昨年の前橋ブックフェスで、
作家の岸田奈美さんと糸井重里が
トークショーをおこないました。
岸田さんが本を出版される前から
何度もおしゃべりしてきたふたりですが、
ふたりだけで、多くの人の前で、
じっくり話すのはこれがはじめて。
書くだけで生きていくには、枠線、
悲しみから芽吹くもの、家族についてなど、
話はどこまでも広がっていきます。

>岸田奈美さんプロフィール

岸田奈美(きしだ・なみ)

作家。

Webメディアnoteでの執筆を中心に活動。車いすユーザーの母、ダウン症の弟、亡くなった父の話などが大きな話題に。株式会社ミライロを経て、コルク所属。

主な著書に『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』、『傘のさし方がわからない』、『国道沿いで、だいじょうぶ100回』など。Forbes 「30 UNDER 30 JAPAN 2020」「30 UNDER 30 Asia 2021」選出。 

岸田さんのnoteはこちら。

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第5回 岸田奈美の部屋。

糸井
ぼくは、あなたとしゃべってると、
つい、自分たちだけの話っていうのを
ついやっちゃうんで、
ぼくは今日、あなたと壇上でしゃべるならって、
浮かんだアイデアに一回戻していいですか。
岸田
はい!
糸井
何かっていうと、
岸田さんは本を書く以外にも
テレビでコメンテーターをやったり、
対談もたくさんなさってたりすると思いますけど、
もう少し時間が経つと対談のゲストじゃなくて、
「ホスト役」になると思うんですよ。
岸田
ほほう。
糸井
「岸田奈美の部屋」。
岸田
‥‥なんか別の方が浮かんでますけど、
大丈夫ですか?
会場
(笑)
糸井
大丈夫です。
つまり、あなたがゲストをお呼びすることで、
フィクションを書くっていう以外に、
他の人と融合したあなたが出せるんですよ。
岸田
ああー、それはゲストとして行ったらできない‥‥。
糸井
できないですね。
なんていうんだろう‥‥ゲストで呼ばれてるときは、
相手の人がその場所を作ってくれるんです。
で、今はぼくが場所を作ってるんです、実は。
岸田
ねえ、こんな居心地がいい場所を。
糸井
居心地がいい。
それに関しては、ものすごい才能があるんですよ(笑)。
岸田
昨日からいろんなトークを見ていて、
なるほどなあーって思いました、ものすごく。
糸井
つまり、なんにも考えないのにそれができる
っていうのは苦しいから、
自分なりの方法を身につけたんだと思います。
なまじ下調べとかしてたら、こうはいかないんです。
岸田
なるほど。
糸井
ぼくは本当に苦し紛れに、
子どもが大人にしがみつくように対談をやってるんで。
岸田
そんな感じなんですか(笑)。
糸井
それはあなた、いずれやることになるんですよ。
岸田
やーだー!
糸井
やだじゃないよ!
会場
(笑)
岸田
だってその、時計とか見ないといけないでしょ?
糸井
そんな難しいことじゃない。
今なら、トークショーの終わりまで、
あと20分あるわけだよ。
岸田
はい。
糸井
だから「岸田奈美の部屋」に、俺を呼べ。
岸田
俺を呼べ!?
会場
(笑)

糸井
今日のゲストはぼくだとして、
この場所の司会をあなたがやろう
っていうのを思いついたの。
そして、それはいずれやんなきゃならない。
もうすぐだよ、それは。
岸田
ええー、やめてくださいよ、その予言は。
糸井
もうすぐだよ、ほんとに。
岸田
だって‥‥泣きながらしがみついてるんですよね?
糸井
そうです。
ぼく相手なら「さあ、どうしよう」ってところから
始めればいいんですよ。
こんな機会ないじゃないですか。ねえ?
会場
(拍手)
岸田
拍手をしない!
拍手をしない!
待って待って待って‥‥
糸井
どうも今日はお招きいただいて、
ありがとうございます。
岸田
ありがとうございます。
はい‥‥ねぇ‥‥
あの、なんでわたしが7歳の時に、
お父さんからパソコンを買ってもらって、
人としゃべるよりもインターネットでものを書く、
それこそほぼ日ができたぐらいの時ですよ。
その頃からブログを書いていた。
なんでかっていうと
人前で整理してしゃべれなくて、
かといって沈黙になるのは不安で、
友だちの前でぶわーってしゃべっちゃうんです。
糸井
NHKのドラマでも、見事に再現されていて。
岸田
ほんとにあのままで、
楽しんでいるかどうか不安で、
どんどん話を作っていくわけです。
だから、もう恥ずかしいですけど、
嘘つきって言われてたんですよ。
でもそれは、相手をコントロールしたいわけじゃなくて、
楽しませたいんです。
糸井
はいはい。
岸田
ということは、わたしは考えながら話す
っていうのがとても不安で、
失言もめっちゃしちゃうわけですよ。
でも、失言しそうになったら、
糸井さんは止めてくれるじゃないですか。
「その話は、また今度な」って。ありますよね?

糸井
なくはない(笑)。
ぼくは、そういうのは大したことないと思ってます。
岸田
でも、だって、相手のことを考えながら、
この話どこに着地させようかなとか、
みんな楽しんでるかなとか、気遣うなんて。
糸井
そういうのは無理です。
岸田
え、どうしてるんですか。
糸井
ぼくにも、あなたにも、無理です。
岸田
え、じゃあ、どうしてるんですか?
糸井
だから、やってみよう。
「岸田奈美の部屋」。
会場
(拍手)

岸田
(声を変えて)えーね、今日のゲストはね、
糸井重里さんにね、来ていただきました、はい。
糸井
はい。どうも。
岸田
糸井さんにね、
今日聞きたかったことがいっぱいあるんですよ‥‥
(声を戻して)
わたし、「ふるさと」についてすごい悩んでて。
神戸市北区の生まれなんですけど、
そこに住んでた時にものすごくつらいこととか、
苦しいことがあったんです。
家族のことばっかり考えてたから、
周辺に住んでいる他人を
恨めしく思ったこともありました。
だからいまだに、
「ふるさと」というものに対して
やさしくなれない自分がいて、
それがつらいんです。
糸井
はいはい。
岸田
糸井さんにとって、
「ふるさと」っていうのはどういう存在ですか?
糸井
ああー、いいですね。いい感じですよ(笑)。
岸田
これは、ほんとに聞きたかったんです。
糸井
前回、2日間にわたる前橋ブックフェスが終わって、
いよいよ閉会式ですっていうときに、
あいさつするわけです。
その時に、ぼくはやっと前橋と和解できた気がします。
岸田
ああー、そうなんですか。
糸井
実は、その時、涙が出た。
岸田
‥‥ケンカしてた友だちと仲直りした、
みたいな感じですか?
糸井
そっくりだと思います。
岸田
へぇー。
糸井
前橋をどう思っていいかわからないまま、
正直言って、迷惑も受けてるんですよ。
岸田
迷惑も受けてる(笑)
糸井
大学で、後輩にOBと名乗る人が、
「お前そんなことでどうすんだよ」とか
言いに来る先輩がドラマで描かれるじゃないですか。
ああいうのと「ふるさと」って似たところがあって、
「オレオレ、あの、あれだよ」って言うような人に、
一時的に囲まれるわけですよ。
岸田
「ふるさと」ってね。
糸井
多少名前が知られると、
こいつを成人式に呼べばいいんじゃないかとなって、
「まっ、そういうことでさっ」
「まあ、前橋のことだし頼みたいんだよ」って。
それって、人にものを頼む態度じゃないだろう!
みたいな人が、どんどん来るんですよね。
岸田
来そう(笑)。
糸井
我慢してやったりやらなかったりするんだけど、
どうして同じ地域に生まれただけで、
俺に対してこんなに威張るんだろうっていうのがあって。
でも、こっちに住んでいる時に、
恨みがあったわけじゃないんです。

岸田
はい。
糸井
ただ、名前が知られた途端に、
なんでそんなに威張れるんだろうと思って。
ふつうだったら踏むべき段取りを全部飛ばしても、
はいって言うと思われているのが、
そんなことはないっていう気持ちもあるんです。
そういうのが積み重なっていくと、
付き合わないようにしようって思うんですよね。
岸田
もうね、めんどくさいから。
糸井
たぶん、接点のところがよくないんです、きっと。
中に入ってなにかを食べてれば、
ごきげんで、おいしかったりもするし、
問題はほんとはないんですよ。
途中に、赤城山埋蔵金のプロジェクト
っていうのもあったし(笑)
岸田
言っていいんですか、それ。すごい!
糸井
前橋にはあんまり来ないけど、
赤城山には行くっていう時間もあったんですよ。
岸田
なるほど(笑)。
糸井
ほとんど赤城山にいて、寝泊まりだけ前橋で。
チームで来ていてもちょっと知ってる人の役で、
まあ、なんとなく‥‥前橋とは疎遠だったんです。
岸田
はい。
糸井
ずいぶん経ってから、
同じ前橋出身のJINSっていうメガネ屋の社長の
田中(仁)さんっていう人が、
「前橋の街でなにかしたいんだ」と
言いに来た日があったんです。
このとき「やってくれよ」じゃなかった。
岸田
地元愛忘れんな!ってやつじゃなかったんですか。
糸井
ぜんぜん違う。まず、
ぼくがとっても信頼して尊敬してる人が彼の知り合いで。
ひとりが、ひふみ投信の藤野(英人)さん。
岸田
藤野さん、いいですね!
糸井
でしょ。もう一人は、
グラフィックデザイナーの佐藤卓さんなんですよ。
岸田
おおー。
糸井
両方とも本当にすばらしい方で、
このふたりから同時にメールがきたんです。
田中さんがどうしても糸井さんに会いたいんだけど、
前橋の人たちが言うには、
糸井さんは前橋の人に会わない。
岸田
あはははは。
会場
(笑)
糸井
親とかのルートも、全部ダメだと。
どうにかつなげないですかと、
この2人が「田中という者に会え」
って言ってるなら、会うべきだなぁと思って。
岸田
おおー。
糸井
そしたら、スニーカーにリュックの田中さんが、
「お邪魔します」って普通の人として来てくれて、
「なにかしたいんだ」って話してくれて、
今こうやって、ぼくもやってるんです。
田中さんはドイツの人たちに
前橋の街をどうするといいのか
調査をしてレポートをつくってもらったんだけど、
そのまま伝えるのは英語だし、難しい。
結論も言ってみれば、
「ここには様々な可能性があると思います」
っていう結論だったの。
いや、どこの街でも、そうじゃないですか。
会場
(笑)
岸田
どこの街にも可能性はね、ありますから。
糸井
その結論はどうだろうと‥‥
そこでむくむくと、
本職のコピーライターの脳みそが
「お前なぁ」って言い出して。
岸田
そこで、自分から、
なんとかしたいと思ったんですね。
糸井
そう。
このまま直訳しても、市民が怒るぞと。
ここを日本語にするのを糸井さんに頼みたい
っていう話で田中さんも来てくれたんで、
やりますって言って。
それでできたのが、「めぶく」。
岸田
「めぶく」。
糸井
この三文字にしたのは、
この街には様々な可能性が隠れてるっていう言葉の
日本語訳なんですよ。
ただの土で、何にもないように見えるけれど、
種さえ蒔けば芽が出るかも
っていう話をしたいんで。
嘘をつかずに
先が見えるようなことを言葉にしたかったんで、
「めぶく」ってしました。
岸田
なるほど、素敵です。
糸井
「めぶく」ってつけたら責任も出てきて、
田中さんも一生懸命やっているし、
巻き込まれていった感じです。
ここでやっていると、地元で会う人達がいい人なので、
いろいろな過去を忘れられる機会がずいぶんあって。
こういうことをやるって、えらく大変なんです。
大企業が絡んだとしても、そう簡単にはいかない。
でも、前橋の人はいい意味でお調子者なんです。
岸田
あはは、お調子者いいですね(笑)。
糸井
はじめはブックフェスのプランをみて、
おそるおそるやっていった感じでしたけど、
前回の最後の挨拶で「できちゃったな‥‥」と
思った時に、やっと前橋と和解できた気がします。
岸田
糸井さんの中の“リトル糸井”は
「ふるさと」とずっと和解したかったんですか?
糸井
したかったんだと思います。

(つづきます。)

2025-05-06-TUE

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