
はじまった経緯はおいおい説明いたしますけれど、
ぜひ表現したいこのコンテンツのテーマは、
「ニットデザイナー三國万里子が
どのようにものを生み出していくのか」ということです。
いまはまだなにも決まっていない「ひとつのミトン」が、
三國万里子さんのなかで構想され、デザインされ、
実際に編まれ、ミトンとしてできあがるまでを、
編む人と編まれる人の往復メールの形で追いかけます。
編んでもらう幸運な役が、ほぼ日の永田ですみません。
あっ、そうそう、
この往復メールは9月くらいにはじまったので、
最初の何通かは季節感がけっこうずれてると思います。
そのあたりはあまり気にせずお読みくださいね。
三國万里子(みくに・まりこ)
ニットデザイナー。1971年、新潟生まれ。
3歳の時、祖母から教わったのが編みものとの出会い。
早稲田大学第一文学部仏文専修に通う頃には、洋書を紐解き、
ニットに関する技術とデザインの研究を深め、創作に没頭。
大学卒業後、古着屋につとめヴィンテージアイテムにも魅了される。
いくつかの職業を経た後に、ニットデザイナーを本職とし、
2009年、『編みものこもの』(文化出版局)を出版。
以降、書籍や雑誌等で作品発表を続ける。
2012年より「気仙沼ニッティング」のデザイナーを務める。
2013年よりほぼ日で「Miknits」をスタート。
近著に『ミクニッツ 大物編 ザ・ベスト・オブ Miknits 2012-2018』
『ミクニッツ 小物編 ザ・ベスト・オブ Miknits 2012-2018』、
『またたびニット』(文化出版局)など。
また、2022年には初のエッセイ本
『編めば編むほどわたしはわたしになっていった』(新潮社)を出版。
- 永田泰大さま
- そういえば、
「明けましておめでとうございます」って、
「たのしみ展」で会ったときには言いませんでしたね。
(思えば3回も挨拶したのに)
なんかもうあれは「渦中」というか、
この時、この場所でしかない、というような
イベントだったのかもしれないと思います。
そういうわけで改めまして、
今年もよろしくお願いいたします。
- うーん、なんか、無理に解答用紙を埋めているような、
ぴたっと来ない感じなんですよね。
なので、これは、お答えしません。
というか、できません。
- 2024年を一文字で表すなら、という問いへの
永田さんの返答を読んで、
「そうなんだなー」と思いました。
いつだったか永田さんに
「永田さんの幸せって?」
という質問をしたことがあって、そうしたら
「自分は生きるにあたって、
幸せということをあまり考えないようにしている」
というような答えが返ってきたんですよ。
なるほどなぁと思ったんだけど、
それとこれは、どこか似ている気がする。
その時々を生きる実感を
一文字や、一言にしてしまうと、そこからこぼれ落ちて
失われてしまうものの方がずっと多い、ということかな。
ごめんね、答えられないことを訊いて。
- 「もう一つの宿題」、おいしそうな写真付きでありがとう、
わたしはここに冷酒をつけたい。
- 「ひとつのミトンができるまで」という
このコンテンツのタイトルも、
「ひとつのミトンはまだできない」とか、
「ひとつのミトンはいつできる」とか、
「ひとつのミトンはゆめのなか」みたいに、
変わっていってもいいかもしれませんね。
- わははは。
ネットニュースのヘッドラインになったりしてね。
「ほぼ日<ひとつのミトン>ついに編まれる」みたいな。
- 手袋は物語の題材としてフィットしやすいか、
ということについて、
わたしは確かな答えを持たないけれど、
思うところはあります。
手袋(特に5本指のやつ)を編んでいるときに、
なんともいえないおかしさというか、
もっというと変態っぽさを感じるんです。
手のひらから長く伸びた、
人間の5本の指というものが、
そもそも生々しく、どこか触覚のようですよね。
それらを念入りになぞって
編み目で袋状に覆うなんてどうかしてる、と思う。
なんていうんだろう、網タイツまではいかないけれど、
中に大事に包まれた肉体を「パーツとして」意識させる、
そういうフェティシズムがあると思うんですよ、手袋って。
でも永田さんのはリクエストにより、
指先は出る形になるから、
さして悶々とせずに編めるであろう、という予測です。
- 「笑う焼き芋少年」のバックストーリー、おもしろかった!
永田さんにリクエストするのは
「ひとこと」より「説明 or 物語」がいいですね。
刺激を受けたのでわたしもいっちょ、書いてみます。
- お話はやはり、放課後に始まりますよ。
- 少年が通う学校にはアンオフィシャルな
「工作部」というのが存在しているのですが、
彼はふとしたことから、
その部室である用務員室の扉を開けてしまう。
さして広くない室内には石油ストーブがカンカンと燃えて、
どこかシンナーっぽい接着剤の匂いと、
焼き芋と思しき甘い匂いが混じり合い、立ち込めています。
少年はストーブを囲んでいた「部員」たちから
胡散臭げな視線を浴びて一寸たじろぎますが、
それでも、知らない男子5人ほどの中に、ひとり、
同じクラスの女子がいるのを見つけます。
「あ。」
彼女の手にはナイフと細い板切れが握られています。
「何やってるの?」少年が訊きます。
「えーと…、竹トンボ、作ってる」少女が答えます。
周りの男子たち、笑う。
誰からともなく説明が始まります。
- この「工作部」では基本、何を作ってもいいんだ。
でも入部にあたっては、最初に
「竹トンボ」を作るという決まりがある。
(ナイフや錐の握り方、安全な使い方などを覚えるためだよ)
大抵の部員はひとつ「竹トンボ」を作って、
あとは好きな何か(多くはガンプラ的なもの)に移るけれど、
彼女は竹トンボ作りにハマってしまって、
この時点でもう、7つ目を手がけている。
ここまで聞いていた彼女は訥々と、
記憶の景色を追うように言葉を継ぐ。
「奥が深いんだよ。
斉藤さん(用務員さんの名前)が師匠なんだけどね……、
斉藤さんが削ると、もうすっごく、なんていうんだろう、
華麗に、飛ぶの。
これ飛ばすときって、平行にこうやって、
手のひらで軸を押し出すでしょう?
わたしが作るのも、前よりは遠くまで飛ぶようになったよ。
でも斉藤さんのはね、スーッと校舎の三階くらいまで上がるの。
それがなんというか、竹の羽が空気ごと地面を押すっていうか、
…そういうのを浮力っていうのかな。」
そこへ夕方の校舎の見回りから「斉藤さん」が戻ってくる。
彼は見慣れない少年に気付いて興味深げに見つめる。
「入部希望?」
皆の視線が集まる。少年が答える。
「……竹トンボ、作ってみたいです」
おーー、と満場の(といっても6人)の拍手、ペチペチと鳴る。
- この「部活」は斉藤さんが
夕方の見回りから帰ったらお開き、
というルールになっていて、皆は帰り支度を始める。
ストーブを消しながら、斉藤さん呼びかける。
「芋焼けてるぞ、持ってきな」
「待ってました!」
部員たちは各々、ホイルを30センチ長さに千切り、
熱々の焼き芋を包み始める。
主人公少年も「はい」とホイルを渡される。
「このストーブで焼いた焼き芋はスペシャルだからね」
「ってゆーか俺らが花壇の隅で育てた紅アズマなんだな」
「それ内緒ね」
「心して食ってくれ」
- そんなわけで、少年は帰途につく。
ダッフルコートのポケットに突っ込んだ焼き芋が
脚にあたって熱い。
手でそっと触る。取り出して、ホイルを開く。
端っこの皮をちょっと剥いてカプ、と歯を立てると、
ねっとりした甘さ、黄色い、香り。うまい。
- でもなんかおかしなことになったな。
竹トンボ、たしか小学校の授業で一度作ったけど、
俺のはいまいち飛ばなかったような…。
「浮力かぁ」
思い出し笑いをする。
その口の中に、
見るみる芋が消えていく。
- というようなことだったのかもしれない。
わたしが想像するには。
- さて、最後に、三國さんに質問です。
三國さんは、自分がつくった昔の作品について、
どんなふうに感じていますか?
たとえば、昔の作品をもう一度編んだりしますか?
- うーん。
昔の作品について、といえるかわからないけれど、
わたしは作品というのは
作者から世界への贈り物だと思っています。
どう説明したらいいかな。
まず前の段階として、作者も世界から
たくさんの贈り物をもらっています。
ゼロからはものは作り出せないし、
食べて寝て、人や、人が作ったあれこれ(それが作品)、
それらを含む大きな世界から恩恵を受けて、
自分の作品という形に組み立て直していく。
そしてそれがやがて誰かに向けての贈り物になる。
ぐるぐる、ぐるぐる回る。
要するに作者というのは、
世界を違う形に組み直すための装置なのだと思うのです。
だから作品が仕上がり、人に渡せる状態
(わたしの場合は主に編み図とニット)
にしてしまえば、自然と手元から離れていく。
それで薄情なようだけれど、わたしは一週間もすると
自分の手が行った仕事を、
ほぼすっかり忘れてしまうことが多いです。
不思議ですが、文章の仕事は違います。
書いたことを割といつまでも覚えている。
そこがどうなってるのか、
自分でもよくわからないんですけどね。
- 自分が描いた編み図をもう一度編むか、
ということについては、
「必要があれば編むこともある」くらいです。
編み図を書くことと、それを見ながら編むことは
「作曲と演奏」の関係に似ていて、
(たとえばガーシュウィンやラヴェルは
自作自演の録音が残っているけれど)
作曲する人が、それを演奏するとも限らない。
わたし自身、編むことは楽しいと思うし、
編みながらでないと作品を作れないタイプですが
(編み図を書いて、実作はニッターさんに
任せるデザイナーも多いと聞きます)、
やはり新しいものを考え出す方が
わくわくするし、性に合っているみたいです。
- さて、永田さんへの質問コーナー。
永田さんは文章を書くとき、
「読者の存在」をどんなふうに意識していますか?
永田さんが書いているこの「ほぼ日」は、
いろんなメディアの中でも
「読者の存在を近くに感じる」場所ではないかと思うんです。
もうずいぶん長く続いているし、ここを支える熱心で、
読む力のある読者がたくさんいる。
そしてSNSほどではないにしても、
「ページビュー」や「読者メール」などで、
ダイレクトに反応が返ってくる。
- そんなことを訊くのはわたし自身、
文章の仕事をするようになって、
「わたしの書くことによって、できれば、
読者にポジティブな何かを残したい。
さらにいえば、信頼してくれている読者に
嫌な思いをさせたくない」
と思ったりするようになったからです。
でも読者の反応を先回りして考えすぎて、
書くべきことを見失ったら、
そもそも文章なんて書く意味もないわけで…。
以前永田さんに文章を見てもらっていた時期、
「忖度するよりまず、そのことについて
<書ききれて>いるか、どうかだと思う」
と言われたことがあったんですよ。
その時のことも思い出しながら、
永田さん自身はどう思って書いているのかを、
聞いてみたくなりました。
- なんだかまた長くなりそうな質問をすみません。
何はともあれ、またね。
(かふんつらいですなぁ)
- 三國万里子
(つづきます!)
2025-01-31-FRI
-
三國万里子さんの新刊が発売中です。
三國万里子が人形を慈しみながら編んだ、
ちいさな服とことば12月に刊行される三國万里子さんの新刊は、三國さんが心を寄せている「アンティーク人形」です。三國さんにとって、はるか昔に作られたアンティーク人形を海外からお迎えし、休みの日やちょっとした合間に、人形たちのために洋服を編んだり縫ったりする時間はかけがえのないものとなっているそう。『三國寮の人形たち』では、三國さんの手による人形たちの洋服や、その洋服を身に着けたアンティーク人形を撮りおろし、
物語を添えて収録します。