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理想の糸をつくる。

「kijinokanosei」の織物づくりには
「いい糸」が不可欠。
古い織物の技術を復刻するにあたり、
糸を変えることで、
できあがる織物の表情ががらりとかわります。
ですから、ときには、糸を
「最初からつくる」ということも!
今回、「kijinokanosei」のために
糸づくりに協力をしてくださったのが、
尾州にある紡績の会社「東和毛織」の工藤習さん。
吉川修一さん、田中喜子さんといっしょに
お話をうかがいました。

──
東和毛織さんが、「kijinokanosei」の中で、
どんなことを担当なさっているのか、
教えていただけますか。
そもそも、田中さんが
東和毛織さんにお願いしたいと思ったのは
どういう経緯だったんでしょう。

田中
東和毛織さんとは以前からつながりがあって、
すごく柔らかく、風合いのよい糸を
たくさんつくっていらっしゃるのを知っていました。
ですからこのプロジェクトでもお願いをしたいと
考えていたというのがひとつです。
それから「kijinokanosei」では
尾州の近藤毛織さんにお願いした織物があるんですが、
近藤さんは、もともと
東和毛織さんの糸を使うことが多いんです。
近藤さんと、こういう生地をつくるとしたら、
どの番手でどういった風合いのものが
いいのかと相談すると、
自然と東和毛織さんの名前が出てきます。
「kijinokanosei」でも、
かなり特殊なことをやっていただいていたんですよ。
撚りを戻して、もう一度撚り直した糸をつくる、とか。

▲東和毛織 工藤習さん ▲東和毛織 工藤習さん

工藤
そうですね。太いロービング糸と
(長繊維の束を細くまとめ、軽く撚りをかけて巻き取り,
精紡機にかけられる太さにしたもの)、
違うタイプの糸を組み合わせたりしましたね。
元々、田中さんが持っている
織物のイメージに近づけたいという宿題があったので、
どの糸とどの糸を組み合わせて、
どういうふうにしたらいいのかと考えて。
田中
理想のものに近付くには、
今ある技術からどういうふうに転換していったら、
そういううねりのある糸になるのか、みたいなことを
一緒にやっていただいたんです。
近藤さんは織機をお持ちですから、
何番手にしたらいいのか、
ウールでやりたいのか、ウールシルクなのかなどを
まず、一緒に考えていきました。
そうすると出てくる結論は、
「東和さんにお願いしよう」。

──
なるほど。
紡績工場によって個性があるんですね。
田中
はい。私もいろんなものをつくるうちに、
どこの糸はこういう顔だ、ということが、
だいぶ分かるようになってきました。
英国羊毛みたいに硬い糸をつくられる紡績工場さんもあれば、
スーツ地みたいな細い糸ばかりつくるところなど、
いろいろあるんですけれど。

──
東和毛織さんでは、依頼をもらったとき、
どんなふうに組み立てていくんですか。
工藤
イメージとなるものを見せていただいたり、
指示をいただいて、
ストックがあるものに関してはお見せして、
「こういうのがいいんじゃないですか?」と
おススメします。
織りになっているものを拝見できれば、
その組織を見て、特殊なことがしてあるようなら、
「じゃ、プラスこういうことをしましょう」と提案します。
さらに「染色が必要ですね」とか、
そういうふうに流れていって、
糸を完成させていくんです。
自分たちが持っている糸に当てはまらないのであれば、
原料を含めて、うちでは小ロットで別注が可能ですから、
「じゃ、糸からつくりましょうか!」と。
田中
「十五夜」の中身の糸も東和さんなんです。
生成りが、原料のナチュラルな色も生かしていて、
紺のほうは、目指す色にするためには、
ウール、レーヨン、シルク、ナイロンが
混ざっている中で、
どれを基準に濃度を設定するかみたいなことも、
近藤さんとは話させてもらったうえで、
その染め方については、
東和さんがかなり慎重に
焦点を合わせてくださいましたね。

▲「十五夜」 ▲「十五夜」

工藤
そうですね。
お付き合いある染色工場と組んで。
田中
尾州は、かなり分業なので、
東和さんの奥に、また染工場さんがあるんです。
──
東和さんでつくられているのは、
「うねり」の織り糸も、そうですね。

▲「うねり」 ▲「うねり」

田中
これは撚り戻しをかけてふわっとさせた太い糸に、
ミシンの糸みたいに細い糸を絡ませて、
クネッとした表情を出してもらいました。
──
こんな生地をつくりたいというイメージから、
すぐにその糸のつくりかたが
わかるものなんでしょうか。
田中
いや、なかなか最初からは難しいです。
何度も議論をかさねて試作をかさねて、
やっとたどり着く、という感じです。
吉川
たとえばニットの糸で
布帛をつくるみたいなことですよね。
ふつうはやらないようなことを、やる。
田中
そうです。だからフワフワになるんです。
東和さんはニット用の糸が得意ですよね。
工藤
東和は織りから始まってる会社で、
‥‥今も糸に限定してるつもりはないんですけど、
尾州という織物の産地の中で、
昔は染めていないストックの生地糸を、
原料と番手をいろいろ揃えて持っていました。
時代とともに、織物だけでは立ち行かなくなったとき、
手編みの需要に対応できるよう
糸づくりの部門にあらためて力を入れたんです。
これは甘い撚りのほうが風合いがいいとか、
最初から染めてたほうが風合いがいいとか、
手編みにはそういう糸の需要もあって、
ブック販売っていうんですかね、
カラーストックを持つようになりました。
今は織物用よりも、ニット用の糸の売上げのほうが
ちょっと上がってきてるっていう感じです。

田中
そうですね。ニットのイメージのほうが、もう強い。
工藤
そうですね。たとえばその手編み用毛糸を、
あえて織物で使うということを、
「kijinokanosei」のような
チャレンジングな企画では行なうわけです。
田中
織りに使うとき、強度的な意味で、
手編み用の糸では経糸にかけづらい、
っていうこともあるんですか?
工藤
最近はあまり限定されなくなってきましたね。
ニット糸だからって、織物に使えないわけではないです。
ただ、イメージ通りに織れる・織れないは出てくるので、
ニット用の糸をもとに、
織物用の糸に加工しましょう、ということもあります。

──
今回は、何回ぐらい、
糸づくりのチャレンジをされたんですか。
田中
「うねり」はわりとシンプルでしたし、
柔らかくて撚りの甘い糸は
東和さんにあると知っていたので、
あとはその撚り戻しをしましょうと、
比較的はやく決まりましたね。
けれども「十五夜」のほうは難しかった。
手紡ぎ風でムラ感がある不思議な見え方、
ボコボコした印象になる糸を追求していくのは、
やっぱりたいへんでしたね。
糸が複雑なら複雑なだけ、
染め方にもムラが出ますし、
表面もポコポコして面白みがでるんです。

──
なるほど。素人の考えですと、
既存の糸から選んでいるのかなぁって思ってたんですけど、
つくりたい生地に合わせてアレンジしたり、
つくったりするんですね。
工藤さんは、キャリアのスタートから
糸のご担当だったんですか。
工藤
僕はアパレルの出身なんです。
この会社に入るまで、
服は、でき上がりしか見たことのない人間でした。
──
あ! そうなんですか?!
工藤
アパレルから原料に逆流してきた人間なので、
この会社に入って、
「糸ってこうやってできてるんだ!」って。
──
なぜアパレルから転職を?
工藤
アパレル時代は海外ブランドを担当していたんですが、
会社がそのブランドを手放してしまって、
そこがすごく好きだったので、
いちど区切りをつけようと思ったんです。
でも服の世界には携わっていたくて、
たまたまここの採用を見たとき、
糸をつくるってどういうことなんだろうなって。
この業界で糸を販売してる営業の方は、
結構、まだいらっしゃると思うんですけど、
国内に紡績工場を持っていて、
自分たちがつくった糸を売ってるってなると、
少なくなるんですよ。
それでここに来ようと思いました。
以前は糸商といい、専門の商社に売って、
その人たちがアパレルに売るという流れだったのが、
どんどん直接の取引になってきている、
そんな状況での転職でした。
そんな流れがあったので、
こうして「kijinokanosei」のみなさんとも
直接のお付き合いをしているというわけなんです。
吉川
自社でブランドを持つ工場も増え、
より工場と紡績、アパレルと紡績が
接近している印象ですね。
昔に比べると、
パートナーシップを築いて
いっしょにものづくりをする関係が増えました。
工藤
そうですね。
糸商が間に入ることは、
ほんとうに少なくなってきましたね。
逆に困ることもあって、
たとえばクレームでも何でも
直接受けざるをえない。
吉川
それはたいへんでしょうね。
工藤
でもそのほうがいい場合もあるんです。
かつては、知らないところでうちのせいになっているとか、
そういうパターンもありましたから。
いまは直接、
「こういうことが起きてるんだけど、
これって糸のせいかな?」って言われ、
僕らのせいだと思えば作り直しができます。
けれども「そういう糸なんですよ、あきらめてください」と
間に入るかたが説明をしてしまったら、
「東和ってそんな対応をする会社なんだ?」と
がっかりさせてしまうことになります。
そういうことは減りましたね。

──
今回は、スムーズに?
田中
とってもスムーズでしたよ。
お互いの理解も深くて。
──
難しいことはありましたか。
工藤
それはいっぱいありました。
なぜかというと、分業が進んでいる尾州では、
こまかく仕事を分けるんですが、
みんながみんな、ファッションが好きで
この業界にいるわけじゃないわけです。
たとえば染色工場さんが、染めがすごく上手でも、
最終的にこうしたいんだという
ファッションのイメージまでは分からないことがある。
世代の差もありますよね、
いいと思うものがちょっとずれる、ということもある。
──
「kijinokanosei」のように、
古くて新しい挑戦をしようと考えるチームにとって、
工藤さんのようなかたがいてよかったと思います。
工藤
お役に立てていれば嬉しいです。
織物もそうだと思うんですけど、
昔はできたけど今はできなくなったよ、っていうことは、
最近すごく増えてるんじゃないかなって思いますから、
こういった挑戦は、いいですよね。
吉川
でもどうですか? いまの世の中で、
製造拠点を日本に戻そうという動きもありますよね。
工藤
そうですね。うちも徐々に
糸のオーダーが増えてきています。
もともと多品種少量のご注文を受けていましたから、
そういうお客さんとのお付き合いがあったことも、
よかったんじゃないかと思います。
ほんとに、国内で紡績をしているところが、
少ないんですよね。
吉川
東和さんのような業態が、
だんだん貴重な存在になっている。

工藤
ぼくはまだ11年ですけれど、
入ったときから比べると、
毎年、うちのような工場が
減っているのを実感します。
吉川
工藤さんが「こうなったらいいな」と考える
仕事のスタイルはありますか。
工藤
そうですね、若い世代のデザイナーに、
もっと、紡績の技術を知って欲しいですね。
20代のデザイナーとかの子と話していると、
ぼくががんばって伝えようと思っても、
良さは伝えられるかもしれないんですけど、
現場の感覚までは共有できないんです。

吉川
そうなんですね。
工藤
なんなら技術を教えて、
同じ世代同士で会話をして、
ものをつくったほうが、
絶対楽しいと思うんです。
ぼくも今、40代ぐらいの同世代で
企画をしたりするのが、やっぱり楽しいんですよ。
同じ時代に、同じ服を見てきたので、
話が通じやすいんでしょうね、
「あのときの、あんな感じで」
みたいなことですね。
だからこれからの世代も、
デザインの感覚と、技術の理解を
ともに持っていてくれたらいいな、
と思うんです。
吉川
ほんとうにそうですね。
工藤さん、
今日はありがとうございました。
田中
いいものができて、ほんとうにうれしいです。
ひきつづき、どうぞよろしくお願いします。
工藤
こちらこそよろしくお願いします!

(つづきます)

2022-12-11-SUN

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