渋谷PARCO「ほぼ日曜日」で、
不定期に行う対談の最初のゲストに、
糸井重里がお呼びしたのは、小泉今日子さんでした。
この対談の会の通しテーマは
「わたしの、中の人。」です。
わたしたちがテレビの画面や舞台でふれる
トップスターの小泉今日子さんの中に、
もうひとりの本当の小泉さんがいます。
知らなかったその人が、赤い椅子に腰かけて、
お話ししてくれました。
小泉さんのまわりにいつもいた、
光る星のような、遠くなく近くない、
あたたかくクールな人びとがたくさん登場します。

写真 小川拓洋

>小泉今日子さんのプロフィール

小泉今日子 プロフィール画像 photo ©︎今井裕治

小泉今日子(こいずみ きょうこ)

1966年生まれ。
1982年歌手としてデビュー。
同時に映画やテレビドラマなどで女優業も開始。
エッセイや書評など執筆家としても活動している。
2015年には自らが代表を務める
「株式会社明後日」を設立。
プロデューサーとして舞台演劇や音楽イベントなどの
企画、制作に従事。
また、映画制作プロダクション
新世界合同会社」のメンバーとして
2020年晩夏に公開予定の外山文治監督「ソワレ」に
アソシエイトプロデューサーとして参加している。

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第3回

やめられなかったらバカみたいだよ。

糸井
デビューしてしばらく、髪を切るあたりまでは特に、
みんなが見ているものは
「わたし」ではなかったんですね。
小泉
そうなんです。
例えば、雑誌に載ったプロフィールに
好きな食べものが書いてあるんだけど、
「いつのまに? 誰がプリンって言ったの?」
みたいなことに。
糸井
なるほど、プリンね(笑)。
小泉
そのあとは「納豆」とか(笑)、
ちょっとずつ「中の人」が「外の人」を
コントロールしていった感じです。

糸井
みんなが見ている「外の人」のことを、
「中の人」である本当の自分は、
いちおう評価するわけですよね? 
小泉
はい、します。
糸井
うまくいったな、とか、かわいい、とか。
小泉
そうです、そうです。
糸井
それは絶えず思ってるわけだ。
小泉
思ってます。
ちょっと遠くから見て、
「どうやったら同じ世代の人たちが
気持ちいいと思ってくれるだろうか」
と考えてました。
つまり、大人ではなくって、
同世代の人たちのことを思ってた。
糸井
まわりにいる、スタッフの大人たちではなく。
小泉
そう。
あともうひとつ、指針になったことがあって。
わたし、神奈川県厚木市の出身なんですけど。
糸井
はい。
小泉
地元の友達が
「よくやったよ」って言ってくれるような
子になろうと思ってた。
糸井
はい、はいはい。そうだね。
小泉
地元の友達や家族がね、
「それ、ホントのあんたと違うじゃん」
なんて言うのじゃなく、
「あなたらしくがんばったね」
と言うところ。それも指針になってました。

糸井
厚木の友達から、
「今日子ちゃんは東京に行って
芸能人になって、離れちゃうんだね」
と言われたときにすごくショックで、
「そんなことないよ!」
と言ったという話を聞いたことがあります。
小泉さんに厚木の友達という、
指針や起点があったのはラッキーでしたね。
小泉
本当に。
当時、友達の多くは、
「わぁ、すごいね。○○と同じ事務所なんだね」
とか、そんな反応でした。
でもひとりだけ、
「わたし、ホントは受かってほしくなかった」
と言った子がいた。
「え、なんで?」
「だって、遠くに行っちゃうじゃん。
もう、こんなふうに遊べないでしょう?」
と、真顔で言ってくれました。
そうか、絶対にそう思われないように生きなきゃ、
なんて思った。
その子はその後、
東京の美容学校に行くことになるんだけど、
毎週末、わたしの東京の部屋に泊まりにきてました。
美容師さんって、人の顔みたいの持ってるでしょう? 
「くさくなるからちょっと洗っていい?」
といってバッグから部屋で生首出したりして(笑)。
その子との関係は、
わりと大きくなるまで続きました。
糸井
それは運命を変えるね。
その子がいなければ
「芸能界に行けてよかったね」だけで
終わるとこだったかもしれない。
小泉
あとは親も、あんまり舞い上がってなかったんです。
わたしの父親は、若いときに
テレビ局の社員だったことがありました。
だから業界のことも
少なからず分かってるところがあった。
「もうこんなふうに進んじゃったから、
やるしかないと思うけど、自分の人生だからね。
自分がすり減るような生き方は
しないほうがいいよ」
糸井
へぇええ。
小泉
「浮き沈みも激しいから、
お給料もらったら、大事に貯金してね。
やめたくなったときにやめられなかったら
バカみたいだよ」
父はそう言ったんです。
糸井
すごくちゃんとしたことを言うお父さんだ。
小泉
(笑)そう。
わたしはその言葉を聞いて
「そうか、これは就職なんだな」
と思いました。
夢の世界に行くというよりは、
ここから自分で生活をみていく、
自立がはじまるんだ、
という感覚になりました。

糸井
15の子が、友達や親から影響受けたり
自分で考えたりしてる。
そのやりとりだけでも
ちゃんと見ていたいくらいだね。
自分でも当時を振り返って
「よくやった」と思うでしょう? 
小泉
わたしがいま、街で15歳の女の子に会ったら、
まだ赤ちゃんみたいに見えたりします。
そう思うと、あのときはがんばったねぇ、と
思う気持ちはあります。
糸井
そうですよね。
小泉
ちょうどその頃に、
父親の事業が失敗したりだとかで、
いきなり一家が「解散」みたいな感じに
なっていました。
家族の中でわたしだけが
保護者の必要な年齢だったから、
それもちょっと関係あったと思います。
糸井
そこでどうしようもなく自立のことを考えた、と。

小泉
そう。
親の決断や生活に、
わたしだけは影響を与えちゃうなぁって思った。
バイトもできないし、まだ中学生だし。
だから逆に、受かって事務所に入れたときに、
「やった」という気持ちがありました。
糸井
就職して、やっていける、と。
小泉
「これでもう迷惑かけないで、
自分のことは自分でできる」
そんな感覚になりました。

(明日につづきます)

2020-06-08-MON

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