災害や病気の流行、経済の急変など、
世の中の動きが変わるとき、
私たちの考えも変わります。
ずっと同じ考えを持ちつづけることはできないし、
ものごとの優先順位も変わります。
ひとつの考えにしばられてしまったことで
引き起こされたことも、かずかずあります。
しかし、周囲の意見に耳をかたむけて、
考えを訂正したり引き返すことには、勇気が必要です。
考えを変えることを厭わず、無知を恥じず、
よりよいほうへ行こうとする姿勢を持っていたい。

日々考えをあたらしくしていける人、
そんな方にお話をうかがっていきます。
最初のゲストは池谷裕二さんです。
聞き手はほぼ日の菅野です。

>池谷裕二さんのプロフィール

池谷裕二(いけがや ゆうじ)

東京大学薬学部教授。薬学博士。
科学技術振興機構ERATO脳AI融合プロジェクト代表。
研究分野は脳の神経回路に内在する
「可塑性」のメカニズム解明。
2013年日本学術振興会賞および日本学士院学術奨励賞、
2015年塚原仲晃記念賞、2017年江橋節郎賞。

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第1回 けれども、それでも。

――
池谷先生、今日はお時間をいただき
ありがとうございます。
オンラインのインタビューははじめてなので、
不慣れなことがあったらすみません。
池谷
こちらこそありがとうございます。
よろしくお願いします。

――
今回のようなウイルスの感染拡大は、
歴史上幾度もくり返されてきたことですが、
やっぱりいま生きている私たちは
「はじめての経験だ!」と言いたくなってしまいます。
情報はいろいろあって、正解がわからない状態で。
池谷
そうですね、
「正解が分からないまま、
みんなで手探りで進んでいくこと」
これ自体はたぶん、いままで
くり返されてきたことなんだろうと思います。
「感染症」ということだけでとらえると、
これまでにも危ない感染症がありました。
例えば現在でも「はしか」は、
コロナウイルスにくらべて
はるかに感染力も死亡率も高いです。
パンデミックという意味であれば、
これまでスペイン風邪、ペスト、天然痘など、
たくさんの流行がありました。
「こういうことははじめてじゃないよ、
またくり返すよ」
と言いたくなります。
ただ、一方で、
今回の新型コロナウイルスについては
「これははじめてです」という言い方もできます。
「はじめてのこと」はふたつあります。
ひとつはまず、
医療が進歩していること。
例えばぼくたちはワクチンで
天然痘を撲滅しました。
そういう成功体験がある。
インフルエンザの薬も作りました。
この経験は、大きな違いなんです。
「高度医療」の威力を
すでにぼくらは知っています。
新型コロナウイルスは、
そのあとに訪れた感染症、パンデミックである、
という意味で、はじめてと言えるかもしれません。
「ワクチンさえできれば対応できるんだ」
ということが分かっている状態で耐える、
「それまでゆっくりジワジワと広めていきましょう」
という戦略を取ればいいと知っている。
そんな経験ははじめてだし、
ある意味、つらいことであると思います。
――
わかっているから、つらい、と。
池谷
はい。例えば100年前に
スペイン風邪が流行りましたが、
あのときは対処法はありませんでした。
治療薬もないし、予防するワクチンもない。
だからけっきょく任せるしかなかったんですよ。
――
病のほうに。
池谷
そう。
一気に爆発してしまう。
かなり痛みは伴うけれども、
そのかわり2〜3年で収まる。
それは当時の戦略だったんです。
でも今回は、その方法はとれないんです。
――
いくらなんでも、それはとれないですね。
池谷
人類は高度医療という武器をもっているから、
いずれなんとかなるかもしれないと、
期待をもっているのです。
ワクチンができるまで、長い期間をかけて
じわじわ広げるという戦略を取らざるを得ないのは、
けっこうつらいことです。
つらいんだけど、
全世界が「ワクチン待ち」の一手しかない。
これははじめての経験なのではないでしょうか。
――
この新型コロナウイルスは
高度医療とともに歩く
はじめてのパンデミックである、と。
そしてもうひとつの「はじめてのこと」は、
なんでしょう。
池谷
もうひとつは情報の早さです。
SNSとともにパンデミックを迎えたのも、
人類史上はじめてですよ。

――
ああ、そうですね。
いろんな知見がいろんなところから、
いろんなレベルで、
私たちに入ってきます。
池谷
これは100年前にはありませんでした。
100年前にはテレビもないわけです。
――
なかったですね。
いまはさまざまな、
真とも偽とも分からぬ情報が入ってきて。
池谷
真偽は専門家にも分からないですよ。
「あとから分かること」はいっぱいあると思います。
これから1年、2年‥‥もしかしたら
10年くらいかかるかもしれないけれども、
わかることはあります。
――
でも、現在はわからないんですね。
池谷
真偽はわかりません。
しかし限られた情報のなかで、
何が最善な手か、模索するのです。
さらに言えば、最善かどうかも、
あとからしか分かりません。
けれども、それでも、
打てる手のなかでいちばんいい手を
探していこうという、
いまはその段階です。
ですからモヤモヤするのもしかたありません。
――
真も善もわからないところで
最善を探さなきゃいけないから、
モヤモヤする‥‥。
池谷
専門家はそのことを自覚して行動しますが、
それ以外の我々は、もう、
とにかくモヤモヤしますよね。
――
専門家の方々に対して、ついつい
「正解を示してほしい」と
思ってしまいます。
池谷
専門家は答えを出す仕事ではないと、
ぼくは思います。
科学者や大学の教授を、
「学校の算数の先生のように答えを教えてくれる人」
というイメージで見る人もおられるかもしれませんが、
科学者は、仮説とその反証をくり返す仕事です。
仮説を立てては証明できず壊し、
そこからつかんだことで、また別の仮説を立てていく。
仮説の輪廻転生をくり返すのが科学者の性分なので、
考えをあまり確定しません。
つまり、言ってしまえば科学の専門家は
「あまり確信を持たない人たち」です。
「自分の考えはいつか壊れる」ということに
慣れているんです。
これは普通の人とは、なかなかに、
考え方が違うんですよ。だからこそ
「なんで、科学者がはっきり物言わないんだ?」
とストレスを感じることが多いんじゃないでしょうか。
これは、科学者側としても、
反省しなきゃいけないことだと思います。

(明日につづきます)

2020-06-30-TUE

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