お父さん&お母さん&お兄ちゃん&ご本人の
リアル家族4人で
消防士やヘビメタバンドや
戦隊ヒーローやヤクザの一家に扮して撮った
デビュー作『浅田家』が
木村伊兵衛写真賞に輝いた、浅田政志さん。
なんと、映画にもなってしまうとは。
ふとしたきっかけから撮りはじめ、20年間。
それだけの時間をかけて、
向き合ってきたテーマ「家族」について、
あらためて、浅田さんにうかがいました。
担当は「ほぼ日」奥野です。

>浅田政志さんのプロフィール

浅田政志(あさだまさし)

1979 年三重県生まれ。日本写真映像専門学校研究科を卒業後、スタジオアシスタントを経て独立。2009年、写真集『浅田家』(2008年赤々舎刊)で第34回木村伊兵衛写真賞を受賞。2010年には初の大型個展、『Tsu Family Land浅田政志写真展』を三重県立美術館で開催。PARCO FACTORY、森美術館、入江泰吉記念奈良市写真美術館、香港国際写真フェスティバル、道後オンセナート2018等、国内外での個展やアートプロジェクトにて精力的に作品を発表している。著書の『浅田家』、および『アルバムのチカラ』(2015年赤々舎刊)を原案とした映画『浅田家!』が、2020年10月に全国東宝系にて公開された

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第4回 家族を撮っていてよかった。

──
浅田さんのお父さんにしてみると、
浅田さんが
毎日の「食卓を囲む」ことも
毎年の「年賀状」も、
長いあいだ‥‥
反抗期でも付き合ってくれたから、
浅田さんの写真にも
「しかたない、付き合うか」
という気持ちになったんですかね。
浅田
まぁ、そうなんでしょうね。
ただ‥‥オトンの年賀状の写真撮影が
ほんっとーにイヤで。
まじで勘弁してくれ、
早く終わらせてくれよみたいな感じで、
反抗的態度で撮られてました。
──
でも、そうなりがちですよね。
お父さん、写真が好きだったんですか。
浅田
まだぼくら兄弟がちっちゃいときには、
よく撮ってましたね。
幼稚園の行事とか、誕生日とかに。
ただ、ぼくらが小学生になってくると
だんだん撮る機会も減っていって‥‥
気づくと、年に数回しか、
カメラの出番はなくなってましたかね。
──
でも、年賀状だけは、かならず。
浅田
はい。

──
大切だったんでしょうか。
お父さんにとって、「年賀状」って。
浅田
自分からは、あんまり
昔のことを語りたがらないんですけど、
長崎を飛び出してきて、
いつか
自分もあたたかい家庭を築きたいって
思ってた親父なんで、
年賀状に
津の風景とふたりの兄弟の姿を残して、
それを数少ない知り合いに
一年の報告として
送っていたのかなあと思います。
兄弟が少しずつ大きくなってますとか、
文章で書くのは照れくさくても、
写真なら一枚で伝わるものがあるから。
──
年賀状かあ。自分でつくってないなあ。
浅田
年賀状、いいですよ。家族の写真で。
毎年この時期に
家族で撮るんだということを決めれば、
1年に1度は、ちゃんと写真を撮れる。
その「1年に1度」を続けていったら、
10年なら10年の、
20年なら20年の
家族の変遷がちゃんと「残る」んです。
──
そうか。
浅田
それに、年賀状の写真を撮ろうよなら、
何か言いやすいと思うんです。
家族の写真を撮ろうよなんて言っても、
いつでも撮れるじゃんって思ってたら、
撮らないまま、どんどん
時は過ぎ去って行っちゃうんですよね。
──
たしかに。
浅田
逆に、今はスマホで撮りすぎちゃって、
どの瞬間が大切なのか、
どれがいい写真なのか、
落ち着いて考える機会もないですよね。
──
スマホのカメラロールは、
めったに‥‥見返さない気がしてます。
浅田
プリントもしなければ、
ましてやアルバムにも貼りませんよね。
──
プリントしません‥‥し、貼りません。
スマホの画像は。
浅田
そこでぜひ見直していただきたいのが、
年賀状なんですよ。
──
なるほど。年賀状もそうだし、
浅田家のみなさんの活動もそうですが、
家族で一緒に楽しげに何かをやってる、
その姿が、この歳になると、
ちょっとうらやましいなと思うんです。
若いときは面倒くさいと思ってたけど。
浅田
その意味で、浅田家の場合は、
みんながやる気になっていったのって、
写真展を開いてからですかね。

浅田政志『浅田撮影局 まんねん』(青幻舎)より 浅田政志『浅田撮影局 まんねん』(青幻舎)より

──
ああ‥‥発表の場が、火を付けた。
浅田
はじめは、20代半ばくらいのころに、
大阪で2~3回やったんです。
1年に撮った10枚の写真を展示して、
次の年は、
増えた分の10枚を足して20枚‥‥
みたいにやってたんですけど。
──
ええ。
浅田
1年目、はじめての年は、
お客さん100人くらいだったんですが、
次の年は500人くらいになって。
何だか、やるたびだんだん増えていって。
家族もみんな三重から大阪まで見に来て、
お客さんから
「あ、お母さんですか。本物ですか!?」
とか言われたりして(笑)。
──
超有名人ですものね。その会場では。
浅田
「お父さん、会いたかったです!」とか、
親父も
若い子にそんなこと言われてうれしいと。
自分たちの写真で人がよろこんでくれる、
お客さんの反応をリアルに感じて、
そこからどんどん変わっていきましたね。
──
家族写真に向かう、家族全員の意識が。
浅田
一気に高まりました。
次もがんばっていくぜ、みたいな(笑)。
──
いいなあ(笑)。
がぜん、撮影に前向きになった家族から、
撮影アイディアが出ることとかも?
浅田
アイディア自体は、ま、たまにですかね。
お兄ちゃんのアイディアで、
自分の息子‥‥つまり
ぼくの甥をラグビーボールに見立てて‥‥
みたいな写真を撮ったりしましたが、
最初の構想は、
基本的にはぼくが考えているんですけど。

浅田政志『浅田家』(赤々舎)より 浅田政志『浅田家』(赤々舎)より

──
ええ。
浅田
ただ、撮影の現場では、
撮りながらどんどん変化していくんで、
そのときは、
もうみんなの意見が入ってくるんです。
──
じゃあ、最終的には、
みんなの意見で、写真ができあがると。
浅田
そうなんです。
ぼくの思い描いていた撮影だけやると、
固くなっちゃうんです。
なんかイキイキとしてないっていうか。
──
へええ‥‥。
浅田
そこから「何かある?」って聞いたら
「じゃ、こうする」みたいな変化球を、
それぞれ投げ込んでくるので、
想像よりもいい写真になるんですよね。
──
全員が自分の動きとして演じはじめる。
浅田
そうなると、段違いによくなりますね。
思えば、最初は、学校の課題に対して、
深くも考えず、
なんとなくはじめたことなんですけど。
──
ええ。
浅田
意識して「家族の写真を撮る」ことで、
家族と一緒の時間や、
家族全員で味わった達成感や、
家族写真を見てくれた人からもらえる
うれしい感想、
そういうものこそ大切なんだなあって、
わかってきたんです。
それは、すごい発見でした。自分的に。
──
たとえば、どんな感想がくるんですか。
浅田
写真展だと顕著なんですけど、
まず「写真、おもしろいですね」って
話しかけられて、
「わたし、お母さんのファンで」とか、
「お父さんツボです」
みたいな感じで会話がはじまるんです。
──
ええ、誰それのファンです、と。
浅田
でも、それって、
たぶん話しかけるきっかけなんだなと
思うんです。
なんでかって言うと、そのあとに絶対、
「わたしの家族だったら」
というような話がはじまるんですよね。
──
おお、ご自身に引き寄せて。
浅田
ぼくの、わたしの家族だったら、
こんなシーンを撮ってみたい‥‥とか。
自分の家族に置き換えて、
いろいろ楽しげに考えてくれるんです。
──
わかる気がします(笑)。
願望も含めて‥‥ってこともあるかも。
浅田
はじめは、すごくびっくりしたんです。
そのことに。
だって、人んちの家族写真を見ながら、
自分の家族を考えてくれるのかあって。
──
ああ、たしかに不思議ですね。
何でしょうね、
その、
自分の大事なものに置き換えたくなる
気持ちって。
浅田
すっごく、うれしいことだったんです。
そんなふうに思ってもらえるなら、
続ける意味があるかもしれないなって。
──
なるほど。
浅田
浅田家の写真を見て、
ご自身の家族のことを考えてもらえる
時間をつくれるのなら、
撮り続けてみよう‥‥って思えた。
──
うん、うん。
浅田
で、そういう感想をもらえたときに、
浅田家の写真を撮っていて、
本当によかったなって、思うんです。

浅田政志『浅田撮影局 まんねん』(青幻舎)より 浅田政志『浅田撮影局 まんねん』(青幻舎)より

(つづきます)

2021-04-01-THU

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  • 浅田政志さんの最新作品集が出ました。
    浅田家にやってきた新たな家族、
    息子・朝日くんを主人公にはなたれる、
    新しい家族写真のかたち。
    かわいくて、おもしろくて、
    浅田さんらしくて、ついついページを
    行ったり来たりしてしまいます。
    Amazonでのおもとめは、こちらから。
    ちなみに、お父さん・章さんを撮った、
    「遺影」がテーマ(!)の
    『浅田撮影局 せんねん』も
    赤々舎より数量限定で発売中です。
    「まんねん」は青幻舎で、
    装丁は、どっちも、祖父江慎さん。
    版元の垣根を超えたコラボレーション。
    いろいろ、おもしろいことしてる。