渋谷PARCO「ほぼ日曜日」で、
不定期に行う対談の最初のゲストに、
糸井重里がお呼びしたのは、小泉今日子さんでした。
この対談の会の通しテーマは
「わたしの、中の人。」です。
わたしたちがテレビの画面や舞台でふれる
トップスターの小泉今日子さんの中に、
もうひとりの本当の小泉さんがいます。
知らなかったその人が、赤い椅子に腰かけて、
お話ししてくれました。
小泉さんのまわりにいつもいた、
光る星のような、遠くなく近くない、
あたたかくクールな人びとがたくさん登場します。

写真 小川拓洋

>小泉今日子さんのプロフィール

小泉今日子 プロフィール画像 photo ©︎今井裕治

小泉今日子(こいずみ きょうこ)

1966年生まれ。
1982年歌手としてデビュー。
同時に映画やテレビドラマなどで女優業も開始。
エッセイや書評など執筆家としても活動している。
2015年には自らが代表を務める
「株式会社明後日」を設立。
プロデューサーとして舞台演劇や音楽イベントなどの
企画、制作に従事。
また、映画制作プロダクション
新世界合同会社」のメンバーとして
2020年晩夏に公開予定の外山文治監督「ソワレ」に
アソシエイトプロデューサーとして参加している。

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第7回

選ぶことは運命だ。

糸井
読む本はいつもどうやって選んでたの?
小泉
収録のあいまに時間ができたら
「ちょっと30分、本屋さんに」
といって、テレビ局の近くの本屋さんに行きました。
通路を歩きながら棚を見ていくと、
「この人、名前は聞いたことあるけど読んでないな」
という背表紙を見つけて、
まずはそんなふうに純文学をバーっと買って
読んだりしてました。
それまで学校でやってた勉強より、
こういうほうがわたしはずっとたのしかった。
例えば、つながっていなかったことが
本を読むことでつながっていくんです。
「向田邦子‥‥『寺内貫太郎一家』の
脚本を書いた人なんだ。これはその人の本なんだ」
そういう発見が本屋さんにいっぱいありました。
糸井
それは絶対に、高校では教わらないよね。
小泉
そうなんです。
テレビはよく観てても、子どもだったから、
誰が脚本を書いてるかとか意識したことなくて。
だけど本屋さんで、
「あのドラマを書いてる同じ人が
こういう小説も書いているのか。
というより、脚本を書く人がいるのだ、ドラマにも」
みたいなことがそもそもわかる(笑)。
糸井
うん。
本ってさ、
背表紙を眺めてるだけでもすばらしいよね。
小泉
そうですよね。
糸井
ネットで探すのもいいけど、
本屋さんの空間で出会う本は、
なんていうんだろう、
けっこう存在が大きいね。
小泉
絶対、そうですよ。
だって、本を選ぶことは運命だから。
「この本を買おう」という
目的がある場合はいいけど、
背表紙でタイトル見て「気になる」と買った本は
自分にとって運命の本だったりする。
それ、可能性がすごく高い。
糸井
ある。
可能性どころか、絶対あるでしょ。
小泉
絶対ある。
糸井
それはおそらく、
本屋さんのあの棚で並んでるところで、
「俺が探したぞ」という感じ?
小泉
そう、ホントに。そう。
糸井
宝探ししてるんだよね。
自己プロデュースを17歳からやっていた
小泉今日子としては、
書店の時間はけっこう重要ですね。
小泉
本屋さん、あとレコード屋さんも。
糸井
ああ、レコードもそうだね。

小泉
六本木にWAVEというレコード屋さんがありました。
そこが大好きで、よく行ってたな。
本屋さんはえーっと、ABCだっけ? 
糸井
青山ブックセンターですね。
小泉
いつも青山ブックセンターとWAVEが
ワンセットでした。
青山ブックセンターは夜中までやってたから、
仕事が終わってからでも行けるんです。
まずはWAVEの閉店まぎわの時間に行って、
いろんな階でレコードを、
当時はCDじゃなくてレコードね、
バババババババーって見て、
DVDはまだなくてレーザーディスクをね、
ババババババババーって見て、
「ん? この写真は気になるな」
といって手に取る。
糸井
勘だよね。
小泉
そう。
「ん?」と思ったもののなかに、
幼い頃たまたま観て
頭に残ってる映画が混じったりするんです。
「ああ、これはたしか観たな。
へぇ、トリュフォーっていう人が撮ったんだ。
この役の人はジャンヌ・モローだったんだね」
と、自分の中からも発掘されていく。
当時はそういうことがいちばんたのしかったです。
糸井
高校をやめた小泉さんが、
「こういう本がある」「こういうレコードがある」
と語る、その言葉の集まりは、
高校の友達といっしょに教室にいたら、
出てこなかったかもしれないね。
小泉
きっとなかったですね。
糸井
同じアイドル仲間の子たちとしゃべるのも、
ラブ話と芸能の話、アンドモア、
みたいな感じのところで、
それはそれでたのしいわけですよ。
小泉
うん、うんうん。
糸井
学校の教室で友達と、
おたがいタッチして遊ぶたのしさは、絶対にある。
けれどそこではなかなか
ジャンヌ・モローには出会わない。
小泉
そうですよねぇ。
しかもそのジャンヌ・モローが、
えーとね、いまから何年前でしょうか、
黒沢清監督と仕事したときのことです、
(<編集部註>WOWOWドラマ「贖罪」)
最初の衣装合わせで、
監督がいくつかキーワードをくれたんですよ。
そのときわたしが
「それって、ジャンヌ・モロー?」
と言ったら
「そういうことです」と応えてくださって、
ジャンヌ・モロー、やっときた!
と思いました(笑)。
糸井
うれしいね。
小泉
うれしかった。
そんなふうに、幼い頃の出来事を
本やビデオが過去からいまにつないでくれて、
グッと飛んできたりする。

糸井
監督もうれしいと思うよ。
通じるし、そこから話も早くなるからね。
黒沢清さんはいろんな歴史のある監督ですし、
小泉さんにとっては先輩ですよね。
そういう、前を歩く人のお尻に
つかまりながら歩くのも
小泉さんはずいぶん上手だなぁと思っています。
たとえば小暮徹さんもそうだよね。
小泉
小暮徹さん、こぐれひでこさんご夫妻の家には、
18、9ぐらいから、いつも遊びに行ってました。
古いレコードがいっぱいあって、かけてくれて。
難しそうな本を棚からとって
「今日子ちゃんなら、これ読めるかもね」
なんていってガルシア・マルケスを貸してくれたり。
糸井
いいね。
小泉
あと、糸井さんもそうだけど、
ゴダールなんかのヌーヴェルバーグ映画を
まさにリアルタイムで観ている世代でしょう。
糸井
そうだね。
小泉
小暮さんたちからそういう話を聞くのも
すごくおもしろかった。
「学生運動のときには
こういう言葉がはやったんだよ」
みたいなことを教えてもらうと、
自分がまた、宝探ししてるみたいに感じて。
糸井
小暮さんとこぐれさん、あのご夫婦は、
フランスに行っちゃってるもんね。
小泉
そう。教員免許とってから、おふたりで。
糸井
先生の免許とってから、
カメラマンの助手としてフランスに行って、
帰ってきた人だよね。
そこに、ませた子どもが
「よく分かんないけど、全部教えて」
みたいに来るわけでしょう?
小泉
そう、キラッキラ目を輝かして(笑)。
糸井
かわいいだろうね、それはもう。
小泉
ホントに「家族ごっこ」をしてて、
よく3人で旅もしました。
ご夫妻はパリにお部屋を持ってて、
そこに一緒に行って、
「朝はわたしがクロワッサン買ってくる!」
なんていって
「はじめてのおつかい」みたいにしたり(笑)。
ひでこさんはとても気持ちのいい人だから、
パリ滞在中、ゴハンのお金を
全部出してくれちゃってて。
わたしはいちばん若いし、子どものフリしてるし。
でも最終日にレストランで、
「ここはわたしが払います」って伝えたら、
徹さんは「いいよ、いいよ」と言ったんだけど、
ひでこさんが
「徹くん。この人は払いたいのかもしれない」
って、止めてくれたりする。
糸井
いいね。そのとおりだよ、うん。
払いたいんだよね。
小泉
そう。

糸井
その日を待ってたんだよね。
小泉
うん。

(明日につづきます)

2020-06-12-FRI

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