レ・ロマネスクが14年ぶりにFUJI ROCK出場!
めでたい。そして楽しみだ。
出るのは3日め、
2025年7月27日(日)の11時30分より。
ステージは「GYPSY AVALON」、
持ち時間は50分。
てなわけで出発前の緊急インタビューを敢行。
当日27日(日)には、
ちょこっとだけ現地からテキスト中継します。
とにもかくにも、
ほぼ日一同、祝うつもりで祝っています!
担当は、当日のギター係「ほぼ日」奥野です。

>レ・ロマネスクのプロフィール

レ・ロマネスク

パリで結成されたボーカルユニット。
2008年、パリコレでのライブをきっかけに、
世界13カ国50都市以上で公演を行う。
2011年、
FUJIROCK FESTIVAL出演を機に帰国。
NHK Eテレ『お伝と伝じろう』の
メインキャストに抜擢され、
以後、精力的にシングル・アルバムを発表。
2025年、14年ぶりのFUJI ROCKへ。
さらに同年8月より、3枚目のアルバム
『レ・ロマジックアワー』レコ発ツアーで
4都市6公演を経巡ります。
レさんのサイトでチェックお願いします!

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第1回 FUJIからうまれたRomanesque

──
レ・ロマネスク、
「FUJI ROCK 2025」への出場決定、
おめでとうございます。
呪・もとい・祝!
TOBI
ありがとうございます。
MIYA
メルシー・ボクー!

──
忘れないうちに言っておくと、
出番は
最終日7月27日(日)の11時30分から、
GYPSY AVALONというステージ。
TOBI
トップバッターです。
──
じつに14年ぶりの出場とのことですが、
前回の記憶はありますか。
TOBI
ありますよ、もちろん。
「ジャン・フランソワの女」とか
「Zoun-Doko Bushi(ズンドコ節)」とか
「YOKOZUNA」をやったんですけど、
当時は曲があんまりなくて、
「ズンドコ」を2回歌って凌ぎました。
──
今夜は特別な夜だから、
アンコールでは
アンプラグド・バージョンを披露します、
とかではなく。
TOBI
まったく同じ歌を2回歌いましたし、
時間帯も昼でした。
ぼく、はじめて行ったコンサートが
荻野目洋子さんなんですけど、
そのとき「ダンシング・ヒーロー」を
4回も歌ったんです、荻野目さん。
──
いくら
誰でも知ってる大ヒット曲とはいえ、
4回もですか! そりゃうれしい。
つまり、はじめてのFUJI ROCKは
荻野目洋子さんにインスパイアされた
スタイルで臨んだわけですね。
そのときは、何という名のステージに。
TOBI
いまもうなくなったと思うんですけど、
カフェ・ド・パリって、
いちばん山奥にあるオレンジコートの
さらに奥、
もっとも標高の高いステージでした。
全10曲だったんですけど、
いまではやらない曲もやったんですよ。
「最高の男」とか、
「シルブプレ初恋」とか‥‥。
──
あ、「最高の男」は知ってます。
数年前に一度ライブでやってますよね。
TOBI
ヒロ・ヤマガタとラッセンの絵を
ながめながら
バスローブでくつろぐ小学生の歌です。
バブル期の子どもたちが憧れた、
人生の成功者の姿を描いた歌なんですけど。

──
でもそうか、14年前って言ったら、
レさんの代表曲
「祝っていた」も「伝わレレレ」も、
まだなかったんだ。
TOBI
日本で活動してませんでしたし、
何で呼ばれたのかも
最初はよくわからなかったんですけど、
そのステージのコンセプトが
日本ではまったく知られていない
海外のアーティストで
おもしろそうなのがいないか‥‥
みたいなことで、
いろいろと探しているうちに。
──
誰かが「ここにいますよ!」と。
TOBI
はい。発掘されまして。
──
当時のバンドメンバーというのは?
TOBI
ロックといえばバンドじゃなきゃ!
ということで急遽メンバーを探したんです。
集まったのは
ドラム・ピアノ・ベースの3名。
おなじみのドラマーyoshie*さんには、
そのときはじめて会いました。
フリッパーズギターやコーネリアスなど
数々のサポートで知られる
実力派ですけど、
FUJI ROCKの楽屋や控室ですれ違う
アーティストと次々にあいさつしていて、
おおーっと驚いた記憶があります。
──
カッコいいですもんね、yoshie*さん。
TOBI
横にいるド派手な格好の2人組には、
誰も触れてきませんでしたがね。
ベースは、いまのレ・ロマネスクのベースの
寺尾陽介さんの師匠の、板谷直樹さん。
教則本とかもいっぱい書いていて、
なんと、かの有名なバークリー音楽大学を
主席で卒業した方なんです。
──
ひええ〜。バークリー音楽大学といえば、
ドリームシアターとか、
スティーヴ・ヴァイとか超絶ロック系な人も
多く輩出しているイメージです。すごい!
TOBI
ピアノは、アニメ『夏目友人帳』シリーズなど
ドラマや映画の劇伴で有名なピアニストで
「モダンチョキチョキズ」や
「ヒカシュー」で活躍していた吉森信さん。
──
最初から、そんな豪華メンバーだったのか。
レ・ロマネスクって‥‥!
TOBI
さらに、ミュージシャンだけじゃなくて、
バックダンサーも
3名ほど引き連れていました。
名付けて
「モナムールダンサーズ」のみなさんです。
ダンサーの紹介では
「アンです、ドゥーです、トロワです」と。
──
ちなみに、いまも一緒にやってる
ピアノの鶴来正基さんって‥‥。
TOBI
そのときにお声がけしているんですが、
ちょうど同じFUJI ROCKで、
加藤登紀子さんのステージと被ってて。
──
ピンクだったわけですよね、すでに。
TOBI
当時から、基本的にはいまと同じです。
ただ、まったく汗を吸わない、
まったく風を通さない素材だったので、
暑くて死ぬかもと思い、
薄いピンクのシースルーを用意したら、
ネグリジェみたいになってしまって。
──
そのTOBIさんはイヤだなあ(笑)。
TOBI
これは違うだろうと思ってやめました。
そのかわり、曲の間奏で、
MIYAさんが
ぼくの脇の下に制汗スプレーをかける、
という振り付けを入れたんです。
──
そのかわり、の意味がわからなくて。

TOBI
出てみたら、すごいウケたんですよ。
──
「何だアレは!」と。
TOBI
そう。しかも、なぜだかわからないけど、
2日間出たんですよ。ぼくら。
で、初日にぼくらを見た人が、
あのピンクの2人明日も出るらしいぞと
口コミで広げてくれて、
2日目のステージはすごい人でした。
会場に入り切れずに、
奥の森の中から見てた人がいたくらい。
──
1986年クイーンの伝説のライブ、
ウェンブリー・スタジアムみたいなね。
ちなみに2日間ってことは
「ズンドコ」は計4回、歌ってますね。
まさしく荻野目洋子スタイル。
TOBI
2011年は、東日本大震災の年でした。
7月だから地震から4ヶ月。
まだまだ東北が大変なときに、
どんなパフォーマンスをしたらいいか、
考えながらのステージでした。
──
なるほど。活動の場を、
パリから日本へとシフトなさったのも、
その時期でしたっけ。
TOBI
そうですね。
日本が大変なときに
パリに戻って何ができるんだろうって、
一時帰国したものの、
フランスに戻る気になれなかった。
そんな中でのFUJI ROCKで、
たくさんの声援をもらって、
「ああ、日本でもやれるかもしれない」
と思ったんです。
──
おお‥‥。
TOBI
FUJI ROCKのステージを見ていた人が
新聞の夕刊に記事を書いてくれて、
その記事が
テレビのワイドショーで紹介されて、
朝の番組にも呼ばれて‥‥。
9月には青山でライブが決まりました。
そして、
その年の12月に完全帰国したんです。
──
まさしく「転機」だったんですね。
FUJI ROCKが。
TOBI
はい。そのあと「ほぼ日」に出会って、
同じ時期に、
いまも再放送が続いている
NHK Eテレの
『お伝と伝じろう』もはじまりました。
──
つまり、FUJI ROCKが
レ・ロマネスクをうんだ‥‥のか!?
TOBI
そう言っても、大げさではないかも。
Romanesqueって、
「非現実的な」という意味なんです。
──
FUJIからうまれたRomanesque‥‥
つまり、
FUJI ROCKが「非現実」をうんだ!
TOBI
もし、FUJI ROCKでダメだったら、
いまごろ、別の「現実的な」かたちに
なっていたかもなあって、
思ったりすることもあるので。

(つづきます)

2025-07-25-FRI

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  •  

    撮影:福冨ちはる