アーティストの荒神明香さん、
ディレクターの南川憲二さん、
インストーラーの増井宏文さん、
3人を中心とした
現代アートチーム目[mé]。
2020年夏、彼らは
《まさゆめ》というプロジェクトを
実施する予定でした。
東京の空に、
実在の「誰か」の顔を浮かべるというもの。
そのプロジェクトを前に、
「ほぼ日曜日」では、
街と人のつながりについて、
「見る」ことについて、
東京の風景について、
目[mé]のみなさんと、
3人のゲストを迎えたトークセッションを予定していました。
しかし、4月にはほぼ日曜日はお休みとなり、
このトークセッションは
それぞれの登壇者がオンライン上で顔を合わせ、
配信で行うことになりました。
直接会えない状況のなかで交わされた言葉たちを
ここに採録します。

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トークセッション#01 紫牟田伸子×目[mé] 街と人のつながりのこと 3 都市の「密」と「疎」

南川
いま、こんなふうに制限のある状況のなか、
場所、都市をどう捉えていますか?
紫牟田
たとえば今回、このトークショーは
ほぼ日曜日で開催されるはずだった。
「あの日、ほぼ日に行ったよね」という経験が
なくなってしまった。
その瞬間に都市がエンプティになって、
ネットワークだけが残っちゃった感じがする。
ネットワークの結節点、
ハブみたいなものが点在する都市になっているというか、
穴があいたチーズがあるような感覚。
だからこれから面白い、とも思います。
荒神
いまの話とつながるかわからないですけど‥‥
これまで、すごく移動していたんです。
週の半分は東京に行ったり地方に行ったりしていた。
でも今はせいぜいスーパーと家の往復で、
移動が小さい範囲になっている。
この前、道を歩いていたら、
空の方に人の気配がある気がして。
今まで見えてなかったものが見えて、
自分の眼球が変化した、と思ったんですよ。
今までは水平線の向こう、
空が明るくなっている東京のほうに実際に行って、
目で見て確認して帰ってきていた。
それができなくなったときに、水平線の向こうを
埼玉から確認している感じを受けたんですよ。
これまで見えなかった気配が見えた、
と思った瞬間に、すこーんと
風景にパースがついたように、見通しがよくなった。
すごい遠くまで見通せるようになる感覚になったんです。
南川
これを最近、連日荒神が言ってくるんですよ。
ロックダウンされたことで、
北インドからヒマラヤが見えるようになったのと
同じことじゃないの? と言っているんですけど、
「違う、空のパースが変わったから見ろ」って、
僕は最近その練習をさせられています(笑)。
紫牟田
ふふふ。
南川
自分は今回、ひとつは「動員導線」について考えました。
たとえば駅にすてきな店ができても、
そこを埋め尽くす大量の人によって見えなかったりする。
建築よりも動員が場所を作っていると思っていて、
もしいまの「社会的距離」の意識が長引けば、
動員を見直すきっかけになるのでは、と。
もうひとつが、大統領から自分まで、
ひとつの壁の前にみんな並んでいる状況のなかで、
単純にそれぞれの国の支援の違いについて
批判でも賛同でもなく、
「なんでこんなに違うんだろう?」と思いました。
荒神が以前、「東京は瞬間都市」と言っていて、
よく浜離宮でアイディアを出すことがあるんですけど。

 
カオスとかコラージュではない、
両方完成したものがあって、
ディレクションされてあるわけじゃない、
全然違う文脈のものが同時に存在してる、
それがある種の美をもっている。
これを荒神が瞬間的な東京の景色だと。

 
全然時間が違うものが同時に存在している美って、
それを売りにした瞬間に終わってしまうような
儚いもののような気がして。
紫牟田
ほんとうに面白いですねえ。
この折衷ってデザインの不在じゃないですか。
アートとしては面白いけど、
デザインはされていないよね。
日本は行き当たりばったりだし、
政治的にまさに今こういう風景のようなことが
起こっているというのは、納得しましたよ。
これ自体が私たちが背負っているひとつの文化だと。
なんでこうなってしまったのかを考えざるを得ない。
‥‥これはちょっとビールを飲みながら話したいなあ(笑)。
南川
すこし、質問をお受けしましょうか。

これまで、ひとつの地域に人が集まり
街を形成してきましたが、
今回のようにウイルス時代になるとその街を開け放ち、
地方のような「疎」の街になってくるように感じています。
これからの「まちと人と自然の関係」について
思うことをお伺いしたいです。

(Twitterからの質問)

紫牟田
何が疎で、何が密なのか、ですよね。
地方で教育をやってらっしゃる方と話したときに
「地方って密なんだ」と言うんです。
人間関係が密で、だから「過密」なんだって。
こうしてオンラインで話しているのは
関係としては密。
こんなふうにつながりながら
自然の中に暮らすことも出てくるかもしれないですよね。
街と人との関係、この状況になったとき、どこに住むのか。
南川
ついさっきまで、膨大な仕事で大慌てしていたのに、
すべてが突然スライドされる。
そうなってくると、あらためて
「何して生きてたっけ?
どこまで必要だったっけ?」と考えざるを得ないですよね。
荒神
そう、あらためて
「自分って何がしたかったんだっけ」と考える機会かなと思います。
場所のためではなく街のためではなく、
自分は人のために関係を築きたい。
人に対してなにかを表現していたし、対話をしていたし、
そもそも人がいなければなにかを作ろうと思ってなかったんです。
人が人のことを考えると
おのずと街や自然が関係するんじゃないかなって思います。
紫牟田
アートのいいところは、みなさんの物語が
街のなかにあるのが見られるということ。
これからとても大事になっていく気がする。
《まさゆめ》、早く観たい!
南川
紫牟田さんのおっしゃっていた
「街にいる人の主体性」がキーワードですね。
実家の近所のお坊さんが言っていたことを思い出しました。
全ては仮設、仮の姿だって。
景観と人との関係を考え続けていきたいと思います。
荒神
人間にとっていちばん恐怖なのは慣れることだなと思うんです。
いま、全員が非日常に対峙しているこの瞬間は
慣れとは全くかけ離れた状態ですよね。
そのなかでみんなが主体的になれていると思います。
それをいかにキープしていけるか、考えていきたいと思います。

(おわります)

2020-06-18-THU

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  • 目 [mé]
    アーティスト 荒神明香、ディレクター 南川憲二、インストーラー 増井宏文を中心とする現代アートチーム。
    個々の技術や適性を活かすチーム・クリエイションのもと、特定の手法やジャンルにこだわらず展示空間や観客を含めた状況/導線を重視し、果てしなく不確かな現実世界を私たちの実感に引き寄せようとする作品を展開している。
    主な作品・展覧会に「たよりない現実、この世界の在りか」(資生堂ギャラリー 2014 年)、《Elemental Detection》(さいたまトリエンナーレ 2016)、《repetitive objects》(大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ 2018)などがある。第 28 回(2017 年度)タカシマヤ文化基金受賞。2019 年は、美術館では初の大規模個展「非常にはっきりとわからない」(千葉市美術館)が話題を呼んだ。

    《まさゆめ》とは
    年齢や性別、国籍を問わず世界中からひろく顔を募集し、選ばれた「実在する一人の顔」を東京の空に浮かべるプロジェクト。現代アートチーム目  [mé]のアーティストである荒神明香が中学生のときに見た夢に着想を得ている。
    東京都、 公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京が主催するTokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13の一事業。
    公式サイト