
1989年に発売された第一作目の『MOTHER』には、
オフィシャルのイラストがありません。
そのかわり、粘土でできたフィギュアがあります。
そしてもちろんゲーム中のドット絵も。
これらのビジュアルについて、
製作者の糸井重里はしばしばこう言ってました。
「もととなる絵は、南伸坊に描いてもらった」と。
元ガロの編集長にして、エッセイスト、
そしてイラストレーターとしても活躍し、
糸井重里の雑談友だちでもある南伸坊さん。
‥‥あなたは、『MOTHER』の絵を描いたのですか?
長年、なぜか誰も追求しなかったこの謎を、
はっきりさせるべくインタビューしました。
後半、糸井重里も乱入します。
南伸坊(みなみ・しんぼう)
1947(昭和22)年、東京生れ。
漫画雑誌「ガロ」の編集長を7年間務めたのち、
1980年からフリーのイラストレーター、
エッセイストとして活動を開始。
赤瀬川原平らと路上観察学会も設立。
伊丹十三賞の選考委員も務める。
著書に『大人の科学』『仙人の壺』『本人の人々』など。
1989年に発売されたRPG、
『MOTHER』のキャラクターデザインを務めた、はず。
ほぼ日には「黄昏」シリーズなどで
しばしば登場してくださっています。
- ──
- 南伸坊さんと『MOTHER』の話をするのは、
はじめてかもしれません。
- 南
- ははは。そうね、話したことないんだよ。
- ──
- 伸坊さんにはこれまで「黄昏」などで
たくさんお話を伺いましたが‥‥
『MOTHER』については触れたことがなかった。
- 南
- ぼくも触れたことがないんですよ。
糸井さんともその話はしないから。
というか、そもそも話す内容がないから。
- 一同
- (笑)
- 南
- なにかの取材を受けたりすると、
いまでもたまに聞かれるんだよね。
『MOTHER』のキャラクターも
デザインされたんですよね、って。
‥‥うーむ。
- ──
- そういうときは、どう答えてるんですか。
- 南
- いやー(苦笑)。
- ──
- 「いやー(苦笑)」はよくないと思います(笑)。
- 南
- たいしたことはやってないです、
っていつも言ってる。
- ──
- 今回は『MOTHER』についてだけ、
しっかりお話をうかがうという、
じつ貴重な機会になるわけですが。
- 南
- はい。
- ──
- もしかしたら、
最短の取材時間になってしまうかもしれない。
- 南
- 取り調べを受けてる感じがします。
はっはっは。
- ──
- 今日の質問3つぐらいしかないんですけど。
- 南
- あ、3つもあるの?
- 一同
- (笑)
- ──
- まず‥‥1989年に発売された
『MOTHER』というゲームに登場する
キャラクターの絵を描いたのは‥‥
本当でしょうか?
- 南
- ハイ、絵は描きました。
- ──
- ああ! ありがとうございます。
- 南
- でも、ちゃんと描けたのかとか、
そういうことはよくわかってない。
- ──
- そもそもなぜ伸坊さんに『MOTHER』の
キャラクターデザインの
依頼があったんでしょうか。
- 南
- ええとね、昔、やった仕事の話を
糸井さんにしたことがあって。
それがきっかけだと思う。
- ──
- ゲーム関係の仕事をされたことがあったんですか?
- 南
- オレが最初に入った会社が、大きな会社のデザイン室で。
そこの上司だったおばちゃんが
いろんな仕事をとってくるんです。
その仕事のひとつに、ピンボールマシンの
グラフィック(背景)を描くというのがあったの。
- ──
- それは、あの、バインバインする、
ピンボールのマシンの
筐体に絵を描くということですか?
- 南
- そうそうそう。
で、描いたは描いたんだけど、
うやむやになっちゃったから、
実際のピンボールマシンに
使われたかどうかはわからない。
でも、その話を聞いていた糸井さんが、
頭の中でふくらませちゃって
「伸坊に頼めばゲームの絵を描いてもらえる」
と思ったんじゃないかな。
- ──
- なんか、ありそうな感じはします。
ちなみに糸井さんから絵を頼まれたとき、
『MOTHER』のキャラクターや
ストーリーについては説明を受けたんですか?
- 南
- 糸井さんがゲームを作っている
というのは聞いていたんですよ。
でも、どんなゲームかはまったく知らなかった。
どんな絵がいいの? って一応聞くじゃないですか。
そうすると「動物とか、人間とか」って言われる。
- ──
- 「動物とか、人間とか」!
- 南
- そう。で、どんなストーリーなのか、
どんな雰囲気なのかは、教えてくれないの。
ふつうはぜんぶ説明しますよね。
- ──
- ふつうは、そうなりますよね。
- 南
- そうなんなかったんです。
- ──
- なんなかったんだ。
- 南
- 「なんでもいいから、とにかく描いてほしい」って。
だから、意味はわかんないけど、
とりあえずたくさん描いたんです。
そのときオレは、糸井さんが何かを考えるときに
ヒントにするのかな、くらいに思ってました。
- ──
- ああー、いわゆるイメージ画というか。
- 南
- そうそうそう。だって、糸井さんは絵も描けるから。
オレに頼まなくても、
自分で描けばいいじゃんと思ってた。
ガロで連載してた湯村輝彦さんとの共作マンガ
『ペンギンごはん』シリーズでは、
糸井さんが先にだいたいの絵を描いて、
コマ割りまでやっているんだよね。
- ──
- 聞いたことがあります。
- 南
- だから、なんで頼まれるかわからなかった。
「こういうものを描いてくれ」
というヒントもなかったし。
- ──
- そもそも伸坊さんは、
当時、ゲームに詳しかったんですか?
- 南
- ぼくはほとんどゲームというものを
やったことがないんです。
- ──
- ありゃ。
- 南
- コンピュータゲームが出てきた本当に最初のころ、
新井素子さんが『HEAD ROCK』(※)という雑誌で
ゲームの連載をやっていて。
そのイラストを僕が描いていたんですね。
そのときに実際にゲームを
やってみないとわからないと思って、
パソコンゲームを遊んだことがあるんです。
事務所に大きなパソコンを持ち込んで。
でもゲームを始めると、
もう、時間を取られちゃって仕事にならないんだよ。 - ※『HEAD ROCK』は
キティ・レコードが発行していたファンクラブ会誌。
同誌に新井素子はエッセイ「新井素子のアップル・ランド」
(第31回より「新井素子のファミコン・ランド」にタイトル変更)
を連載していた。
- ──
- 当時のゲームって、
まったく新しい遊びでしたからね。
ちなみにそれはどういうゲームでしたか?
- 南
- いろいろ遊んだんだけど、
覚えているのは街を壊すゲーム。
ブルドーザーみたいなもので街をどんどん壊していく。
壊し方が上手いと、大量に壊せるようになるの。
おもしろくて仕事が終わってからもずっと遊んでた。
でも、こればかりやっていたら、
仕事が進まなくなるなと思って。
その仕事が終わったときにゲームはやめたの。
やればおもしろいだろうとは思うんだけどね。
- ──
- お仕事が忙しかったんですね。
- 南
- 自分のまわりの人間は
みんなゲームが好きだったんだよね。
だからみんなで集まると、ゲームの話題になるんだけど、
オレはよくわからなかった。
だから糸井さんがゲームを作ると言い出したときも、
糸井さんが絵を描けばいいじゃんと思ってた。
- ──
- でも、まあ、描いたわけですよね?
- 南
- まあ、うん。
- ──
- 『MOTHER』という、ゲームの絵を?
- 南
- 取り調べみたいだな。
- ──
- たいへん恐縮ですが、
今日ははっきりさせるつもりでおります。
ええと、答え合わせみたいなことを
ちょっとしてもいいですか?
- 南
- ああ、はい。どうぞ。
- ──
- こういうものに覚えはありますか?
主人公のおとこのこ(ぼく)の絵を見せる
- 南
- ああ‥‥これは‥‥覚えがある。
- ──
- おお!
(つづきます!)
2026-07-27-MON
