元気な男の子ふたりを育てる
シングルマザーのなおぽんさん。
ふだんは都内ではたらく会社員ですが、
はじめてnoteに書いた文章が話題になり、
SNSでもじわじわとファンを増やしています。
このたび月1回ほどのペースで、
子どものことや日々の生活のことなど、
なおぽんさんがいま書きたいことを、
ちいさな読みものにして
ほぼ日に届けてくれることになりました。
東京で暮らす親子3人の物語。
どうぞ、あたたかく見守ってください。

>石野奈央(なおぽん)さんのプロフィール

石野奈央(いしの・なお)

1980年東京生まれ。
都内ではたらく会社員。
かっこつけでやさしい長男(12歳)と、
自由で食いしん坊な次男(9歳)と暮らす。
はじめてnoteに投稿した記事が人気となり、
SNSを中心に執筆活動をスタート。
好きなものは、お酒とフォートナイト。
元アスリートという肩書を持つ。
2026年2月、チョコが家族になる。

note:なおぽん(https://note.com/nao_p_on
Twitter:@nao_p_on(https://twitter.com/nao_p_on

前へ目次ページへ次へ

人の夢を笑うな

卒業式。

名前を呼ばれた長男は、
凛々しく「はい!」と返事をした。

「ぼくは、プロ野球選手になりたいです」

その声に、迷いはなかった。

長男が野球チームに入ったのは、四年生の終わり。
決して早いスタートではない。
それまでの夢は、電車の運転手、
ディズニーランドのクルー、プロゲーマー。
毎年提出する「夢デザインシート」の中で、
夢はふわふわと形を変えていた。
四年生以降は変わらなかった。
プロ野球選手。
わたしはそれを、どこか複雑な気持ちで見ていた。
応援したい気持ちはある。
それでも、その言葉の軽さに、
引っかかってしまう自分がいた。

わたしは若いころ、プロボクサーだった。

女子プロボクシングは、当時、
日本のボクシング界では
まだ正規に認められていなかった。
日本ボクシングコミッションと
女子の協会は別の団体で、
男性と同じリングに上がることも許されず、
セコンドにもついてもらえない。
所属ジムの名前すら名乗れない。
理不尽な制約ばかりだった。

それでも、ボクシングが好きだった。

寝ても覚めても考え続け、
朝晩のアルバイトで食いつなぎながら、
毎日三、四時間以上トレーニングをした。
日曜日に休むことさえ嫌だった。

強かったわけではない。むしろ逆だ。
毎日、嫌というほど殴られた。
自分から他ジムの選手やキックボクサー、
ムエタイ選手を探し、サンドバッグになりにいった。

痛みや恐怖もあった。
それ以上に、
「ここにいたい」という気持ちが勝っていた。

あるとき、スパーリングの合間、
コーナーのバケツに顔を突っ込んでつばを吐いた。
「ふざけるな」と怒鳴られた。
顔を上げたとき、
バケツの中が血で満たされているのを見て、
場が静まり返った。

口の中を切っていた。血は止めどなく溢れた。
リングを汚さないよう頬に溜め、
必死にこらえていた。

認めてほしかったわけではない。
ただ、その場所に立ち続けたかった。

殴られて血が出たとき、
ようやく「生きている」と思えた。

夢に破れ、仕事も続かず、将来も見えなかった。
生きているはずなのに実感がなかった。
ボクシングをしている間だけは違った。
集中しなければ倒れる。
一瞬でも気を抜けば痛みが来る。
だから、今ここにいると感じられた。

血を見て死を感じ、同時に生を感じた。
ボクシングは、わたしにとって
「生きている証」だった。

その想いで取り組み、プロになった。

黎明期で選手人口は少なかった。
野球やサッカーに比べれば、
ハードルは高くなかったのかもしれない。
それでも、簡単にたどり着ける場所ではなかった。

その世界を知っている。
だから、長男の言葉に引っかかる。

プロは甘くない。
好きなだけでは続かない。
努力しても報われるとは限らない。

寒いから素振りを休む。筋肉痛で泣く。
そんな姿を見ていると、
「プロ野球選手」という言葉が、
あまりに遠いものに思えてしまう。
——その程度で。
心のどこかで、そう思ってしまっていた。

わたしにも幼いころ、夢があった。

アルバムには「ピアニスト」と書いてある。
小中学校で一貫してそう書いていた。

母は三歳からピアノ教室に通わせてくれた。
物心ついたときには家にピアノがあった。
長く続ければそれなりに弾けるようになる。
伴奏を任され、褒められる。母が喜ぶ。
だから、そう書いた。

わたしが本当になりたかったのは、漫画家だった。

家には漫画があふれていた。
父は雑誌を読み、母は単行本を集めていた。
その中で強く惹かれたのが、なぜか
土田よしこさんの『つる姫じゃ~っ!』だった。
何度も読み、真似し、やがて自分でも描くようになった。

お年玉を握りしめてアニメイトに行き、
Gペンやインク、スクリーントーンを揃えたときの
高揚感は、今でも覚えている。
ピアノよりも、ずっと自分の中にしっくりきていた。

描いた漫画を母に見せた。
『つる姫じゃ~っ!』のコピーでしかなかった。
それでも、褒めてもらえると信じていた。
返ってきたのは、たった一言だった。

「こんなのパクリじゃん。向いてないよ」

幼いわたしには、重すぎる一言だった。

その日から、わたしは隠れて絵を描くようになった。
絵を描くことが、悪いことのように思えた。
コソコソやっているうちに、
罪悪感が勝りやめてしまった。

今なら母の気持ちも少しわかる。
娘を思うがゆえに、現実を見てほしかったのだろう。

わたしに残ったのは後悔だけだ。
諦めさせられた感触は、ずっと残る。

だから、決めた。
人の夢を否定しないと。

夢は、他人が測るものではない。
現実的かどうかも、叶うかどうかも、あとでいい。
まずは持つこと。口にすること。
それがその人の生き方の始まりになる。

そう思っている。
そう思っているはずなのに。
わたしは、息子の夢を疑っていた。

卒業式。

子どもたちは順番に夢を語る。
看護師、サッカー選手、お金持ち。
笑いも起きる。
けれど、その目は皆、まっすぐだった。
十二歳。
まだ何者でもないからこそ、何にでもなれる。
そのまっすぐさが、まぶしかった。

壇上の長男は、胸をはって言った。

「ぼくは、プロ野球選手になりたいです」

その姿を見て、ようやく気づいた。

夢は、完成されたものでなくていい。
途中でいい。未熟なままでいい。
あの頃のわたしも、そうだった。

卒業式の日、わたしは彼に手紙を書いた。

「あなたは、あなたが思うよりもずっと、
素晴らしい人間です。
自信をもって、前に進みなさい。
あなたの夢を、誰にも笑わせてはいけない」

イラスト:まりげ

2026-04-27-MON

前へ目次ページへ次へ