こんにちは、ほぼ日の奥野です。
昭和の東京喜劇で大爆笑を取り続けた俳優・
三木のり平さんを知る旅に出ます。
数多くの喜劇役者や舞台人に影響を与えた
「三木のり平さん」については、
世代的に「桃屋のCM」しか知りません。
もちろん、それだって大名作なのですが、
のり平さんが役者人生を賭けた
「生の舞台」については、
現在から遡って見ることは、むずかしい。
そこで、生前ののり平さんを知る人や、
のり平さんをリスペクトしている人たちに、
「のり平さんって、
いったい、どんな人だったんですか?」
と聞いてまわることにしたのです。
のり平さんの孫・田沼遊歩さんも一緒です。
第4弾は、のり平さんと何度も共演し、
懇意になさっていた、
水谷八重子さんにご登場いただきます。
※2026年8月、水谷八重子さんが逝去されました。
この連載を準備しているさなかのことでした。
水谷さんの御冥福を、心よりお祈りいたします。
水谷八重子(みずたにやえこ)
1939年生まれ、東京都出身。父は歌舞伎俳優の十四代目・守田勘彌、母は新派の大女優である初代・水谷八重子。1955年、水谷良重の名で劇団新派の初舞台を踏む。同年ジャズ歌手としてもデビューし、『NHK紅白歌合戦』にも出場。さらに、映画『妖刀物語 花の吉原百人斬り』『続・座頭市物語』や「悪名」シリーズ、テレビドラマ『若い季節』『あなたとよしえ』など、数々の話題作に出演して一躍お茶の間の人気者となる。1995年に「二代目水谷八重子」を襲名。新派の大黒柱として『滝の白糸』『日本橋』『婦系図』などの古典名作で主演を務め、劇団を牽引し続けた。近年も山田洋次監督が手がけた新派公演『東京物語』『家族はつらいよ』に出演するなど幅広く活躍。2001年に紫綬褒章、2009年に旭日小綬章を受章。2026年8月28日、87歳で逝去。
資料提供/明治座
第1回
宝塚劇場の火事のときのこと
- ──
- 三木のり平さんのことをご存じの方に、
のり平さんについて、
いろいろお話をうかがっています。 - こちら、のり平さんのお孫さんで、
小林のり一さんの御子息遊歩さんです。
- 遊歩
- よろしくお願いいたします。遊歩です。
- 水谷
- 本日は、のり一さんもお見えになるの。
- 遊歩
- のり一は亡くなりました。
- 水谷
- えーっ。
- 遊歩
- 2022年に。
- ──
- 偶然なんですが、
ぼくがインタビューさせていただいた
1週間後くらいでした。
- 遊歩
- そうなんです。新宿へ飲みに行って、
朝方に帰って来て、
ベッドに寝っ転がってそのまんま‥‥
という感じだったそうです。
- 水谷
- それは‥‥ご当人はお幸せね。
- ──
- そうですね。
- ただ、まだ「71歳」だったので、
若かったなと思いますけど。
- 水谷
- お父さんが連れてっちゃったのかな。
- 遊歩
- ぼく、明治座へよく通っていたので、
水谷さんには、
何度かお目にかかっているんです。
- 水谷
- ああ、そう。いくつくらいのとき?
- 遊歩
- 小学生です。
- あと、うちの四谷の家の新年会にも、
何度かいらしてますよね。
- 水谷
- はい。うかがってます。
こちらは、どなたのスクラップなの。
- 遊歩
- はい、うちのおじいさんが
自分でまとめたものですね。
- 水谷
- あ、この写真‥‥わたしがはじめて
東宝のミュージカルスに出たときだ。
- 遊歩
- あ、そうなんですか。
- 水谷
- ええ、第2回東宝ミュージカルスです。
このときの座長は榎本健一先生。 - 立女形が越路(吹雪)さんじゃなくて、
美空ひばりさんでした。
草笛(光子)さんも、
松竹を離れてからの初舞台でした。
わたしのはじめての時代劇の舞台です。
- ──
- エノケンさんに、美空ひばりさん‥‥。
そうそうたるみなさん。 - 水谷さんが、おいくつのときでしたか。
- 水谷
- 16。
- このときわたし、
「セントルイス・ブルース」を歌った。
- 遊歩
- おおー。
- 水谷
- このスクラップ、年代順なのかな。
本当にお忙しい時代だったはずだけど、
やらなきゃなんないことが
山積みのときに、
こういう「無駄」なことをする(笑)。 - 小野田(勇・劇作家)先生と同じです。
- ──
- そうなんですか。
- 水谷
- これ、いいな。
引き伸ばして、大きくしたらいいのに。
- ──
- のり平さんがお化粧なさってる姿。
- 水谷
- 当時、草笛光子さん、岡田茉莉子さん、
宮城まり子さんとわたし‥‥の4人で、
しょっちゅうつるんでたんです。
稽古が真夜中になって、
そんなことも、はじめての経験だった。 - もう、眠くて眠くて。
でも、役者ですから。
何があっても帰ることはできないから、
楽屋でぶっ倒れて寝てたんです。
そしたらいきなり
「バックの踊りが必要です、
起きてください、
今から振り付けをロビーでやります!」
って。
- ──
- 真夜中に?
- この取材をしていると、
初日の前夜まで徹夜で稽古してたとは、
何度か聞きましたが。
- 水谷
- (美空)ひばりさんのカーテンコール、
フィナーレ前の歌で
ひとりじゃ寂しいっていうんで、
菊田(一夫・劇作家)先生がいきなり、
バックで
わたしたち4人を踊らせようって。
- ──
- おお、草笛光子さん、岡田茉莉子さん、
宮城まり子さん、水谷八重子さん‥‥
という4人が、
美空ひばりさんのバックで踊る。豪華。
- 水谷
- その2年後くらいに、東京宝塚劇場では
『アイヌ恋歌』という舞台の初日に、
火事が起きて
3人のかたが亡くなってしまったんです。
- ──
- いろんな本で読んだことがあります。
- 舞台上で火事が発生したんですよね。
たしか物語の終盤とかに。
- 水谷
- そう、最後だったと思います。
アイヌの村の焼討ち場面があったんです。
- ──
- のり平さんもいたんですが、そこに。
- 水谷
- のり平先生は、
自分の出番は当分ないからって言って
お風呂に入ってらしたんです。
3階のお風呂場に
高島忠夫さんといたらしいんですよね。 - そこへ
高島さんのお姉さんが飛んでいらして、
「ボンちゃん、火事よ。
お風呂に入ってる場合じゃないの!」
って言って、
高島さんタオルでくるんで連れて出て。
- ──
- わあ。
- 水谷
- そのとき、のり平先生は
「なんだい、
火事の場面は終わったじゃねえか、
何とちってんだ」
って、
もう1回お風呂に入り直したって。
- ──
- 物語の中の火事のことだと思って。
- 水谷
- そうそう。あとから、
のり平先生に聞いた話ですけどね。 - でも、騒ぎが騒ぎだから、
ひょっとすると本物の火事かと思って
出てきたら、
高島さんのお姉さんが
何から何まで、
ぜんぶ背負って出て行っちゃったから、
パンツも何も残ってない。
- ──
- なんと。
- 水谷
- それで‥‥アイヌの鉢巻きだか何だか、
衣装を腰に巻いて、
下へ降りれないから屋上へ逃げたって。 - そしたら、
屋上でお姉さんが高島さんを抱えて、
「ボンちゃん大丈夫よ、助かるわよ!」
って叫んでいたらしいんです。
- 遊歩
- 水谷さんはどこにいらしたんですか?
そのとき。
- 水谷
- わたしは楽屋が中2階で、
出番が終わって部屋へ帰ってたんです。
そしたら
インターホンが何か言ってるんで
耳を近づけて聞いたら、
「ただいま舞台が火事になっています。
逃げてください!」って。 - 何が何だかわからなかったんだけれど、
ひとりで飛び出しました。
もう、舞台のアイヌの格好のまんまで。
- 遊歩
- もう、火は出てたんですか?
- 水谷
- わたしは、火は見ていないんですけど、
下から煙が渦巻き状になって
こちらへ上がってくるのを見た瞬間に、
ゾーッとしました。 - でも浦島歌女さんが非常に冷静な顔で
スーッと横切ってらしたから、
わたしも落ち着かなきゃと、
いったんトイレに入ったんですよ。
人が大勢いることだし、
火事なんかすぐ消えるはずだと思って。
- ──
- ええ。
- 水谷
- でも、トイレの窓をパッと開けたら、
下の階の窓から煙が出ていて、
これはヤバいかもしれないと思って。 - となりのビルが工事中だったんですけど、
掘っ立て小屋が見えたから
「助けて、火事よ!」って叫んだら、
「冗談言うな、こっちは忙しいんだよ!」
工事の人たちに怒鳴られちゃって。
- ──
- わあ‥‥。
- 水谷
- でも、あちらにも煙がパッと見えたから、
「本当だ、火事だ!」って、
みんなでハシゴをかけてくれたんですよ。 - そのときに、有島(一郎・俳優)さんは
くたびれて寝てらしたんですけど、
みんなで叩き起こして、
細いハシゴを渡らせようとしたら、
そこから落っこちてケガをなさいました。
- 遊歩
- 大変なことだったんですね‥‥。
- 水谷
- でも、みなさん、ハシゴの届くかぎり、
あちこちにかけて助けてくださったの。
- 遊歩
- お客も入っている状態だったんですよね。
- 水谷
- そうです。そんなことがありました。
小野田勇さんと
(つづきます)
撮影:福冨ちはる
2026-10-05-MON