ってらっしゃいと送り出してから
ボクはちょっと二度寝をしました。

目が覚めてからのんびり、
ひとりの時間をたのしみました。
今頃、みんなと楽しんでるんだろうなぁ‥‥、
って思いながら、
掃除をしたり晩ご飯の準備をするのは、
この上もないしあわせでした。
子供が遊びから帰ってくるのを待つ
母親の気持ちってこんなかんじなんだろうかって思うほど、
あたたかくってやわらかな感じでした。

そういえば彼は手のかかる子供みたいな存在でした。
生産的でなく生活力にもおおいに欠けてて、
けれど明るく無邪気で命がそこからあふれだしてくる。
生きるしあわせでキラキラしていた。
ボクは彼をペットのおとうさんだからという理由で
おとうさんと呼んでいたけれど、
彼はボクのことを自分のパパのつもりで
パパと呼んでいたのかもしれないなぁ‥‥と
ちょっと思います。
ママでもパパでもどっちでもいいから、
ずっと甘えていてほしかった。

そういえば一度だけ
彼がテニスをするところを見たことがあります。
二人でバリ島に行ったときのことです。
プールに行ったら隣にテニスコートがあって、
ホテルのスタッフを相手に
プレイすることができるんだという。
それで彼はテニスコートに入り、
ボクはプールに浮かんで試合を見ました。

スポーンスポーンと軽快な音。
きれいなフォームでたのしそうにプレイをしてる。
しかも案外強いのか、結局、彼が勝って終わりました。
すごいネ‥‥、って褒めると、
ボクがゲストだと思って手を抜くんだよね、
だからあんまり楽しくなかった、
勝ち負けなんて全然気にはならないのに‥‥、って、
真剣なプレイができなかったことを残念がりました。

彼はそういう人でもありました。

そういえば長いこと海外旅行に行っていません。
昔は本当によく行きました。
1年の仕事のスケジュールを作るときに、
まず彼と海外旅行する日程を決めてから‥‥、
っていうくらい、
彼と海外に行くことはたのしいイベントでした。

飛行機で隣り合わせに座ってふたりきりをたのしめる。
はじめての町で、
はじめての景色を一緒にみてはじめての料理を食べる。
町を歩きながらよく手をつないだもんなぁ。
知っている人が誰もいないと思うと、
恥ずかしいなんて気持ちはすっかりなくなって、
歩きながら手をつなぐ。
ギューって握ると、
ギューって握り返す力に愛を感じた。
だからボクらは海外旅行が好きでした。

去年の後半から新しい仕事の準備をしていて、
もしそれがうまくいったら
久しぶりに海外旅行をしようね‥‥、
って言っていたけど、
それももうかなわぬ夢になりました。

物欲のない人でした。
特に着るものにはなんの頓着もなくて、
着ることができればなんでも良かったし、
着たきり雀でも平気でした。
時代遅れで袖が擦り切れたシャツを
どこにでも着てくるので、
おしゃれなシャツを買ってあげたりしたけれど、
それがうれしかったのでしょう、
いつでもどこでもそればかり着る。
だからすぐにクタクタになっていました。

遺品に衣類は驚くほど少なかったけれど、
彼が気に入っていた服を、
2泊3日分ほど洗濯し、
いつ帰ってきても不自由しないように
とっておくことにしました。

ご遺族からは遺品は自由に処分してください、
と言われました。
ただ、どんな絵を描いていたのかだけは知りたく、
もし作品めいたものがあればいただけませんか、
とお願いされました。
それで彼が描いた本やデッサンを集めて
箱にキチンと入れました。

引っ越しのとき、
彼のコレクションを収めていたクロゼットの扉を
ひさしぶりに開けてみました。
その空間は彼の空間と諦めていたから、
ずっと開けることはなかったのです。
すると、ものが半分くらいに減っていました。
ちょっとづつ整理をしていたんだなぁ‥‥、って、
そのときはじめてボクは気づきました。
誰かにあげていたんだろうか。
それとも不要なものをただ捨てたのか。
あるいはオークションに出したりして
お小遣いにしていたのか、
今となってはわかりません。
ステンレスの棚に残った段ボール箱の中身も
一緒にそこに収めて、
この部屋を引っ越すまで
このままにしておこうかと、
そっと扉を閉じました。

整理整頓が苦手だった彼。
掃除をして‥‥、って言うと、
散らかったものを別の場所にそのまま移して
オッケーにする。
それじゃぁダメだよって何度も言うと、
彼は収納容器を買ってきます。
アクリルの書類ボックスや。
スタック可能なプラスティックの箱を。

道具が整理したり、掃除したりするんじゃないよ。
やる気があれば道具なんてなくても整理はできるし、
掃除もできる。
やる気がないなら一緒に住めない!
もう出てってよ‥‥。

半年ほど前に強い口調でそう言ったことがあります。
その時、彼は強くきっぱり、
「やだっ、それだけは絶対にやだっ」と言って、
床に転がりジタバタ、駄々っ子みたいに体をよじりました。
それほどきっぱりと彼が拒絶の反応をしたのは
後にも先にもこのときだけ。
なのに勝手にボクの部屋から出ていっちゃいました。

ごめんね、本気で言ったわけじゃないんだよって、
お骨の横のバラを交換しながら言いました。

(つづきます)

2020-06-19-FRI

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