こんにちは、「ほぼ日」の奥野です。
ご縁をいただいて、
絵本作家やマンガ家として知られる
佐々木マキさんに、
インタビューさせていただきました。
佐々木さんの描く絵のように、
やわらかくて、やさしいお人柄の‥‥
奥の、奥の、またその奥に!
絵本第1作『やっぱりおおかみ』の
「おおかみ」のような存在を、
うっすら、感じたような気がします。
名作『不思議の国のアリス』や、
村上春樹さんの『風の歌を聴け』の
表紙の絵のエピソードなど、
いろいろ、じつに、おもしろかった。
全7回、おたのしみください。

>佐々木マキさんのプロフィール

佐々木マキ(ささきまき)

1946年、神戸市生まれ。
マンガ家、イラストレーター、絵本作家。
絵本に『やっぱりおおかみ』
『くったのんだわらった』
『まじょのかんづめ』『おばけがぞろぞろ』
『くりんくりんごーごー』
『まちには いろんな かおがいて』
『はぐ』『へろへろおじさん』(以上福音館書店)、
「ぶたのたね」シリーズ、
「ムッシュ・ムニエル」シリーズ、
『変なお茶会』『いとしのロベルタ』『ぼくがとぶ』
(以上絵本館)、
「ねむいねむいねずみ」シリーズ(PHP研究所)、
童話の挿絵に
『ナスレディンのはなし』『黒いお姫さま』
(以上福音館書店)、
『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』
(以上亜紀書房)、
マンガ作品集に
『うみべのまち 佐々木マキのマンガ 1967-81』
(太田出版)、
エッセイに『ノー・シューズ』(亜紀書房)、
画集に『佐々木マキ見本帖』(メディアリンクスジャパン)
などがある。
京都市在住。

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第2回 マンガの神に怒られて。

──
佐々木さんが
若かりしころに描かれていたマンガ、
不勉強で申し訳ございません、
最近になってよく読んでいるんです。
佐々木
あ、いえいえ(笑)。
──
いまは、太田出版から出版されている
『うみべのまち』という、
60年代後半から
80年代初頭までの
佐々木さんの前衛マンガの復刻の本を、
ゆっくりめくっているところでして。
佐々木
ありがとうございます。
──
いまの感覚からしても、
すごく実験的な作品ばかりですよね。
いわんや当時は、
さぞかし‥‥どうだったんだろうと。
佐々木
はい、さんざんでしたねえ(笑)。
──
どんなふうに、さんざんでしたか。
佐々木
マンガの文法だとか約束ごとを
完全に無視してたんで、
「こんなマンガを載せている雑誌に
金は払いたくない!」とか、
「佐々木マキのページ数だけ金返せ」
とか、細かいこと言われて(笑)。
──
「細かいこと」(笑)。
でも、掲載誌は『ガロ』ですから、
描いた佐々木さんも、
ノーギャラだったと思うのですが。
佐々木
そうですよ。でも、はじめのうちは
1枚500円もらってました。
そのあと、「掲載料なし」でした。
何だって載せてやるけれども、
そのかわり
原稿料ないよという雑誌でしたから、
金返せと言われちゃ困る(笑)。
──
もうけが出ないどころか、
赤字になってしまいます、それじゃ。
佐々木
ねえ、ほんとうに(笑)。

──
そういう「拒絶反応」というのは、
何でしょう、
まったく新しい創作‥‥というか、
もっと言うと
理解不能なものにたいする恐怖感、
みたいな何かだったんでしょうか。
佐々木
うーん、どうなんでしょうねえ。
自分自身は若かったし、
それまでのマンガにたいする否定、
そういう気持ちは、
やっぱり、あったとは思いますが。
──
誰でも知ってる、
とても有名な「マンガの神さま」からも
ご批判を受けたそうで。
佐々木
プロとして、マンガをやるために
上京したいと考えていたとき、
その『ガロ』の長井勝一という編集長が、
「こんど『朝日ジャーナル』が
マンガを連載するらしいって聞いたんで、
マキさん推薦しといたよ」って。
──
推薦。
佐々木
とってもありがたいお話だったんです。
で、後日、
ちゃんと朝日新聞社から話が来ました。
当時は神戸にいたんだけど、
連載なのにそれじゃちょっと困るから、
上京してきてほしい、と。
──
おお、東京へ。
佐々木
ついては、引っ越し代だとか、
アパートの敷金礼金とかいるだろうと、
1968年くらいだったけど、
当時で10万円くらいの「支度金」を
くれたんですよ。
──
それは「大金」ですね?
佐々木
わたしにとっては、大金です。
当時の部屋代って1万円くらいだったし、
ふつうの若い勤め人で、
月給5万円か6万円の時代ですからね。
──
わあ。
佐々木
で、「朝日」の連載ギャラは、
1ページ1万円の3ページだったから、
週に3万円、もらえたんです。
──
なるほど、週刊誌だから、週に3万円。
つまり、月給に直せば、
ふつうの若い勤め人さんの倍くらいは、
もらってらっしゃった。
佐々木
そうなんですよ。
で、ここで話がもとに戻りますけれど、
その「神さま」の手塚治虫さんは、
『ガロ』だけじゃなく、
その『朝日ジャーナル』の連載も見て、
「天下の朝日新聞があんなもの載せて」
っていうんで、
ものすごく、怒ったそうなんですよね。
当時ぜんぜん知らなかったんですけど。
──
はー‥‥そうなんですか。
佐々木
知り合いから、教えてもらったんです。
手塚さんが、『文藝春秋』の随筆欄で、
なんか怒って書いてたよって(笑)。
で、読んでみたら、いろいろと‥‥ね。
──
いろいろと。
佐々木
ま、その『文藝春秋』は、
ちゃんととっておいてたわけじゃなく、
ぱっと読んで、
つまらんと思って捨てちゃったんです。
でも、何十年かあとにたしかめたら、
わりと正確に記憶していて、
今の時代ではちょっと言えないような、
けっこう、きつい表現で‥‥。
──
佐々木さんのマンガの批判を。
佐々木
こんなふうにも、書いてましたよ。
赤ん坊の描いた絵を発表したり、
評価してはいけない、とか何とか。
──
ひゃー‥‥。
佐々木
前々から、手塚さんは、
『ガロ』にたいしては思うところが
あったらしくて。
つまり、
つげ義春、白土三平、水木しげる、
そういう
『ガロ』の作家に負けるもんかって、
虫プロ商事って会社をつくって。
──
対抗馬として『COM』を出して。
佐々木
そうそう、そこに、毎月のように
『ガロ』の批判を書いてました(笑)。
「今月号の『ガロ』の何ページの
『カムイ伝』の何コマ目のデッサンが
くるってる」とか。
──
白土三平さんの『カムイ伝』に対して、
同じ忍者モノの『どろろ』を描いたり。
佐々木
ですから、
「佐々木マキ」というだけじゃなくて、
『ガロ』に描いてるようなやつらは、
みんなけしからん‥‥という気持ちは、
お持ちだったみたいなんです。
──
当時から「手塚治虫さん」といったら、
押しも押されもせぬ、
「マンガの神さま」だったわけですが。
佐々木
そうですよ。
ぼくらの子どものころからそうですよ。
──
そんな人が‥‥というのも何ですけど、
危機感を感じて、
『ガロ』という雑誌への「対抗心」を
むき出しにして‥‥ということですか。
佐々木
うーん、ねえ。
──
追い落とされてしまうかも‥‥とか?
佐々木
いやあ、そのへんの心理はわからない。

──
でも、逆に言えば、それって
「マンガの神さまの目にとまった」
っていうことですよね。
佐々木
そうそう。それがうれしかった(笑)。
あのマンガの神さまが、
ぼくのマンガを見てくださったんです。
──
「こんなマンガがあっても別にいい」
じゃなくて、
手塚治虫さんも看過できない、
「こんなマンガがあっちゃよくない」
と思わせたわけで。
佐々木
いやあ、たいへんなことです。
マンガの神さまに怒られちゃったって、
それだけでもう、ほんとうに。

(つづきます)

2020-01-16-THU

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  • 福音館書店から、2冊!
    佐々木マキさんの新刊が出ます。

    今回のインタビューにも出てきますが、
    名作『へろへろおじさん』の姉妹編
    『へらへらおじさん』が、
    「こどものとも」2020年7月号(6月発売)
    として刊行されるそうです!
    なにかうれしいことのあったおじさん、
    暴風雨に遭っても、
    竜巻に飛ばされちゃっても、
    へらへら笑って、気にしないのだとか。
    もう1冊は、『わたし てじなし』。
    こちらは9月刊行の
    「こどものとも」年少版2020年10月号。
    泣いている赤ちゃんに
    手品師がいろいろな手品を見せるけど、
    赤ちゃんは泣きやみません。
    手品師さん、はてさて、どうするのかな。
    どっちも、たのしみに、待ってます!