『マリオ』や『ゼルダ』や『ピクミン』をつくり、
世界中で尊敬されているゲームクリエイター‥‥
と書くと、正しいんですけど、なんだかちょっと
宮本茂さんのことを言い切れてない気がします。
クリエイティブでアイディアにあふれているけど、
どこかでふつうの私たちと地続きな人、
任天堂の宮本茂さんが久々にほぼ日に登場です! 
糸井重里とはずいぶん古くからおつき合いがあり、
いまもときどき会って話す関係なんですが、
人前で話すことはほとんどないんです。
今回は「ほぼ日の學校」の収録も兼ねて、
ほぼ日の乗組員の前でたっぷり話してもらいました。
ゲームづくりから組織論、貴重な思い出話まで、
最後までずっとおもしろい対談でした。
え? 宮本さんがつけた仮のタイトルが、
『なにもできないからプロデューサーになった』? 
そんなわけないでしょう、宮本さん!

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第2回

なにもできないから
プロデューサーになった

糸井
ぼくと宮本さんが会って話しはじめたころは、
まだ岩田(聡)さんがいない時代なんですよね。
宮本
はい、岩田さんが入る前ですね。
糸井
岩田さんの登場以後は、
ぼくらの関係も変わりましたよね。
宮本
変わりましたね。
岩田さんが入ってレベルアップしたというか。
糸井
しましたね(笑)。
宮本
そう、糸井さんとやり取りしてるのが、
ぼくひとりだったところが、
岩田さんが常駐で入ったので、
ぼくはスポットで入るようになって。
糸井さんと岩田さんで話の下地ができていて、
ぼくはおいしいとこだけつまみに行くみたいな(笑)。
糸井
ぼくと岩田さんが読んでおもしろかった本を、
宮本さんにすすめたりしてね。
最初はぼくのほうが岩田さんより読んでて、
すすめたりしてたんだけど、すぐに追い越されて、
岩田さんから教えてもらうようになった。
で、岩田さんが社内に本を配るようになったんだけど、
たぶん、宮本さんはそんなに読んでないっていう。
宮本
いやいやいや(笑)。
一同
(笑)
宮本
そう、ぼくは、もともと
あんまり本は読まないんですけども、
さすがにふたりからいろいろすすめられると、
これはと思って、読みましたよ、たくさん。
‥‥‥‥いや、たくさんは、読んでない。
一同
(笑)
宮本
あの、岩田さんって、
「それはなぜか?」ということについて
すごく興味がある人じゃないですか。
糸井
はい。
宮本
だから、話していると、
「なぜ宮本さんはそうするんですか?」
って質問されることが多くて、
ぼくがそれに答えていくんですね。
そうすると、しばらくして、
「この本はきっとおもしろいですよ」って
岩田さんがすすめてくれるんです。
で、その本を読んでみると、
「ああ、その通りや」ということが書いてある。
つまり、「これを読むとわかりますよ」じゃなくて、
「宮本さんがいつも言ってることって、
こういうことですよね」っていう本なんです。
糸井
ああ、ああ。
宮本
たとえば、「行動経済学」なんて、
ぼくは名前も知らなかったけど、
岩田さんにすすめられてその本を読むと、
自分の考え方とぴったりなんですよ。
岩田さんにそう言うと、
「そうなんですよ」ってうれしそうにする。
だったら、ぼく読む必要ないやないかと(笑)。
糸井
(笑)

宮本
でも、ブルーオーシャンのこととか、
イノベーションについてとか、
岩田さんにすすめられた本を読んでいくうちに
ああ、ぼくがやってきた仕事って、
こういうことかっていうことがわかって、
自分の取り組みとか考え方がすごくはっきりしました。
あと、岩田さんが好きな本って、
やっぱり経営の本が多かったじゃないですか。
糸井
はい。
宮本
だから、そういう本を読んで、
自分の考え方が確認できたあとに誰かと話すと、
「経営者になったねぇ」とか言われて。
糸井
あー(笑)。
宮本
自分ではぜんぜん
経営だけをしているつもりはないんですけどね。
最近も、そう言われることが増えてきて。

糸井
宮本さんがやってることってて、
たぶん、経営というよりも、
大きく言えば、チームプレーなんですよね。
宮本
ああ、はいはい。
糸井
たぶん、宮本さんが、
ID出身のなんでもやる人として、
ファミコンのゲームをつくっていた時代には、
チームのことって
そんなに考えなくてよかったわけですよ。
だけど、ゲームの規模もチームの規模も
どんどん大きくなって、
お客さんの数も変わってくると、
いつの間にかつくることが
チームのこととイコールになっていく。
宮本
それはそうですね。
で、ぼくは昔からチームとか苦手で、
ひとりでやってるつもりでいたんですけど、
じつは、チームでやってたんですよ。
糸井
そう、そうなんですよ!
宮本
30過ぎて、40歳ぐらいになってくると、
「あれ? 俺って、
チームがいないとなにもできひんな」
っていうことに気がつきはじめて。
糸井
うん、うん(笑)。
宮本
究極、60歳ぐらいになると、
さらにひとりではなにもできないから、
しかたなくプロデューサーになった、みたいな。
糸井
今回、宮本さんにここで
なにか話してもらおうとお願いしたとき、
仮のタイトルはそれだったんですよね。
宮本
そう、最初、そのタイトルやったんですよね。
『なにもできないからプロデューサーになった』。
けっこうぴったりやなって自分で思ってて。
糸井
宮本茂にそういうこと言っていいのかな、
とも思うんだけど‥‥たしかにそうですよね。
宮本
そうなんです(笑)。
大きいチームになるとさらになにもできなくて。
基本的に、チームのなかで
足りない部分をぼくがやるんですよ。
だから、チームが動き出すまで、
自分がどの役をやるかわからないんです。
その意味では、なにもしなくてよかったチームが
ぼくにとってベストのプロデュースで、
自分がなにかするっていうことは、
もうすでにチームに問題があるという。
糸井
ああ、そうですね。

宮本
最近のプロジェクトになると、
ほんとうにどのチームにも、
ハイレベルな専門家がそろっているので、
どうやっても自分にその代わりは務まらない。
だとすると、そのチームで、
自分がどうやって爪痕を残すかというと、
「ああ、あの人がいてよかったな」と
思ってもらえるようにするしかない。
糸井
ああーー。
宮本
「あの人がいてよかったよね」、
「次回もいっしょにやってみたい」って、
言ってもらえるのがいちばんやなと思うようになって。
それで、クリエイティブの強い、
技術レベルの高いチームなんかでも、
がんばって食らいついていくわけですよ。
もう、映画なんか、つくったこともないのに(笑)。
糸井
仕事の世界がまったく変わっても。
宮本
はい、映画の人たちに、
「いてよかったな」と思ってもらえるには、
なにをしたらいいのか? みたいなことを考えて、
ずっとそういう感じでいろんなチームに入ってます。
だから、いま、チームなしで、
ひとりでぜんぶやってるのは毎年の年賀状ぐらいで。
糸井
(笑)

(つづきます)

2024-01-02-TUE

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